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11年目のメモリー




『あまちゃん』第138回より


夏)誰のせいでもねんだ…、アキ

自然のいいところばかり利用して

自然の怖えどこ、目背げて

そのうち、忘れでまう

それが、人間の、傲慢さだ



アキ)おらひとりじゃ、どうにもなんねえ、って気になっちまう…

「頑張ろう」どか「一つになろう」どか言われても、息苦しいばっかりで、ピンとこねえ。

んでも、帰ってきたらいろいろはっきりした。とりあえず、人は元気だ。みんな笑ってる。




東日本大震災から11年が経過したが、あの日のことは、昨日の事のように覚えている。

会社の事務所から駐車場に飛び出して見た、震える世界に現実感はなかった。

まるでゴジラ映画のジオラマの中にいるようだった。
自然の力に対して、人間や人工物がいかに脆いかを実感した…

事務所の棚が倒れ、備品や書類が散乱した程度だったが…


まだ新しい地デジで視た津波の映像はショックだった。それはとても凄まじかったが、やはり現実感がなかった…

大した被害もない関東の人間でさえ、記憶が生々しいのに、被災地の当事者にとっては、その心の傷はいかばかりか…?

11年目の被災地で、印象的な映像があった。津波で家族を亡くされた年配の男性…

「テレビでは『忘れない…』とか言うけんどさぁ…、俺はもう忘れたいんだよ。忘れたいけど、忘れられねえんだ。」

忘れたいけど、忘れられない…

これが被災者の本当の気持ちかもしれない。

どんなに美しいメッセージを並べても、この気持ちは当事者にしかわからないのだろう。

アキの言う

〝頑張ろう〟どか〝一つになろう〟どか言われても、息苦しいばっかりで、ピンとこねえ…

という言葉にも現れているようだ…


LINE NEWS
『 被災地から"第二のふるさと"に のんが岩手・久慈と歩んだ10年の道のり 』より


そのつらさを自分がどう受け止めて、どういう言葉を発していいのか悩みました。


たしかに、被災地の当事者の気持ちに心から寄り添うのは、難しいかもしれないが…

のんさん(本名:能年玲奈)が久慈市を訪問(180秒ver)
久慈市公式チャンネル

2016年9月18日に、のんの参加が予定されていた『久慈まつり』は、台風10号による甚大な被害によって中止となってしまったが、祭が予定されていた当日、被災地となった久慈市に、のんは訪れた。

のんちゃんの「ただいま~」の一言だけで、気持ちは十分伝わったようだ。
そこに居るだけで、励まされる存在なんだろうね…


自分は、3.11被災者でもなんでもないが、やはりショックというか、トラウマのようなものは残った。
それはやはり、震災そのものよりも、原発事故によるものだろう。
毎日のように出されるモニタリングポストの数値や、関東を覆うようなマップ映像は、今のコロナの情報と同じように、気持ちを萎縮させるものだった。

しかし、その鬱屈とした心の『黒い霧』を晴らしてくれたのが朝ドラ『あまちゃん』だったのだ。



あのドラマは、被災地だけでなく、日本中の人々の心の霧を晴らしてくれたはずだ。

その潜在意識の多くは霧消してしまったかもしれないが。

今度は、世界を覆うコロナの憂鬱を、のん自ら製作した映画『Ribbon』が、晴らしてくれるだろう。