私が大阪から東京に移り住んだ理由

大阪で産まれて、大阪・奈良で育って、関西圏に就職しながら、今はすっかり東京のど真ん中で暮らすようになってしまったが、はてはて、何がきっかけで上京したのか、ちょっと整理してみることにした。

①社会人になって世の中の多くのことは、特に仕事は、東京のヘッドオフィス中心に回っていることを目の当たりにしたこと。関西圏の勤務先では、悪く言えば企業や日本全体の経済活動の末端の一つにしかなり得ない。もっと中心で自分の力を試したかった。
→入社4年目で得たグループ本社への出行のチャンスで上京。

②学生時代から音楽が好きで、大阪でも月に何回もライブやコンサートに行っていたが、東京ではライブをする回数も多く、そもそも大阪には来ないアーティストもいることに気がついた。来日ミュージシャンなんて殆どが東京のみである。そんな理不尽なことはない!それなら東京に行きたいと思うようになった。また、学生時代に知り合った「師匠」の小川文明さんも、活動拠点を東京に移し、やはり東京に行くしかないのか?と。

③大阪は、私の中では「大いなる田舎」だった。よい意味でも悪い意味でも「地元意識」が強く、よそ者に対しては排他的で、もともとその土地にいる人たちへは非常に好意的だった。悪い視点で例を挙げると、街中で人とすれ違う時も、「俺の街で何を偉そうに歩いてる?」と言わんばかりに肩をぶつけて来て因縁をつけてくるにいちゃんおっさんに事欠かなかった。私はもっとフラットに生きたかった。地元と言うだけで特別扱いしなくて良いから、よそ者でもふつうに接してほしい。その点、東京では、(一部の下町を除いては)ある意味、みんなよそ者なので、フラットな人間関係を保てる。生きて行くのが楽だ。

④そんな東京と大阪の比較を可能にしたのが、高3の時に付き合っていた同級生のカノジヨ。高校入学時に?東京から大阪に引っ越して来た彼女から、東京の羨ましい話をたくさん聞いた。その時は妙に反感を感じて、絶対大阪が良いと思ったものだが、後々この時のインプットが、ボディブローのように効いて来たんだと思う。この彼女のおかげで、標準語がわりとうまく喋れるようになった気もする。

⑤あとは、関西のTV番組が、私の好みには合わなかった。特にお笑い番組は肌に合わず、あのベタなギャグは見るたびに寒い気持ちになってしまっていた。一方で、中高の頃に耳にした、三宅裕司さん主催の「劇団スーパー・エキセントリック・シアター」のユーモアセンスに心が惹かれたのをきっかけに、笑いのツボも東京寄り?になったのだと思う。

関西圏で、これまでの人生の約半分を過ごし、そのあと徳島で延べ4年弱、残りが東京暮らし。これからもたぶん東京の中心部で暮らして行くんだろうな。あと20年、いやできれば30年くらいは生きていたいな。

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