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打越製茶組合の歴史

打越町の製茶組合は大正期にはじまります。
茶業が大きく発展した時期で、大製茶工場もでき宇治の茶問屋に送っていました。

戦後、昭和23年に打越製茶農業共同組合の名前で現在の組合がスタートします。この頃はまだお茶が多く栽培されていたのでした。

しかし、国の施策による畑地開田事業で多くの茶園が姿を消して水田に変化していきます。日本中で米の生産量を爆発的に増やしました。水田こそが日本の原風景とされたのもここがルーツなのかもしれません。
戦後の食糧難であった時代で食糧普及に努めた反面、この政策により米以外の農作物の価値が落ちてしまったため、伝統的な地域ごとの特産品が減ってしまった要因でもあります。

畑地開田事業が終了した昭和33年、打越製茶組合は加賀茶の歴史を途絶えさせないために立ち上がりました。
品質向上を目指して組合員に茶の栽培指導を行い、茶栽培の促進を行います。また、新しい製茶機を導入して近代化を進めました。
昭和43年には小売業も開始し、栽培、製茶、販売も担う組織となったのです。

平成になってからも政府の施策で茶畑が減るなどがあったものの、平成14年には新しい茶畑を造成しました。
さらに打越のお茶を発展させるために和紅茶の製産の技術も磨いて販売しています。

そして打越だけでなく、石川県内の茶栽培のサポートも行っています。

打越の人々の江戸時代から続く茶業へ情熱と努力が、加賀のお茶を支えています。

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