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有村麻央は抑圧されたのか?

この記事は筆者の評価並びに主張であり、サークル「ノモス」参加者全員を代表する記事ではありません。またこの記事は政治思想およびジェンダー規範を扱うため、それを理解した上でお読みください。


「――『可愛い』からこそ『かっこいい』。 ボクらしくやってみますよ。」

アイドル名鑑 「有村麻央」より

有村麻央とは

一ヶ月ほど前、バンダイナムコからアイマス第六(876を含めば7?)のブランド、学園アイドルマスターがリリースされた。個性豊かなキャラクターやカジュアルなゲームシステム、アイマスの伝統である奇抜な要素などが受け、あっという間に頭角を現した。そんな中、あるキャラクターのコミュを巡って論争が起きている。
その渦中にある有村麻央はアイドルを養成する初星学園の高等部三年生であり、今年度で卒業にも関わらず伸び悩んでいる生徒の一人であった。これに目をつけたのが初星学園プロデュース科に籍を置く主人公、つまりプレイヤーであるプロデューサーだ。
余談だが彼は大学生であり、プロデューサー科は初星学園内の専門大学に存在する(日本には類似の教育機関があれど専門大学自体は存在しない)。
話を有村麻央に戻すと、彼女は子供の頃から憧れていた歌劇のスターに近づくために「みんなの王子」様として振る舞っているが、明らかに丈のあっていないブレザーを着ており、また身体的な見た目も「カワイイ」。


有村麻央のビジュアル

第一印象は人によってまばらであろうが、少なくとも劇中ではカワイイを主軸にしたプロデュース提案を何度も受けており、「カッコいい王子様アイドル」を目指す彼女にとっては相当の不服であった。そんな中プロデューサー=プレイヤーが提案したのは、カッコいいとカワイイの両立であったというのが大まかな前半のコミュ内容である。
コミュの内容そのものの説明はここでは割愛するが、ポイントとして

  • 憧れた歌劇のスターのようなカッコいい王子様としてアイドルになりたい

  • しかしカワイイ見た目からそれを強調するプロデュースを提案され、それを拒み続けることでカワイイ自体がトラウマになってしまった

  • プレイヤーはカワイイを否定することなくカッコいいを追求できると断言した

といったところを踏まえておいていただきたい。

詳細に関してはからくちマスタード氏のこちらの記事を参照されたし(引用の事後報告ご容赦ください。)

抑圧か、解放か

対立を紐解く

リリースから一ヶ月が経過しようとしている頃、有村麻央の一連のプロデュースが女性性の押しつけであり、とても配慮に欠ける内容であるとのツイートが拡散された。以前からこのような意見は多少見られたものの、ある程度有村麻央の設定とプロデュース内容が周知されたことでそれに触れるユーザーが増え、結果的に賛否が割れることとなった。
コミュの賛成派はというと多数は有村麻央の属性の両立、ゲームで登場したワードを用いれば「可愛くてカッコいい無敵の王子様系アイドル」という自分らしさを見つけたことを肯定している。
ただ私が今回掘り下げたいのは、既に様々な記事が上がっている「有村麻央の個性とは?」という問いではない。有村麻央のプロデュースは女性に対する抑圧かジェンダー規範の解放のどちらなのか、そしてその問いは果たして正しいのか?である。
そもそもジェンダー規範の解放という主張は何?というところであるが、出元は把握する限りにんじん氏のこの記事からである

(引用の事後報告ご容赦ください)

この2つの意見はどちらも「ポリコレ」として扱われる事が多く、同じ主張だと混同されることが多い。しかしこれは似て異なるものであることをここに表明したい。ただ、この対立は既に社会を分断する重大なイデオロギーであることもまた記さなければならない。

ジェンダー解放・セックスの否定・社会的抑圧

対立軸の後者、ジェンダーの解放を主張する勢力はそもそもアメリカで生まれたものである。
大元は現在活発に行われているLGBTQ運動のバイブルである「ジェンダー・トラブル」である。哲学者であるJudith Butler氏がジェンダー・トラブルで主張するところによると

  • 自然な性差、身体的性の違い(セックス)は不完全かつ混沌とした器官の塊にすぎないにも関わらず、胸やペニスの違いだけで性差があると社会的に規定されてしまっている

  • セックスもジェンダーも社会的抑圧により規定されたものであり、本来は多種多様な性が入り乱れ増殖しており、それらを包括しクィア(Queer)と呼ぶ

とし、これをもとに性的マイノリティの連帯を呼びかけ、その独自性から運動の原動力としてのクィア理論を確立した。上記の記事ではクィア理論自体は明言されてはいなかったものの、有村麻央のプロデュースを社会的規定への批判とジェンダー、つまり社会的に構築された性の打破という点で掘り下げており、おおむね理論の主張と合致している。クィア理論の特徴としてはセックス、つまり身体的な性別の差異すらも科学的として身勝手に規定し、それによってマジョリティによる抑圧の道具にしていると主張する。このようなラディカルな意見は件の話題では現状見られないものの、こうした主張自体は自然発生しうるとも考える。

社会的抑圧・革命・規範解体

対してコミュ反対派の主張はカワイイという女性らしさの規範を押し付け、彼女が忌避していたカワイイというワードの多用、「胸も膨らんで…」などの第二次性徴の強調が配慮に欠けるというものであった。この主張はいわゆる「ポリコレ」としてオタクに忌避、敵視されているものの主流であり、こうしたものは一見して女性への偏見や差別、規範の押し付けを是正するものとしてリベラルが肯定しているが、これもまたアメリカの思想から端を発するものである。
アメリカでは建国以降黒人差別がはびこっており、南北戦争と奴隷解放、公民権運動によるジム・クロウ法の廃止があってなお(アジア人やその他有色人種を含め)、差別は根強く残り続けている。そんな中、アメリカのマルクス主義者はこうした人種差別を抑圧者と被抑圧者というマルクス主義的観点から分析し、革命が発生しないのは被抑圧者が抑圧者の文化を受容しているためで、その規範から脱出しかつ絶え間ない批判をもって社会的に旧来の規範を解体しなければならないとし、これを批判的人種理論として体系化した。
この批判的人種理論、(critical race theoryを省略し)CRTはその簡単に応用可能な論理からジェンダー運動にも影響を与え、「女性は社会的マジョリティ、権力者の側である男性により抑圧されている、そのために現在の規範と社会を解体しなければならない」との主張が生まれた。これが日本やオタクコミュニティに持ち込まれ、ポリティカル・コレクトネス、ポリコレとして猛威を振るうこととなるのだ。

有村麻央は解放されたのか

結論

さて、本題は有村麻央は一体なにから自由になったのか、という話である。
ここで重要なのが、有村麻央は女性性そのものへの嫌悪を持ち合わせていたわけではないということである。様々な場所でも述べられている通り、あの歌劇のスターは男役の女性であったし(モデルは十中八九宝塚)、彼女が真に恐れていたことはカワイイがカッコいいの邪魔をすることであった。
カッコいい、カワイイがジェンダーロールの最たる例であり、これを克服すること、ジェンダーレスが今回の最適解であったと考えるのも、個人として部分的には理解できるし、このロジックのためにクィア理論(に似た持論)が受け入れられたのも人を規範から自由にしているように見えるからだろう。
ただ、私は彼女という存在がプロデューサーの存在と助けこそあれど、結果として可愛くてカッコいい、無敵の王子様こそ自己であり理想のアイドル像と気付き、有村麻央という一人の人間がアイドルとしてその信念を引っ提げ舞台に立つことを選んだ成長譚こそがこれまでの物語であると結論付けたい。彼女の固定概念はジェンダーロールの決めつけに見えることこそあるものの、本質は自分を客観視してかつ肯定する勇気を持てなかったことが真の問題であったのだ。

Fluorite

私は結論の根拠をコミュではなく彼女の一番最初のソロ曲である「Fluorite」に求めたい。この章はその歌詞を引用することで締めたい。

自分らしいニュアンスで

開けてく世界はきっと

誰にも似てない渡さない

オンリーワンに輝いて

君だけのイメージで

広がる景色はずっと

遠くの果てまで続くよ

怖がらないで見せてよ

https://genius.com/Hatsuboshi-gakuen-fluorite-lyrics

〆るに当たり

私が私の言いたいことを書くというよりも、これまでの議論が党派間紛争に収束し、アイドル有村麻央の像が溶かされていくことへの不満表明である面が濃い記事である。担当アイドルが文化戦争に巻き込まれ、曲がった解釈が通るのは個人的に腹立たしいし、勿論私自身の党派性もはらんでいる。これは次回に回すとして、最大の懸念はアイドルマスターの話題で大真面目に政治思想の話を初めたのも、周りの同僚たちがそれ自体を知らずに使い続けていたことに対する憂慮でもあった。ただ、中にはそういった知識を溜め込んだうえでアウトプットする人がいることも理解している。重要なのは、今自分がどういった立場で、その意見が何を意味するのかを理解してほしいという"押し付けがましい"願いであった。。そのうえで何が正しいかを考え、選んでもらいたい。我々はまず党派の前に自立した個人であり、彼女と同じように理想を追い求める自由を持っているのである。

筆者 青白(セイハク)規範


引用 参考文献

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr/63/3/63_341/_pdf


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