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【エッセイ】 タバコをやめて、花を生ける

私は喫煙者ではない。
正確に言うと、今は。つまり以前は吸っていた。
そんなにヘビーなわけでも、何年もの間ずっと吸っていたわけではないけれど。

年末になると毎年、「よし、もうタバコはやめよう」と誓って、大晦日までに持っているタバコを吸いきり、ライターも処分して、元旦から晴れて禁煙するのだ。

もともと吸っていたとは言っても、1mgのタバコを日に5〜6本くらいだから、やめても意外となんともなかったりする。
手持ち無沙汰さえクリアできれば、そのうち忘れてしまうくらいだ。

ただ、そのまま1年間全く1本も吸わずにいられたことは、実はあまりない。
飲みの席でなんとなくその場のノリでもらいタバコをしてしまったりということもあるけれど、
だいたい1年のうちに何度かは、タバコに手を出さずにいられないくらい、どーしようもなくムシャクシャしたりイライラしたりすることがあるからだ。

結構普段から気持ちの浮き沈みが激しい方なので、しょっちゅうメンタルは落ちるのだけれど、たいがいは手帳日記に気持ちをガーッと書きなぐるか、ひたすら歩くか、甘いものを食べるか、でどうにかなることが多い。
幸い、寝てしまえばだいたい忘れられる性質でもある。

タバコは、私にとっては最後の手段だ。
1箱買ってしまえば、その1本でやめられるわけもなく(残りは捨ててしまえばいいのにもったいなくてできない)、結局1箱は吸うことになり、それを吸いきるころには、またタバコを手に持つ感覚が戻ってきてしまっている。
そしてそのままズルズルと「吸う人」になり、大晦日になって「よし、今日限りでやめよう」となるのだ。

その繰り返し。

なのだけれど。

今年はまだタバコに手を出していない。
もらいタバコは・・・正直覚えてないが、少なくとも自分でタバコを買って吸うということはしていない。

でも今日、久々に来た。あのどーしようもない、どうにも収まらないムシャクシャとイライラと自己嫌悪が。
特別すごいことがあったわけでもないのに。
いつもならさらりと流せたであろうささいなことなのに。
今日はだめだった。

気圧のせい?体調?何が原因かはわからない。
積み重なった小さないろんなことが、それまでバラバラにあったのに突如つながってまとまって、大きなうねりになって迫ってくるような感覚。
自分のやっていることとか、いいと思っていたこととか、自分の存在そのものまでをも全部否定して、消し去ってしまいたくなるような絶望感。
これが急に、一気に襲いかかってくるから恐ろしい。

こういうことをわかったふうに言うのは良くないとは思うけれど、
衝動的に自ら死を選んでしまう人の気持ちは、なんとなく想像できる。
たぶん、こういうののもっと数十倍強くて速いやつに、身構える間もなく飲み込まれてしまうんじゃないだろうか。
頭で考える余裕があったら、たぶん人は死なない気がする。

話は戻って、今日の私。
とりあえず歩いて持ち直そうとするけれどおさまらず、閉店までわずかなのにスタバに入って、手帳にがーっと負の感情を書き出す。
理屈もめちゃくちゃ、こんなことでイライラしている自分のほうが間違ってることはわかっていても、とりあえず気のすむまで書き出す。
ちょっと落ち着いた。

でも店の外に出たら、なんと雨。傘は持ってない。
このあとしばらく歩けば、完全にスッキリできると思ったのに、それもできなくなった。
「ああ、やっぱり今日はだめだ」
少し持ち直したのにまた追い打ちをかけてくる。
「タバコ・・・」と頭に浮かんだけれど、今は街中で吸える場所が少ないことを思い出して、地元まで我慢することにした。
走るのも面倒なので、濡れながら駅まで歩いた。

地元について、あまり何も考えずいつもの流れでいつものスーパーへ。
ここで買ったことはないけれど、サービスカウンターでタバコを売っていることは知っていた。
近づいてみたら、カウンターの横の切り花のコーナーが目に留まった。
いつも私がいく夜の時間には、あまり残っていないことが多いのに、今日はなぜかいろんな花束がそこに残っていた。

そのまますーっと吸い寄せられ、気づいたら一番カラフルで、これから咲きそうな蕾がたくさんある花束を吟味して手に取っていた。
タバコのことは頭から消えていた。

レジに行って、カゴと一緒にいそいそと398円の花束を出したときは、なぜか恥ずかしかった。
いつもいる店員さんで、いつも値引きのお惣菜ばかり買っている私が花を買ってるなんて、どう思ってるだろう・・・
実際は私のことなんて覚えてもないだろうし、完全に自意識過剰なのだけれど。

でも端から見たら、花を買っている私は「何かいいことがあった」ように見えているのだろう。
そう思うとなんだかおかしくなってくる。
まさかさっきまでズドーンと落ちていて、憂さ晴らしのタバコの代わりに花を手に取っただなんて、思わないだろうな。

家に帰って、着替えるより先に花を花瓶に生けた。
部屋がぱあっと明るくなった気がした。
もしこの花じゃなくてタバコを買っていたら。
今頃ベランダで吸いながら、「またやっちゃった・・」と自己嫌悪していただろう。
そしてここからまた毎日ベランダに出て、いつも臨時灰皿として駆り出される100均のメイソンジャーに、吸い殻と汚れた水が溜まっていくのを、ため息をつきながら眺める日々になったのだろう。

今日、花を手に取ることができてよかった。

私の落ち込んだときの対処法は、先に書いたようにひたすら落ちることだ。
書きなぐりながら、歩き回りながら、ひたすらマイナス思考に浸って、底に触れるまでやさぐれまくる。
底に触れればあとは上がれるとわかっているから。
変にポジティブになろうとすると、あとの落差がまたすごいと経験上わかっているから。
タバコはそのやさぐれの極みだ。

でも、そろそろそういうやさぐれ方式じゃない形で、メンタルを保てるようになりたい。
言ってみれば、やさぐれは、自分自身に対する誹謗中傷と同じだから。
自分を痛めつけるのも、自分を無理やり引き上げるのも荒療治だ。そうではなくて、もっとやさしく、自然に。
今日花を手に取ったときの、フッと気持ちが軽くなったあの感覚を忘れないようにしたい。

タバコの代わりに、花を生けよう。

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