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わが星読みについての気づき

ぼくのホロスコープとの出会いは友人の試しリーディングだった。彼女はぼくとの展示会の出し物? として15分星読み鑑定というのを企画していて、果たして15分でどれだけ読めるのか、伝えられるのかの検証として、ぼくを読んでくれた。

ホロスコープリーディングが初めてだったこともあり、ものすごく驚いた記憶。えー、どうしてそういうことがわかるの? そんなことが言えるの? という興味と、「それは本当だろうか?」という猜疑心みたいなものから、その後、ネット検索を繰り返し自分なりに自分の出生図を読むことをした。

が、奥が深いのである、ホロスコープというのはものすごく。当時2017年くらいの世界は、今よりも圧倒的にホロスコープはまだニッチで、案外「星読み」という言葉も登場していなかったかもしれない。という環境もあり、独学に限界を感じた。だったらやめるのがいつものパターンだけれどあきらめるには魅力を感じすぎていて、学ぶことにした。初めてお金を払って鑑定していただいたリマーナすず先生の一番弟子みたいな桐吉謳子先生の講座に通うことにした。

なぜすず先生だったかというと、まずは安かったということがある。当時1時間3000円とかで鑑定されていたのではないか? 破格。その頃も今もだけど、仕事よりも寝ていたいという社会不適合的my優先順位を遵守した生き方の代償なのか、お金に余裕がない。余裕はないこともないが(たまに友だちとお茶したりできているし)、「値段を見ずに買う」ということから遠い状況(心境)にあり、破格はありがたく、だったら診てもらえる! となったこと。それからすず先生の人柄が、そのブログの記事から感じられ、そこに信頼のような気持ち、お会いしてみたい気持ちが湧いた。

結局のところ人間なんてものは自分自身の偏見の中にいる。勝手なモノサシを持ち、あるいは色眼鏡をかけて世界を見ている、判断している、そういうものだと思う。だから、そのメガネが大事。傷付けられたくないし、否定されたくない私は、この社会不適合的私を理解?してくれるそうした世界観の人でなければ無理、となった。そしてすず先生をそのような人とお見受けし、「この人なら心配ない」と思えたのである。

果たして彼女はそのような人だった。当時の鑑定は録音させてもらい、即座に文字起こしをしたのだけど、いまだに時にその鑑定書を開いている。すず先生の言葉のトーンみたいなもの(今、そのトーンを何かに喩えようとしたが「これ」というものが出てこない。浮かんだのは、ふかふかのタオル、チラチラ舞う粉雪、マニアック・オタクという言葉、虫眼鏡、パンを齧りながら分厚い辞典みたいな本を貪り読んでいる姿)は、一言では言い表せないが、やさしい。神社の巫女さんみたいな感じもある。少女漫画に夢中になっている少女のようでも。

あれ、何を書いているのだろう? 本当は、ぼく自身の星読みについて書きたかったのに、登校初日から寄り道して学校へ辿り着けない少年みたいになっている。とりあえず、今ちょうど正午。今日はここまでにしてお昼でも食べようかしら。ごきげんよう。



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