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コアラのマーチ。

アメリカの南北戦争は1861年から1865年にかけておきた、アメリカ内戦である。英国工業製品の途絶で急速な工業化を遂げた北部は、流動的な労働力を必要としたために奴隷を排除しつつ、保護貿易をしながら利益をあげたいと思った。対して大規模綿花栽培のプランテーションによって綿花をイギリスに輸出することで成り立っていた南部。その経済圏は黒人奴隷の労働力によって支えられていたし、自由貿易をすることで利益をあげられると思った。奴隷解放派のリンカーンが大統領になった1ヶ月後にはサムータ要塞砲撃事件が勃発し、南北戦争が始まる。死体が処理しきれずペストの感染症が流行ったり、総戦力戦となりながら、内部でボロボロに疲弊するまで戦った。南部も北部もみんな疲れるまで戦った。私にとっての就活もそんなものだった。

働くことが奴隷だとか、そういうつまらないことを言いたいわけではない。同じ自分という存在の中に、何か手につけられない強い引力によって、引き裂かれ、何か一つを求める一つの「わたし」と他の相入れない別の何かを求めるもう一つの「わたし」が、とても激しく衝突した。何かを得るためには何かを失わないといけないだろう。そして一度その何かを失ったら、2度と元に戻れない気がした。

だから私は就活という消耗戦で、もれなく疲弊した。大学では哲学を専攻していた。あとメガネをかけているからなのか、就活面接では、何も話をしていないのに、難しそうな人というイメージを持たれているようで気にくわなかった。長い机を盾にしたおじさん達も、非常に私を疲れさせた。就活に疲れたというか、就活を通じて見える社会像が疲れきっていた。きっとあのおじさんたちも疲れていた。私も疲れて、結局バイト先のマッサージ屋に就職した。

だから「なんでマッサージ師なろうと思ったの?」と客に聞かれるたびに、少し手に力が入る。大学時代、駅ナカにあるマッサージチェーンでバイトで始めた。本屋は機械的に覚えることが多そうだし、花屋は手が荒れそうだし、今からサッカー界でファンタジスタを目指すのも難しそうだった。だからなんとなくマッサージのバイトをした。マッサージのファンタジスタを目指すわけでもなく、マッサージしようと思った。マッサージ「が」いいよ。じゃなくて、マッサージ「で」いいよ、と思った。

その割に仕事は順調に行った。面倒な人間関係はなかったし、たまに常連のお客さんが差し入れを買ってきたりした。それが結構普通に嬉しかった。温かさというと大袈裟だが、何か確かなものに触れている気がしたりもした。ある常連のお婆さんに「チョコレートは好きじゃないが、コアラのマーチは食べれる」と話した。ホワイトデーか何かだったと思う。そしたら次の予約の時に、「コアラのマーチ好きっていうから…」と言って、4箱。4箱、コアラのマーチをくれた。

なんだか嬉しかった。ただぶっちゃけ4箱も手にしたことがないのでどうしたもんかと思いつつ、箱を開けた。何となくバラバラと机の上にコアラ達を出した。コアラの絵柄がそれぞれ何となく注意を引いた。少なくともその時ついていたバラエティの内輪ネタよりも、コアラの絵柄のバラエティの方が私を豊かにさせる気がした。たっくさんのコアラを何となく並べ始める。コアラをマーチさせた。マスクしてるやつ、ハグしてるやつ、泣いているやつ。焼け野原みたいな東京ワンルームの畳上で、みんながみんな、それぞれのありようで生きているのが、なんか良い感じだった。


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