梅雨のさかりに
春夏秋冬といえばおさまりはいいけど、梅雨だって立派な季節である。
「梅雨がこない」と心配されたり、「雨が少ない」と恋しがられたり、「梅雨なのに暑い」と怒られたり、しまいには「はやく明けろ」と鬱陶しがられる。それでも翌年にはまた、「こないね」と求められる。
これほど話題に上がりやすいのも、ひとえにそれが確実に来るものだと信じられているからだ。例えば秋なんかは、どこからどこまでがそう呼べるのかわからない。春だって、冬と夏の通過点でしかない。それなら梅雨の方がよっぽどわかりやすいではないか。
では、なぜ梅雨が季節に入れないのか。それは『楽しみ』がないからだろうか。もちろん、恵みの雨は農業をはじめとしてあらゆる人間の営みに組み込まれている。しかし一般人からしたら、ただ毎日ジメジメとするだけだ。洗濯物は乾かないし食べ物はカビるし気分は憂鬱。
冬はコタツやらスノボやら、寒さを楽しむ方法があり、夏はバーベキューやら海水浴やらと暑さ故にワクワクもする。梅雨になったからといって、まさか『雨に唄えば』のように降雨の中でステップを踏むわけもいかず、雨を眺めて読書するにもその時間が長すぎる。他の時期と比べて『耐えてる』感が否めないのだ。言ってしまえば、あんまり好かれていないのだろう。
そんな梅雨の最中にこそ聞きたい曲がある。これだって時間にして3分くらいの楽しみだが、どこか頭に残るものがあり、雨の音とともに心地よく思考の入り口になる。
もがいてなにかを得てもその分なにかを失う。それを繰り返すうちにどこに行こうとしていたのかわからなくなる。気楽に生きれたらいいよねと思いつつ、つい背負い込んでは自分に期待して裏切られる。雨の中で聞くとそれに同化していくような感覚になる。
歌詞を取り上げるのは押し付けが激しいと思いつつ、また著作権にも留意しつつ、
梅雨よ、また来年!