100日後に終わる卒論のまとめnote
100日シリーズ第2弾の卒論編!
1月6日に最終日を迎え終了したのですが、〆のnoteを書かないとやっぱり終われないだろっ!ということで書いていきたいと思います。
**********
そもそもキャベ子の卒論何書いてたの?
テーマは”デジタル教科書”の効果についてでした。
このテーマにしようと思った理由は2つあります。
一つ目は、私が”反・教育のICT化”の考えを持っていたからです。
私たち、現大学生までの世代は、ほとんどの人がタブレットを使った授業を受けてきませんでした。大学に入ってから、初めてパソコンやスマホを手元に置いて授業を受けることができるようになりました。
”デジタル教科書”をどこで知ったのか、もうそのきっかけは忘れてしまいましたが、そういうものが導入されていく、というニュースを見た時最初に思ったことは「羨ましい」という感情でした。
キャベ子は、小学校後半からパソコンを使い始め、中学では家に帰ったらまずパソコンくらいの生活を送っていました。そして、高校生になった時初めてスマホを持つことができました。
そもそもそれらの電子機器を授業で使うなんてことが考えられなかったのです。
学校に持ってきてはいけないもの、だったから。授業中に使ってはいけないもの、だったから。
大学生の私がそんななのでもっと上の世代なんて、授業の中にインターネットに接続された媒体が存在して、そんなの一体授業になるのか…!?と疑問を抱く声もあるんじゃないでしょうか。
だからアンチ・デジタル教科書だったんです。
私たちが勉強に用いてこられなかったデジタル端末を学習に使用することができる小中学生が羨ましかった。一方で、その効果のほどなんて分からない。
そんなもの導入するなんてどうなの?
だから研究対象にしようと思ったんです。
**********
2つ目の理由は、学歴や成績による教育格差に興味があったからです。
学歴格差はよく言われているものだと思います。就活をした際、学校名を重視せずに内定を出している企業も結構多いことを実感したので、だいぶましにはなっていると思います。
ただ、給料に関しても、高卒と大卒で初任給には差があるし、大卒の方が選択肢が多いのも事実。まぁ、この二つに関しては単なる教育格差だけの問題ではないかもしれないけどね。
それから親の学歴が子供にも影響しやすいというのも気になるところでした。キャベ子の家は、両親がどちらも高卒なのに対して、子どもは二人とも大学に進学しているという、学力の文化的再生産の起こらなかった例ですが、一般的に子の学歴は親の学歴と似たようなものになりやすいのです。
そんな連鎖って、悲しいと一言で片づけられるものじゃないけど、縛られるのはなんか違うかな、と思っています。そういうことにも本当は触れたかったです。
結局私の論文の中ではこの二つの研究動機を言葉にすることはなく、学術的な意義しか書いていないんですけどね…笑
**********
卒論の進め方について思うこと
これから卒論を書く、という人に向けてアドバイス程度に伝えたいことがあります。
・先行研究の重要さ
卒論を書き始める時に一番最初に資料を探すとしたら先行文献だと思います。そしてそれらの最後の方に書いてある、「今後の課題」から自分のできそうな研究を探すのが一番頭の賢いやり方。
このやり方をすると、一から研究のやり方を考えるのではなく、先行研究の方法を応用して研究を進めることができるので考えることが減る。それから自分で1から課題を見つけるというよりかは、今出ている課題を新たに発展させるものになるので、既存の研究に+α の研究を作りやすい。
キャベ子の場合は、先行研究を参考に進めるよりかは、ある文献だけ読んでそれをまとめ直して、というやり方を取りました。そうするとあとからあとから出てくるわ、関連する研究論文が…
それらをまた加えて、という作業は結構しんどかった…!
根本になる一つの研究を見つけて発展させていくことをお勧めします。
**********
・1日中卒論をやっているというのは無理。
先輩の卒論の様子を見ていたら、きっとその先輩から毎日今日も卒論やる~~~(涙)みたいなセリフを聞いてたんではないでしょうか。
もちろん、毎日やる人はやります。
そういう人は内容も濃くなるし、意義の大きい論文を完成させてくると思います。
ただ、毎日卒論に追われている先輩たちが実際にどれくらい1日に卒論を進めているかといったら、1日2~3時間くらいだと思います。だんだん締め切りに追われていくと、5~6時間に伸びていきます(キャベ子談)
キャベ子の場合は、
3~9月:週4、1日2時間程度
10~11月中旬:週5、1日4時間
11月下旬~1月提出まで:毎日、1時間半×3回=4時間半
くらいでやっていました。
サボっている日の方が多いくらい。。。不真面目卒論勢ですね笑
しかも、配信しながらやるとか、音楽聞きながらやるとかがほとんどだったので、作業効率は60%くらいでした。
集中してがっつりできる環境は、ちゃんと作っておくといいと思います^^
**********
・卒論を一緒にやってくれる仲間をとにかく探せ。
卒論に追われている同じゼミの人でもいいし、部活の仲間でもいいし、むしろオンライン上で探してもいい。
一緒に作業通話をしてくれる人を見つけるとマジではかどる。
できれば、2~3人くらい仲間を作っておいて、今日はこの時間からやる~とか、何曜日はこの時間にやる、というルールを作っておくと便利かもしれません。
1人の友達と約束してやりはじめたら3回目くらいでその約束が流れました((
だから少し多めの人数で監視体制を作るのがベストじゃないかと思います。
あと、褒めてくれる人を探してください。
これ大事。皆押しつぶされていくから、言葉がきつくなったり気を遣えなくなったりして言ってイラってしちゃうことがある。
今日はこれだけ進んだ~!って報告した時に、お疲れ様~~!とか偉いじゃん!とか言ってくれる人がいるといいと思います。
それは、先輩でもいいし、友達でもいいし、恋人でも家族でも、誰でもいいと思います。ツイッターのフォロワーさんによいしょしてもらうのもありです笑
同じ境遇の卒論終われている民に報告し合ってると、それが相手のプレッシャーになることもあるし、私全然進まなかった!という罪悪感に苛まれることもあります…そこらへんは自分の精神状態と相談してみてください。
やばいなと思ったら全然自分第一の考え方をしてしまっていいと思います!
キャベ子は全力でえらいいいいい!と褒めるのでnoteに頑張りました報告していただいても全然よし!!!笑
応援してくれる人、大事にしてくださいね^^
そして全部終わったらありがとう~って言えばOKだよ!(マジで卒論やってる時はありがとうと思っていても伝え忘れることとかほとんどだからあとからちゃんとお礼してね…)
**********
キャベ子の大学4年生
大学4年生って何していたかなって考えた時に、大きく就活と卒論が浮かぶのですが、どちらも終わってみるとたいしたことないって思える。
それよりむしろ1~3年までの授業やアルバイト、やりたいことに終われている時の方が大変なことってたくさんあった。
でもなぜ、就活と卒論が大変だなって感じるのかと言えば、きっと期間の長さだ。
就活も卒論も終わりがない。
就活は内定が出て、ここに就職する!って決めるまでゴールがずっと不安定。
卒論は提出日は決まっているけれど、最後の最後までこういうことを盛り込みたいとか、こういうことを伝えたいとか深堀していくときりがない。
どっちも自分で終わりを定めなくちゃいけないのです。
だから辛いんだと思う。
費用対効果の実感も得られないしね。
これだけ時間を割いてきたのに、結果がともなってこないとかザラだ。
本当はこういうこと、受験勉強でずいぶんと経験しているはずなんだけれど、大人になればなるだけ色んな考え方に触れて、視点が変わって物事の見え方も変わる。
だからキャベ子は迷いながら卒論を進めていたんじゃないだろうか…
終わった今はそんな風に感じます。
今はこう思うけれど、働いてみたらまた変わるかもね!?働いてからの方が理不尽なこと、結果が実らないことなんてたくさんあるのかも…それは今のキャベ子からは分かりません!!!!!!!!!
とりあえず、これまでの人生の中で一番そういう思いをした期間でした!
**********
100日後に終わる卒論まとめ。
100日後、提出だと気が付いた9月後半。
残り100日で本当に終わるのか?と疑問を抱いていました。100日後に死ぬキャベ子 を経験した私は、なんとなく100日の感覚を分かっていました。だから、この状態の卒論を完成までもっていくのに100日では足りないのかもしれないという焦りは少なからずありました。
どんどんカウントダウンが減っていく中でも自分の中の焦りゲージはあまり変わりませんでした。焦りはあります。もう嫌だ、となった日もたくさんありました。けれど、その焦りが行動に反映されないまま、今日これくらいでいっかとか、明日やればなんとかなるとか。甘やかしの日々が続いていきました。結局最後までそんな状況だった気がします。
こうやって、自分が一生懸命にな手やっているはずのものを100%のことだと思わずずっとまだいけると思いながらも、本気100%を出せないのはキャベ子の悪いところです。卒論をやりながらそんな自分の嫌な部分をたくさん目撃しました。
メンタルの弱さから、今日はやらないと決め込んで逃げる日だってたくさんありました。これまでどうやって自分のコントロールをしてきたのか分からなくて、考えることを放棄してしまったのです。
こうやって藻掻いてやってきた100日間のキャベ子の在り方が正しいかどうかは分かりませんし、そんな判断を下す必要はないとも思います。
でもやっぱり欲を言えば、100日間で成長した自分になっていたかった。
全力でやったという実感は、やりきったという満足感は、どうやって手にすることができるのか。今回も分からずじまいなのが少し悔しい。
と言っても過去は変わらないので、また未来の自分に託すことにしてこのnoteを終わります。
1年間、卒論の執筆お疲れ様でした。
よろしければサポートお願いします。心から顔上げて前向いていけるように、できることからやっていきます。見守っていただきたいです。