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加賀の紅茶、誕生ストーリー

打越製茶組合が誇る、加賀の紅茶はどうして生まれたのかについて今回はお話ししたいと思います。

すっかり減ってしまった茶畑の管理を所有者ではなく組合役員が剪定、施肥などを共同で行うことによって、維持と品質向上や安定に繋げて管理体制を整えたのが1999年のことです。

2002年からは、打越町の茶の生産を守るために静岡からヤブキタ、オクヒカリの2品種を購入して新植。お茶畑1.2ヘクタールを造成しました。これは地域一丸となった取り組みでした。

5年経った、2007年には茶葉を収穫できるようになりました。さらに茶畑を造成して3ヘクタールまでに広がり、緑茶の販売も開始できるようになったのです。

しかし、緑茶に加工していたのは5月に収穫する一番茶のみ。7月、8月に収穫する二番茶、三番茶は収穫するものの製品化していませんでした。

ここに注目して、2009年に打越製茶組合と石川県茶商工業協同組合が連携。『茶レンジの会』を発足。
悲しいことにあまり利益の出ない緑茶ではなく、打越の特産品として付加価値のある和紅茶を生産するプロジェクトがスタートしました!

打越製茶組合メンバー



当初は生の茶葉を静岡県の丸子に運び、紅茶に加工をしてもらいました。打越の茶葉で製造された紅茶はまろやかで清々しい素晴らしい味。ここに『加賀の紅茶』が産声を上げました。

しかし、茶葉の鮮度を落とさないために保冷庫を使ったり、輸送中の状態に気を配ったりと大変な労力や費用がかかってしまうことが問題点だったのです。

そこで組合メンバーは5年間加賀から丸子に通い、紅茶の製造技術を習得。それは村松二六さんの「紅茶も一般の農産物と同じように、化学肥料や有害な殺虫剤不使用の有機栽培で、安心安全の美味しいものを作らなければ」という精神も受け継ぐ品質の良い紅茶産む結果となりました。

2013年には努力が身を結び、遂に紅茶加工機械の導入をして地元で生産を開始。北陸では唯一、茶の生産・加工・販売の六次産業化を成し遂げるまでとなったのです。

丸子紅茶での研修


#打越製茶組合 #加賀の紅茶 #六次産業化 #丸子紅茶

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