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見える孤独をあじわいたい 02

彼のことはわからない

わからないからいいということはある。彼とは結局恋人となった。25歳の彼に30歳のわたしは、プロポーズするみたいに覚悟を決めて深夜3時とかにタクシーで中野坂上の彼の部屋を訪ね、詰問するみたいに告白をした。彼は9月の生まれで、乙女座で、彼と知り合って初めてのバースデーに親の自動車を借りてなぜだろう日光に宿をとった。車の運転は得意なほうかなと思っていたが何年か運転から離れていたのもあり、日光への高速で「危険!」という本気のクラクションを鳴らされものすごく恥ずかしかったことが往路のつよい記憶。一瞬で冷たい汗をかいて、助手席の彼のことを見られなかった。というか助手席というのはあらためて呼んでみるにおもしろい。助手をするための席なのだということか。当時はカーナビというものがそれほど普及していない、つまりは高級品で、実家は贅沢をしない人たちだったこと、それほど車を活用しなくなっていたこともありカーナビはなかった。地図を読むのが昔も今も不得手のぼくにとってだからその日の彼はしかと助手をして、日光へとたぶん着いたのだろう、ありがとう。その日はマニュアルカメラに白黒フィルムを入れていた。恥ずかしいが彼を撮りたかった。

写真学校へ通っていた時代にはぼくはノンケということになっていた。童貞でキスも手もまだでデートもしたことがなかっただけでなく、一生できないかもしれないと悲観していた。一生自分は同性愛を受け入れることはなく、そのことが苦しくて苦しくて自殺したいと何度も思ってきたが実行はしなかった。包丁を夜中に台所から取り出して腕に当ててみたことはあったが、本気ではなく、当時大好きだったテレビドラマの、女優が2時間ドラマなどでそのようなことをしているその憧れからそうしてみたようなところがある。自己憐憫。そのころの自分にタイトルをつけるとしたら「自己憐憫」。とにかく自分を可哀想とそればかりを思っていた。その1日がとても楽しくても夜のその日の終わりにはため息をついた。そして自分であることが苦しいと沈み、その自分にさせた何かを呪うような気持ちももった。それは神様みたいなものであり、母であった。父のことは眼中になかった。仕事人間という言葉が彼をそうさせたのか、そういう性格で、そういう生活で、顔を合わせることはあまりなく、会話はほぼなかった。興味関心を持たれている、そういう認識をまるで持てなかった。うんと自意識過剰人間であったが、父が自分のことを考えている、気にかけているとは思いもしなかった。だから矛先が母となった。母ひとりから生まれできたように勘違いをしていた。その母と彼と、時々父も、今はカレラという何語だろう名前のイタリアンだったと思うレストランで毎年彼の誕生日を祝う食事会をしている、もう何年も。人生とはだから決めつけてはいけない、あきらめることはない、と思う。今はそう思うが、当時の自分はその成功体験がなかった。あきらめなかったから叶った! を知らなかったため、それからそれまで何一つとして自分の力で自分の頑張りで獲得したと実感できるものがなく、棚からぼたもち的に得た、「何かを得た」という感覚もなにもなかったため、なにもなかった。だって死にたかったのだ。死にたいという願いが叶う、その切実な祈りは届けられると信じようとしていた。信じていれば叶うんだ、と言い聞かせて、ぼくは自分には未来というものがないと、そういうヴィジョンをいつからか抱いていた。就職する可能性というものもない、その頃にはいないので。とりあえず父が大学を経て会社員となっているそのルートを踏襲し、大学までは行くだろうと思っていた。けどそこでぷつりと道は消えているので、当然そこで人生が終わると思っていたがそうはならなかった。その後、死にそうになることもなく50歳が見えてきた。

50歳になった自分は想像していないが、先日のある未明の夢うつつに65歳の自分が見えた。数字は書いていないし、具体的な顔などもわからない影絵のようなそれだったが、自分が見ている自分の世界のことだから当たり前ではあるが、魔法のようにわかった。「あ、65歳の自分だ」と。その自分は後ろ姿だけで、その背中はやや丸まっていて、何かを書いている様子だった。ハッとした点として、その人は、その後ろ姿はどこか険しかった。今現在の自分の後ろ姿は見ることがかなわないが、想像によると険しさというものはない。なにも語っていない背中をしていそうと思う。それが65の私は背中が語っていたのである。険しさ、厳しいが優しいみたいな感じを。その様子を前に、反省のような気持ちと指針を得たような感覚となった。すると横顔に場面が移る。横顔は溌剌としていた、どこか青年のようだった、それもまた驚きに近い感情を思わせた。なんだかすてきじゃないか、と思った。そのような人になりたいと思った。どうして彼はそうなのかと問うように想像すると、彼は書いていることに再び気がついた。言葉なのか絵なのかはわからないがかいている。その行為に疑いがない。自分のすることと自分がもう決定的に決めている。迷いがない、他にやることがない、私は誰に何を言われようと言われまいともそれをする、という強い意志のようなもの、その日々の集積として彼の後ろ姿と横顔があるのだった。

わかったこととして、それが指針になったのだが、(おそらく)人は、本当に大事なことはそうたくさんはない。その人その人にはコアというのか本質のエネルギーというものがある。それ以外は枝葉である。枝葉だったらないとダメかもだが、エネルギーのことで言えば、本質のエネルギーで生きていればそれで充分ということ。あとは瑣末なことだということ。その光景にした反省は、自分はいつまでもいつまでも人に嫌われないようにしている、いつまでそれを続けるのか、ということ。もしこのままこの人の目を勝手に作り上げその目によりしたいことをしない、振る舞いたいように振る舞わないを続けた先にこの背中、この横顔はないということをどこかに刻んだ、刻まれた。そして飛び起きて真夜中で猫を起こさないようにガスコンロ前にパソコンを置き、灯りもつけずパソコンのあかりで小説を書き出した。何千文字か夢中に書いて疲れて寝て起きてからは一度も書いていない。「小説」と思ったら想像しなくてはいけない、物語を作らなくちゃいけないとして、それをどこか「嘘」と思い、嘘を書くことに意味を見出せないし、全然向いていない才能がないとシラフみたいになった翌日に沈んでしまったのである。

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