ネットにおける東京ヤクルトスワローズ関連の投稿群から浮かぶ、批判に「説得力がある人」と「ありきで終わっている人」の違い

大層なタイトルをぶっていますが、テーマとしてはどのジャンルでもカテゴリでも言える話だと思います。
X(Twitter)では…………そこまで言及していないんですけど、プロ野球関連のトレンドが上がって来ると「いよいよ野球のシーズンだな」となります。が、まあトレンドって玉石混交なので、いわゆるインプレゾンビに検索結果のトップを占められることもあります。
それとは別にトレンドで上位に結果が来るポスト、つまりインプレッションを集めているポストには往々にして「批判」の文面があります

誤解されないよう最初に述べておきますが、ぼくは「金輪際批判するな」と言う気は毛頭ありません。さすがにそこまでお人好しではない。
が、正直なところ「SNSで展開されている批判に、見るべき価値はあまりない」とも思っています。まあ批判が嫌いなのは、単純に自分のメンタルに悪いからってのが多くを占めているわけですけど。
あくまでぼくの持っている感想ですが、そう考えるに至った理由はXでは書きづらいので、noteにまとめます。


批判に必要なのは「客観視」、「合理性」、「科学的思考」と「発言者の人柄か実績」だと思っている。

とりあえず4点を挙げましたが、前の3つは分かってもらえると思います。

タイトルにもあるので、東京ヤクルトスワローズに関するケースで実例を示します。
例えば、「投手陣の層が薄い」問題。細かい数字はここで列挙しませんが、指標として好成績が並ぶシーズンはあまり多くありません。これは「客観視」の部分。
なぜそうなったのかを考えるのに、編成・スカウティングのミスマッチや育成環境(インフラ)の脆弱さも聞くので、そのウィークポイントを排除せず受け入れるのが「合理性」、さらにこれらから理由に論を組み立てるのが「科学的思考」と言えるでしょう。
この3つを揃えて「批判」になっている言動は、一応少なからずあります。何も「批判」のみんながみんな的外れで受け付けないわけではないんです。

では何が問題か。
それは圧倒的に「言葉のチョイスが下手過ぎる」こと。

分かりやすいのは、原因となった人物に対しての誹謗中傷ですよね。
「誹謗中傷は良くない」と乱暴にまとめて言うのは簡単なんですが、事はみんながみんな単純ではない。しかしそこに至る思考には、何らかのハラスメント的要素があるのではないか。
ぼくは「何でもかんでも気に入らないものをハラスメントって言えばいいもんじゃねえ」と、例えばドジャース大谷翔平の結婚報道がメディアから大量に流された時に文句を言う人へ向けて(直接ではないけど)ボヤいたことはありますが、よく言われるパワハラとかモラハラとか、あのあたりを「批判」のポストには結構感じています。
要するに「そこに至るまでの過程を何らかの理由で無視して、悪い結果だけを捉えて詰っている」と見えてしまう…………読解力の問題かも知れないし、文章の稚拙さ故かも知れない…………のは本当に多く見る。

見出しには「人柄・実績」と書きましたけど、ぼくが今腹の中に抱えている前提を話しておくと、「批判を愛だの必要だの言い訳する人がいるが、そう言う人は大抵『批判ありき』の物言いしか出来ていない」。
似たようなことは前に記事に書いてるんですけどね。

SNSは基本出会い頭の世界だと思うので、個人に対して信を置くと言うのは難しい話ではあります。ぼくだって例外ではありません。
しかしインプレッションを集める人はある程度固定化されていて、トレンドにはインプレッションを集められるユーザーのポストが上位に挙がる。「一方的に顔を見知っている」状態になるわけですね。そのユーザーに対して、「こいつまたなんか言ってんな」はあり得る話です。

で、SNSでインプレッションを集められる人の中には、「当然野球に関するリアルの実績なんかないだろう」し、「リアルの対人関係を初歩からつまずいている人」も多分少なからずいるはず。
SNSは中の人の顔が見えないし、暴言を浴びせたところで危害が及ぶリスクは多くない。かつてマイク・タイソンがFacebookで「SNSのせいでお前らは他人をバカにしても顔面を殴られない環境に慣れ過ぎているのか?」と投稿しましたが、これは非常に正鵠を射た表現でしょう。そのSNS特有の環境に「甘えて」、「批判ありき」の言動を繰り返している人は多いと思います。

「実績がないなら批判するな」ではなく、「普段の言動の積み重ね」が人に説得力と信頼を生むのでは?

よく批判への感情的反発として「実績のない人が~」はありますし、実際ほとんど同じことをぼくはひとつ目の見出しで開陳したわけですが。
「批判は全て許されないのか」と言われれば、そんなもん「NO」です。例えば政治の世界でその理屈を適用してしまうと、短期間で独裁国家が出来上がってしまいます。

では、批判に説得力と信頼を生むにはどうすればいいか?
その問いへのファクターは複数ありますが、ぼくが重視しているのは以下の点。

  • 言動の多くを批判で占めない。必要なケースではしっかり称賛を挟む。

  • 批判の言いっぱなしではなく、建設的な対案を私見でいいので述べる。

  • 言葉のチョイスに神経を使う。

書いてて「リベラリスト(≒大多数の野党支持者)にも同じことは言えるよなぁ」とか思ったんですが、その話は今はいいでしょう。
少なくともぼくは、「こいつ批判しか言う頭ないな」と思えばその時点で切り捨てます。切り捨てに関しては批判に対する反駁ではなく、単なるメンタルコントロールですけどね。

その上で3つの条件を詳しく述べるなら。
1つ目はどちらかと言えば感情に訴えるタイプですが、「評価すべき点はしっかり評価している人」が「どうしても出てしまう感想」は真に迫っているとか、そう言う話。「ありき」でないのが分かっているので、受け入れる素地がある。
2つ目に関しては、野球だと対案を述べたところで採用されるわけはないんですよ。ないけど、興行としてのプロ野球はそんな与太話も許容してくれる懐の広さがあります。「建設的」と言うのが大事で、示される対案が刹那的だったり破滅的だったりすると「素人は黙っとれ」になる。対案にも客観視・合理性・科学的思考は大事で、裏を返せばそれが担保出来ていれば思想が合致しなくても実にはなるはずです。
3つ目が一番大事な点で、これが欠けると上記の言動をやれていても全て台無しになります。いいことを言っていても、最後に「だからお前はクソなんだ」とか言われたら、その時点でダウト。感情の話になりますが、人間社会の要諦はそう言うものだと思うんです。

実績云々で言えば、それがある人でもこの要素の有り無しが「好かれる解説者」「嫌われる解説者」と言った評価にも左右されるのかな、とは思います。
咄嗟に思い付いたのが里崎智也さんだったので失礼ながらお借りしますが、個人的に里崎さんのワードチョイスは好きではないです。それでも突き放すほどではないし、それ以上に解説者として必要な知識や思考回路は備えている人だと思うので、聞く価値は十二分にある。
もう一人思い付いたのが岩本勉さんで、この人もまあ結構癖の強い御仁ではありますが、ぼくは岩本さんの解説が結構好きです。キャラで損をしている部分もあるのかなともいますが、たまに聞いて「ぼくの知らない野球を知っているなぁ」と結構感じます。

SNSユーザーに関してはそれがたとえインフルエンサーであっても、同業者でなければ「元プロ野球選手の実績」には勝てません。自明の理です。
インフルエンサーだったりインプレッションを集めてトレンド検索の上位に来るユーザーだったりは、何かしら「特異なモノ」を持っているはず。その特異性が攻撃のベクトルへ向いてしまっていると非常に良くない。
それらに対して抱いた感情がこれまで書いてきたことに繋がっているんですが、これを根絶するのは無理です。自衛のためにミュートやブロックに放り込むのが精々です。「他人の評価なんかどうでもいい」と思うくらいなら無視してもらっても構いませんが、「説得力が欲しい」なら参考にしてもらえれば多少は世界も平和になるかも知れないね、とは。

実践編:「内山壮真を首脳陣はどうしたいんだ?」問題。

タイトルに「東京ヤクルトスワローズ」と書いているので、最後にガッツリ扱いましょう。
記事を書こうと思ったキッカケが、執筆した3月13日のオープン戦で1回7失点の大炎上を喫してしまったルーキー松本健吾と、この内山壮真に関する話です。
松本は松本で「たった1回の大炎上でそこまで絶望視や批判の種にするかね」と思ったんですが、材料とするにはまだ数が不足しているのでこの程度に留めます。


内山でこの話を進めるにあたって、先に前提条件を示します。
内山は(この記事をご覧になってくださっている読者の方であればご承知の通り)、期待の若手で将来の正捕手候補です。昨季は出場機会を増やすために外野手にも挑戦しており、今季も恐らく捕手と外野手を両睨みしながら首脳陣は起用するものと思います。

で、その内山が現状、あまり結果を残せていない
3月13日終了時点で10試合に出場し打率.222、1本塁打2打点。OPS.753は出塁率の高さもあるので高めに出ています。10試合の成績を論じること自体も危ういと言えば危ういですが、そこまで突き詰めると話が進められなくなるので無視します。

一部ファンが問題視しているのは、内山に関する起用のブレ。先述の通り将来の正捕手として期待を受けている選手ですが、今季実戦では2月25日以降捕手としての出場がないようなのです。かと言って守備に就く機会が多いわけでもない。その現状を受けて、「内山を捕手で育てるのではないのか?」「そもそも育てる気はあるのか?」「今のままでは内山の才能を潰してしまうのではないか?」と首脳陣に批判の矛先を向けていることです。

批判の源泉が真に内山のことを思ってなのか、単に昨季あわやブービーの5位に終わった首脳陣に対する意趣返しや恨み・不満の蓄積なのかまでは分かりません。あと、この起用に至っている全ての理由をファンは知り得ません

その上でぼくが私見を述べるなら、まず内山は「試合に出られこそするものの、捕手をするにはコンディションが整っていないのではないか?」。
物の道理として、野球はポジションごとにかかる負担が異なります。野手だと捕手が一番負担が多く、外野手は比較して軽いです。現在の正捕手・中村悠平が出場していない時に出場機会を多く得るのが本来なら内山であるべきだろう、はその通りなんですが、それが出来ない状態にあるとすれば無理強いしてもいい結果は生まないでしょう。代替で出場している松本直樹や西田明央への期待値と言う問題もあるにはありますが、そこは「今は捕手起用を避けたい」と首脳陣が判断したのを、1から10まで公開していないだけでは? と言う話ではないでしょうか。

例えば高校時代は捕手も務めていたもののプロ入りと同時に内野手へコンバートした村上宗隆と、内山の立ち位置は異なります。そもそも村上が異常なだけで(その村上の才能を伸ばし上げた評価を忘れていないか? とも思う)、内山もこれまでの実績としては十分だとは言っていいはずです。
その才能を生かすか殺すか、やきもきする人の気持ちは理解できるんですが、かと言って近視眼的が過ぎる人が多く感じられるのも偽らざる感情。昨季不本意な成績だったのは疑いようのない事実とは言え、2年前にリーグ2連覇を、3年前には日本一を達成した首脳陣への信頼は「執行猶予」ででもいいからもう少しあってもいいんじゃないか? とは思っています。
情報が完全公開されない以上は状況証拠も基にして論じなければいけないんですが、状況証拠の特性故に起きる解釈の余地を都合のいいように批判へ向けているのは、正直なところよろしくない
まあ「自分の思い通りにやらないからこいつらあかんねん」とか言われたら、「なんでテメェの思い通りになると思ってんだよ」とはなります。

あととんでもない暴論だなと思ったのは、「内山のほうが長岡秀樹よりショート守備上手いだろ」。「ゴールデングラブ賞を受賞した長岡を捕まえて言う言葉ですかい???」って、それしか感想出て来なかったですけどね。
内山のセンスは高いので、やろうと思えばショートもやれるとは思うんです。でもさすがにそんなレベルの暴論を垂れ流すのは恥を知ったほうがいい。何でもかんでも言えばいいと言うものではないです。

ぼくがそもそも「批判に対してそれを擁護する立場」でモノを見る癖があるのでそんな言い方をしますが、首脳陣が内山のことを適当に扱っているわけはないんです。きっと。
捕手で使わないのがコンディションの問題なら、現状の起用は内山に場数を踏ませるのと無理をさせないと言う意志両立の証左ではないか? と。

あと根本的な問題として、ファンの理想通り内山が将来性捕手を掴むには、最終的に内山がしっかり成績を残すことが条件です。そこは仮に内山のために多少周りに犠牲を強いてお膳立てしても、内山が結果を残せなければそれで話が終わります。
批判する人の中にはその内山自身の問題も首脳陣に転嫁することもあるんでしょうけど、首脳陣に相応の過失がない限りそこまで甘やかしていいとはぼくは思いません。今はまだほとんど「相応」ではないし、何より他の選手に対する申し訳も立たなくなります。


相変わらず話が取っ散らかりましたが、重ねて言いますけど「批判をするな」とは言いません「もっと頭を使え」とは思います
Xだとその辺り(長文が書けない仕様などで)相性が悪いので難しい部分はあるでしょうが、もしこのぼくの乱文を読んで心当たりがあって「直そう」と思っていただけるなら、5600字超の長文を書いた意義があるかなと。

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