しがない妊婦の切迫早産

初めてnoteというものを使ってみる。
というのも毎日ただひたすら横になる生活の中、自分が積極的に動けない事を理由に通販で買い物しては自己嫌悪するだけの日々を少しでも変えたいと思ったからだ。
使い方はよくわかっていないし、自分は問題提起するつもりもない。けれどもしかしたら同じような人がいるかもしれないし、自分の感情が整理されていくかもしれない。妊婦なので記録にもなるかもしれない。だから書いてみようと思った。

いつもの検診で突然日常が変わった

24週のある日、特に何の自覚もなくいつも通り近所の産院に検診に行った。
突然医師が「良くないねぇ」と一言呟き、私のマタニティ生活は一変してしまった。

話を聞いていくと、どうやら子宮頸管と言われる部分が短いらしい。
24週では25mmないといけない頸管が23mmほどしかないそうだ。
たかが2mmなのだが、されど2mmらしい。
つまり切迫早産と言われる状態だ、と状況をまとめたお手紙まで書かれてしまった。

旦那が呼ばれ、医師からは「今日入院するか、それとも自己責任で帰るのかどっちかを選択してほしい。入院するならば産むまで帰れない。自己責任で帰る場合はNICUもないうちの産院ではどのような結果になっても責任は取れない」と言われる。

私は安月給の普通のOLで、旦那は夜勤のあるサラリーマンだ。まだ24週で引き継ぎも終わっていなければ、入院費などもどうなるのかわからない。そして家には愛する猫がいる。
何にせよ1週間は絶対安静と言われ、私は突然そこから会社には行けなくなった。

私には頼れる人間がいない。
なぜなら自分の実家とはほぼ絶縁状態にあるからだ。友達も多くなく、頼って良いような間柄の人はいない。
そんな中、話を聞きつけた義両親が隣県から来て真剣な家族会議が行われた。
何故か全員で私の入院を促してくる。
しかし当の私は絶対に入院は御免だった。

私は以前、子宮の筋腫で手術を受けている。
その時に2泊だけ入院をしたのだが、一般の人にとっての入院がいかに精神的苦痛を強いられるものか経験したこともあり、24週から予定日迄…3ヶ月にも渡る孤独な入院生活だけは耐えられないと思った。

精神的に不安定ながらも入院を選択する前に出来ることはないかと考えた私は、以前手術でお世話になった大学病院へ転院することにした。
転院した先でも入院が必要と言われるなら入院をするという条件で義両親を説得し、とにかくすぐに大学病院の予約をした。

大学病院からしたら軽症すぎる妊婦

実際に大学病院に行くと「確かに頸管自体は短いものの、ボーダーライン。ハイリスクだけど優先順位としては低い。入院も手術もいらないため、無理しない程度で過ごしながら経過観察していく。」そんな診断だった。

経過を見ながら36週まで持てば元の産院に戻るという形で話はまとまったものの、一度産院に見捨てられた状況から頸管の長さが変わっているわけではないため、なんだかんだ元の生活には戻れるわけもなく…。

そんなこんなでストレスが大きかった仕事はそのまま休職することになり、外出を楽しむこともできない「安静」をベースにした家事とゴロ寝の日々が始まった。

マタニティライフならぬ切迫早産ライフ

そんな感じでただ寝ているだけの時間を過ごし、不安から近所の買い出しすら行けない息抜き知らずの私のマタニティライフが始まった。

36週までは大学病院での検診になるのだが、大学病院からしたら超軽症妊婦かつ、自院で産むわけでもない貧乏妊婦の扱いはたかが知れている。
毎度の楽しみであるはずのエコーは超時短、待ち時間に対して数分で終わるため、なんだか毎度の検診がただ流れ作業のように感じられる。産院のようなアットホームな空気はそこにない。

かといって、36週までの妊娠継続が約束されたわけでもないので、不安から子供が育っていく実感や楽しみを前向きに考えることもできず、何でもないのに涙が出る日も多い。

・出産への不安
・育児への不安
・職場復帰への不安
・産後の自分の身体への不安

多すぎる不安に心が追いついていかないのが現状だ。だから何かを楽しむという事がいつも以上にできず、鏡を見る度にどんどん醜くなっていく自分にも悲しくなっていく。

自分が大切にしてきた息抜きはすべて妊娠と体の変化によって失われてしまった。

皆はどのようにこんな時間を過ごし、どんな息抜きを楽しんでいるのだろう。

しばらく経過したが未だにこれといった楽しみは見つからない。ベッドの上でもできる楽しみが見つかるか、早く気温だけでも暖かくなってくれたらいい、そんなことを思いながら毎日を過ごしている。

36週を無事迎えられたらもう少し心は軽くなるのだろうか。
迎えるまでにnoteを書く事が楽しくなっていることを願って。

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