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がらくたのはなし

しいたけ.さんの占いが大好きで、よく読んでいる。わたしはあまり占いを信じないし、「わたしが決めますんで。」と思うことが多いけれど、しいたけさんの占いを読むのは好きだなあと思う。なんでかなと考えてみると、わたしは彼の紡ぐ言葉が好きなんだなと分かった。結果の占いじゃなくて、過程の占いのような感じ。


しいたけ.さんの言葉の中に「がらくたを大切にする」というような話があって、その言葉がずっと引っかかっていた。がらくたってなんだろう?



昨日はひどく疲れたので、いつものようにラジオを聴きながら早めに寝ることにした。すると真夜中3時に目が覚めてしまい、LINEの返事をしたりしたもんだから、朝から大丈夫か、寝れているのか、と心配されたりした。

その真夜中、天井のもう光っていない蛍光塗料の塗られた星を見ながら、「がらくた」について急にイメージが出てきた。自分でもびっくりした。

ああ、あれって「がらくた」だな、と思ったものを挙げてみる。

もう疎遠になってしまった友だちに教えてもらったアニメ、子どもの頃に母がいない食卓で父と一緒に見た映画、体調が悪くなると食べたくなるドーナツ、古着屋で買って履き潰したお気に入りのスニーカー、バイト仲間にもらった厚手の黄色のパーカー、結婚する姉にもらったLINEのスクショ、語尾が優しい友だちと行ったお寺のおみくじ、元上司の箸の持ち方のこと、クマみたいな笑顔、昔持っていた指輪、教えてもらったラジオ、もう読めない小説。


思い出しながら、このがらくたを全部風呂敷に包んで歩いて店を開いたら、まるで露天商みたいだな、と笑えてきた。

わたし以外にとってはきっと意味がなくて、でもわたしにとってはすごく思い入れのあるそれらの「がらくた」をいつも大切にしょって歩いている。もう会えない人も、もう会いたくない人もいるけれど、その人たちから教えてもらって好きになった「がらくた」たちをたくさん持っている。このがらくたの話をするのは本当に楽しい。だから時々「お、聴いてもらえそうだぞ。」と思うと、いそいそと露店の準備をして話し出す。たぶんすごくいきいきしていると思う。子どもみたいにこれがこうでね、あの時ね、こんな風なことがあってね…。

すっかり大人になったつもりでいた。でも、「がらくた」を抱えて、その話を聞いて欲しくて眉を八の字にしておろおろとするわたしも、やっぱりここにいた。コミュニケーションの技術を身につけて、諦めたみたいな大人の素振りの裏がわに、子どもの私はずっと待っていた。「がらくた」を存分に紹介できる相手を。


エピソード付きの「がらくた」たちは、これからも増えていくんだろう。いつ、だれに話そうかな、だれが聞いてくれるかな、と少し楽しみになった夜でした。そろそろ縁日に行きたいなあ。



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