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僕はその時、涙を流していた。

昨日のF1 バーレンGP。
その1週目に重大事故が起きた。
ハースのロマン・グロージャンがガードレールに激突。
マシンは真っ二つに割れ爆発し炎上。

僕はこの映像を見た瞬間、ダメだと思った。
ターン3の立ち上がり、それなりのスピード、130〜140km/hは出ていると感じた。
スピードそのものはどうということはないが、その角度が色んなレースアクシデントを思い起こさせた。

グロージャンにかかるGはどれくらいなのか。
炎上から脱出できるのか。
僕はあまりにも感情的になり、涙が目からこぼれていた。

今のモータースポーツの放送において、重大事故は「その瞬間のリプレイ」を流さないようにしている。
あまりにもショッキングで、視聴者に精神負荷がかかるため。
また、死亡事故に至った場合、その亡くなったドライバーの尊厳を保つために。

今回のアクシデントもリプレイは流されない。
ああ、覚悟をしなければ。

僕はアイルトン・セナの死亡事故を始め、色んな事故に遭遇してきた。
古いところだと、同い年の舘信吾が亡くなったとき。
彼は僕と同じ1977年生まれ。
1999年3月11日、TIサーキット英田の1コーナーで命を落とした。
僕はその5年前に「アイルトン・セナの最後の無事なリタイア」をその場所で見ていた。

2000年にフォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)に参戦していたTeam LeyjunのOSAMUさんも。
まだまだ僕も駆け出しでなんの後ろ盾もないころ、OSAMUさんはどこぞの馬の骨にも優しく接してくれて、取材に応じてくれた。
Osamuさんは2012年に鈴鹿の1コーナーから天に召された。

モータースポーツだけじゃなく、母がやっていた居酒屋の前は交通死亡事故が多発していた。
具体的に言うとここだ。

国道4号、通称・昭和通り。
首都高1号線、上野線から入谷インターから北に1キロ弱のところ。
ここは下り線では特にスピードを出すクルマが多く、僕はなるべく避けていた交差点。

ある夜、僕は仕事を終えて母の店の隅っこで夕飯とビールを飲んで居たとき。
たしか、8時10分過ぎだったと思う。
衝撃音がした。
金属同士がぶつかる乾いた音ではなく、鈍い音。
店を飛び出してみたら、その音は金属と人間のぶつかった音だとひと目に分かった。
母に絶対に店から出るなといい、僕は交通整理に当たった。
素人の僕の目でもハッキリと、助からない状況だと分かった。
全身を強く打った、と表現するのが適切だろうか。

僕はその日以来、飛ばすことを止めた。

そんな思いや実際に目にした光景を思ったのか、僕はグロージャンの事故の瞬間から、泣いていた。
人生の経験の上で。

でもロマン・グロージャンは助かった。
比較的軽い火傷(とは言え全治にどれくらいの期間がかかるかわからないが)で済んだ。
本人も意識はハッキリとしていて、I'm OKと語っている

HALOが役に立った。
そうだろう、HALOがなければグロージャンは助からなかった。
首から上を失ってもおかしくなかった。
僕は失ったんだと思っていたから。
でも、そういうことじゃない。

僕はロマン・グロージャンを知っているけど、ロマン・グロージャンは僕のことは知らない。
言ってしまえば赤の他人だ。

でも、モータースポーツとともに過ごした30年弱。
こういうことからモータースポーツは逃れられないという覚悟もしている。
アイルトン・セナの事故もそうだし、ローランド・ラッツェンバーガーの事故もそうだし。
思春期にそういうアクシデントに遭遇してしまった。

思春期を過ぎても、僕より年上の人、同い年の人、年下の人。
残念ながら多くの人を失ってきた。
深く絶望した時に流れたのが、TOPの映像だ。

良かった。
本当に良かった。
安堵の涙が目から落ちた。

去年、F1のコラムを書かないか?と言われた。
一度は断ったが、叩き台くらいは書きたいなと思ったコラムが掲載された。

この時もF2でアントワヌ・ユベールが天に召された。
あまりにも不運で、理不尽なかたちで。
でも、モータースポーツに関わる人間として覚悟はしていたので、叩き台の文章でも触れたいた。

ロマン・グロージャンも若手ではないけども、僕より全然年下の、有望な未来が待っている若者だ。
1986年4月17日生まれの34歳。
今シーズンをもってハースを離れ、来季のレース活動は決まっていない。
現状のF1を鑑みると、彼にはF1のシートはない。
F1ドライバーとしてはもう、若くない。
けど、レーサーとしてではなく、一人の人間として、彼はまだ若い。
彼の命が助かったことにホッとしている。
安堵をしている。

生きててよかった。
生きててよかった。

ロマン・グロージャンという一人の人間に、この先の幸多からんことを願わずには居られない。

生きてくれて、ありがとう。