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コンテクストのズレは笑いの泉

2019年のM-1王者はミルクボーイさん。アタマに浮かべたコーンフレークが「あー、たしかに。そうそう!」とどんどん立体化されていくネタでした。

コーンフレークというコンテンツを支えるコンテクストをいろんな角度から切り取って描写し、笑いに変えていく。笑いが起きるのはコンテクストのズレに共感するからです。

たとえば、朝いちばんの食事は一日を活気づけるためにバランスよくゆっくり時間をかけて食べましょうという教えがあるにもかかわらず、たいして食欲ないし(寝るのも遅かったし)時間もないし小腹が満たされたら十分なんだよという本音がある。パッケージの成分表示は公平な基準じゃないといけない・他の製品を混ぜた表記はずるい、というのも同じ構造ですね。教えと本音のズレを再確認して、自分ごととして思い出し笑いをするんだと思います。

コンテクストとは、普段は言葉にしていない、見えていないものです(寝起きにコーンフレークを選ぶ理由なんて熟慮しませんし誰に対しても説明責任なんてありませんからね)。でも確かに存在するもの。むしろコンテンツとして聞こえている・見えているものよりもでっかくて複雑で深遠なるもの。その人やその出来事を創り出している文脈。このnoteでは私自身のコンテクストを連ねていきます。

仕事サイドからは私の中にある経営や組織開発のフレームワークを紹介します。なにしろ30年超のビジネス人生で2000万円くらいは学びに投資してきましたから、数だけはたくさんあります。もちろんよくわかりきってないことが大半で、積読も8割ですが、それでも何かしら自分に影響していると思います。私が仕事場面で発する言葉や態度(=コンテンツ)の背景(=コンテクスト)は紹介するフレームワークです。

時々、プライベートのコンテクストも書けるかもしれません。でもたいして誇れる趣味も持たないし、胸をはってすべて吐露できる人生を送ってきたわけではないので書けるかどうかはわかりません。まずは好きな演劇や映画・小説からの気づきを仕事に重ねて書くくらいだと思います。

コンテクストがわかれば、たいがいのことは許せます。「そう思ったのね」「そう考えたのね」がわかれば、同意するかは別としても多少の理解や共感を覚えるものです。で、自分のコンテクストと相手のコンテクストに違いがあれば、それは笑いのネタです。「なんだ、そこが違ったんじゃん!」

コンテクストのズレは笑いの源泉です。なのに笑えないのはズレに気づかないから。あるいはズレに寛容になれないから。

ズレに笑うと空気が緩んで隙間ができます。新しいアイデアが入り込んでくる隙間が生まれます。どうぞ私のコンテクストも笑って頂き、みなさんとの間に緩んだ隙間ができますよう。


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