見出し画像

欠航センキュー

こうやって文章を書くことは抗えぬ性のようで、大学に入学すると同時にブログを書き始めていた。そうはいっても別に上手というわけでもないので、後で振り返って消してしまいたくなる時もある。

30歳になった。20歳になった時もきっと同じように文字を認めていたのではないかと思ったけれど、当時のアメブロは跡形も無かった。恥ずかしかったのだろう。唯一残っていたのはFacebookの投稿だけだった。

あこがれの温泉地

山形の銀山温泉に行った。遠くへ行きたかった。
物理的に体を日常から離すと、時間の流れが変わる。時間の流れが変わると、見えにくかった考えに辿り着く。雪がまだ残り、冷たい雨と暖かい陽射しが交互に顔を出す不安定な山形の空の下で、20代を省みて30代を見通そうとしていた。

20歳になってすぐにドイツへ留学をした。1年間の滞在で30カ国近くを旅した。社会人になってからはやはり好きな旅行を仕事とし、そのあとはもっと好きな九州に移り住んで暮らした。「やりたいこと」をしていた。

「やりたいことをやっているつもり」だったのかもしれないと、今は思う。僕は悲観的な思考をする癖がある。そんな目で見ると、この10年は疑わしくも思えてくる。なぜか悔しさが先立つからだ。
本当の本当に、僕はやりたいことをやれてきたのか、と。

松尾芭蕉も旅をしていた

「やりたいこと」ではなく「やれること」をやっていた、のかもしれない。例えば桑田佳祐のライブで、あるいはBLUE GIANTの映画で、泣いてしまう。人の全力を見て涙する。「そちら側」には行けていないとどこかで認めている証拠だ。

10年を洗う機会はあまりない。一緒くたにされて怒る自分もいるだろう。
けれど次の10年は、カッコつけず、キャップはめず、「(やれないかもしれないけど)やりたいこと」と「(やりたくないけど)やるべきこと」ができる、胸を張って言える時代にしたい。

寝ていたい


全ての旅を終えリラックスした搭乗待合室の中、山形から帰るためのフライトは土壇場で欠航した。
1時間で帰れるところが、3時間の新幹線移動になった。

お前できてる気でいるなよ、と言われている気がした。

武蔵小山の家に帰ると、30歳になっていた。

これからもよろしくお願いします!
ミミイカかわいい

最後まで読んでくださいましてありがとうございます! 一度きりの人生をともに楽しみましょう!