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お前は、俺になれる… ④

俺たち

時代の漂泊者…

昔、こんな流行語があった。


しらけ世代

新 人 類

📖wikipedia 『しらけ世代』より

1960年代に活性化した日本の学生運動が鎮火したのちの、政治的に無関心な世代。1980年代には、世相などに関心が薄く、何においても熱くなりきれずに興が冷めた傍観者のように振る舞う世代を指した…



📖wikipedia 『新人類』より

インベーダーゲームや大学入試における共通一次試験などに象徴される、それ以前の時代とは違う画一化社会に迎合し、無気力的傾向のある若者をアイロニーを込めて命名した。




前者の『しらけ世代』の方は、あまり馴染みがないが、おそらく松田優作さん世代が該当するものと思われる。

ちなみに、これを書いている私自身は、後の世代『新人類』のなかまに入る…


おかしいなぁ…
『スポ根』とか『青春ドラマ』の影響で熱い少年時代だったはずなのに、なんで80年代になったら『無気力的傾向』の若者になっちゃうんだ…?

まぁ、たしか中学校の教師は
授業中よく言っていた。

お前たちの目は、イワシの目だな


でも、それは授業がつまらないからだ。

https://youtu.be/JHT5tNwxgGc

ROADSHOW KENJI 様


野獣死すべし


大藪春彦氏のハードボイルド小説から、精神を病んだインテリ青年によるクライムサスペンス劇への変貌は、優作ファンも大藪ファンも戸惑ったであろう…

しかしこの映画は、原作を超えたひとつの物語として完成されている。

病んでいて暗いが、哲学的で、詩情があり、時代の闇を抉る容赦ない表出は、どこか爽快感すらある。

この映画は、どこを切り取っても、名セリフと名場目ばかりだ。

そして、映画の骨となる脚本づくりに、松田優作氏本人が、大きく参画していたことを知って驚いた…


脚本家、丸山昇一氏と『共犯関係』だと…

脚本家 丸山昇一氏



以下 wikipedia『野獣死すべし』より引用

脚本を担当した丸山昇一は、伊達のキャラクター描写について大藪から批判された、と後に語っている。しかし、丸山は原作が書かれた時期とは時代の様相が大きく異なっていたことも鑑みて、当時の若者から感じ取った、掴みどころがなく陰湿な不気味さを持った人物として伊達を描いたことに起因する。

(引用おわり)



モウ ヒトリ ホシイ

東大の同窓会で
レストランに呼ばれた伊達。

「伊達君は、学生時代は図書室や名曲喫茶に入り浸りだったよな…」

「そうそう、半年でニーチェを読みきって、チャンドラーやハメットまで読み散らしてたんだぜ、こいつは…」

伊達を持ち上げる旧友だが、伊達が
「モウ ヒトリ」として探すターゲットではない…

なに見てんだお前!

文句あんのか?


給仕のミスを、客の同窓生(阿藤快)に叱責されるも、居直った揚げ句に殴り倒すウェイターの真田。

そんな直情な真田は、まさに伊達が探している野獣の卵だ。見逃す術はない…


何しに来たんだよ!

不意に接近する伊達を警戒するが…
伊達の目を見て気を許し始める真田

その目、どうなってんの…?
ボクの目、死んでるよ

・・・君も、そうですね…



あなたの場合、少し世間が
狭すぎるんじゃないですか…

世間が狭い…?

交友範囲が狭い、知識の世界が狭い、行動範囲が狭い、度量が狭い(ケツの穴が小さい)
など、あまり良くない形容詞ながら自分にも当てはまり、観ているこちらも身につまされる台詞だ…


サイレンサー使用時の発射音と
貫通能力を試したいのですが…


そんなこと、勝手にやれ。

どこの組のものか知らんが
プロだろうが…

伊達を、青白いモヤシ兄ちゃんだ
とナメていた真田
伊達の冷徹な行動に、怖れおののく

この辺りから伊達は、ハードボイルド的キャラクターに豹変する。

伊豆の海岸で、スイカや空き缶を試射する姿は、プロの狙撃手だ。
あの闇カジノ店で、へっぴり腰で真っ青になっていた男と、同一人物とは思えない。


不気味なほどに冷静な伊達

見境なく熱くなる真田


この両極端な人格は
『しらけ世代』や『新人類』世代
のなかで、ジキルとハイドのように
相克しているのかもしれない。

そして、この映画には、伊達を見詰めるモウヒトリの「誰か」がいるように感じる…

長い眠りから覚めた
リップ・バン・ウィンクル
を、待ち受けていたものは…

https://youtu.be/ByHabLNOLgA

青春は、屍を越えて

漂泊者の歌

萩原朔太郎

映画のなかで、松田優作氏が朗読する詩

日は断崖の上に登り
憂ひは陸橋の下を低く歩めり

無限に遠き空の彼方
続ける鉄路の柵の背後に
一つの寂しき影は漂ふ

ああ汝漂泊者!
過去より来りて未来を過ぎ
久遠の郷愁を追ひ行くもの

いかなれば蹌爾(そうじ)として
時計の如くに憂ひ歩むぞ

石もて蛇を殺すごとく
一つの輪廻を断絶して
意志なき寂寥を蹈み切れかし

ああ 悪魔よりも孤独にして
汝は氷霜の冬に耐えたるかな!

かつて何物をも信ずることなく
汝の信ずるところに憤怒を知れり

かつて欲情の否定を知らず
汝の欲情するものを弾劾せり

いかなればまた愁ひ疲れて
やさしく抱かれ接吻(キス)する者の家に帰らん

かつて何物をも汝は愛せず
何物もまたかつて汝を愛せざるべし

ああ汝 寂寥の人

悲しき落日の坂を登りて
意志なき断崖を漂泊(さまよ)ひ行けど
いづこに家郷はあらざるべし
汝の家郷は有らざるべし!

時代の『漂泊者』たちは
いまや時代の責任者、証言者
の世代だ。

もはや新人類でもないし
コロナの渦中で
シラケている場合でもない。

もう一度、熱い想いを
甦らせて、世界を救わなければ…
ならない…

現実を『あるがまま』に
受け入れつつ

『新人類』から、ニーチェのいう
『超人』に変身して


一気に駆け抜けるんだよ…!

ボクと一緒に…