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12月第3週「武器は誰が為か」

月曜日を有給にするとゆっくりできる…と思いきや。

「やりたいことをやっちゃおう!」と予定を詰め込むから、仕事はじめの火曜は余計に疲れているのでは、説。

さて、この週末、母と姉が我が家に遊びにきた。妻の出産が近づいてくるにつれ母の「なにか役に立ちたい」欲が急成長。ご飯をつくって送り届けるのはどうか、買ってきてほしいものはないか、と選択肢が飛び交うので、いっそのことご飯を作って持ち寄ってもらい我が家で早めのクリスマスパーティはどうか、と提案したのだ。

いかにも微笑ましい週末の一幕に読めるかもしれないが、私は母が嫌いだ。価値観が根本的に合わず対処に苦慮している。彼女には大人になってから2回ほど価値観の相違について面と向かって伝えているが、受け止めてはくれていないのだろう、今もなおその相違はなかったことにされ、どんなときも私が母と同じ気持ちだという前提で会話をされてしまう。

件のクリスマスパーティだが、会自体は和やかに終わった。母と姉を送り届け夫婦でホッと一息をついた。すると、母から妻にメール。

××(私の名前)に甘えているという自覚があってよかったです

…???
夫婦揃って固まった。何が言いたいのかわからない。ただ、妻に不満を言いたいことだけは伝わってくる。気を遣って家に招待したらこれか…やはり歩み寄りは難しいんだな…夫婦でそんな会話をしつつ定型的なあいさつだけを返してもらい、その日は眠りについた。

翌日。朝起きると今度は母から私宛てにメールが届いている。内容は言うまでもない、相も変わらず妻への不満だ。おそらく定型的なあいさつで返したことが気に食わなかったのだろう。「馬鹿にされた気分です」と書いてある。

面倒なのは、母を馬鹿にされて「××(私)もつらいよね」というトーンで書かれていることだ。むしろ、妊娠中の妻にストレスがかかるようなメールを送られたことのほうがつらいのだが…母にとって私は味方であり"こちら側"ということなのだろう。

私自身の考え、価値観を1つの個として認めてもらえず、「母の子ども」として、母と価値観を共有する存在としてしか見てもらえない。そのことが、小さいころからずっと辛かったし、いまもつらい。

仕事でも、自らの大事にしたいことをないがしろにされる体験が何度かあったし、今もある。

もう、誰かの価値観に巻き込まれて私のこころをなかったことにされるのは嫌だし、なにより、飽きた。

今日はそんなことを感じながら、吉祥寺の本屋をぶらぶらしていた。気づいたら手に取っていたのは、仕事を任せるコツについての本と、データ分析に関しての本だった。

気分転換に小説でも読もうかと思って立ち寄ったはずなのに、気づいたら「チームのために私がいまできることをやりきりたい」と仕事のことを考えている。

私はたぶん、こころを誰かに奪われないようにするために「自身を武装する、新しい武器を手に入れる」という行動を取っているのだと思う。

違う方法もあるのかもしれない。でも、この繰り返しによって今の私は造られている。このことには最近、少しだけ誇らしく思えるようになってきている。

だから、武装するのをやめるのではなく、その武器を使う場所を変えていきたい。こころを脅かす存在から自身を守るためではなく、こころを分かち合える人たちが誰かに想いを届けるのを手助けするために、私は私が身につけてきたものを使いたい。そう願っている。

”大切にしたいことを大切にできること”を支援するフリーランスチーム「インブルとノンブル」として、WEB制作やプロマネをしています。いただいたサポートは、前に進もうと働く人たちの”休憩所”として不定期に開いている場「mochi.」の運営に使わせていただきます。