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有村麻央コミュは本当に「可愛い」の押し付けなのか?

!!注意!!

この記事には学マス有村麻央の親愛度10コミュまでのネタバレが含まれます。
ネタバレを踏みたくない方はブラウザバックしてください。




有村麻央のコミュに対して批判が集まっている件について

私は学マスの全アイドルの親愛度10を達成し、その中でも有村麻央のコミュに一番感心しました。

しかし、現在、有村麻央のコミュに対して「可愛いの押し付け」「プロデューサーのデリカシーがなさすぎる」と批判が多数集まっています。

確かに有村麻央のコミュは見る人によっては不快に感じうる要素が色々とあることは否めませんし、私も表現方法に全く問題がないとは思いません。

しかし、学マスが有村麻央のコミュを通じて伝えたかったメッセージの本質は、決して性に悩める人々を否定するようなものではなく、むしろ大きな希望になりうるものだと私は感じています。

それをこの記事を通じて伝えたいです。あくまで私の個人的な解釈には過ぎませんが、有村麻央のコミュを読んで納得がいかなかった人にぜひ一度読んでいただきたいと思います。

なぜ賛否両論なのか

まず大前提として、有村麻央のコミュを低く評価している人と高く評価している人の視点の違いから分析していこうと思います。

有村麻央のコミュを批判している人も、評価している人も、どちらも「ジェンダー平等」「性の自由」という価値観を重視していることに違いはありません。ではなぜ、同じ点を重視していながら評価に差が出てしまうのか。

まず、有村麻央コミュを批判している人は、「女性アイドルは結局可愛くないとダメなのか」「女性が男性らしい振る舞いをすることを『似合わない』と否定しているのはいかがなものか」「第二次性徴期の女性の悩みに対してデリカシーが無さすぎる」といった意見が多いように思われます。
つまり、有村麻央は王子様のような振る舞いを望んでいるのに、結局女性らしい振る舞いをするよう引き戻されてしまっている、そんな風に見えるという点を批判しているわけです。

一方で私のように有村麻央コミュを高く評価している人は、むしろその一見すると旧来のジェンダー観の押し付けにも思えるような態度が、実はかなり先鋭的なジェンダーフリー的価値観の表れであると解釈しています。

要するに、極めて先鋭的でラディカルであるがゆえに、かえって保守的に見えてしまっている。それがこのような賛否両論を引き起こしてしまっている原因なのではないでしょうか。

真の「性の自由」とは何か~ジェンダー概念の破壊~

では有村麻央コミュのどのあたりが先鋭的でラディカルなのか。

それを理解するには、真のジェンダーフリーとは何なのかについて考える必要があります。

現在世の中で叫ばれている「性の多様性」とは、「男が女に、女が男に移行する自由を認めよう」というものです。
つまり、「誕生時に女性と認定された人が男性らしく振る舞ってもよいし、逆もまた然り」という態度なわけです。

確かに昔は「男として生まれた者は男らしく振る舞い、女として生まれた者は女らしく振る舞うべし」という価値観でしたから、それに比べたらはるかに「自由」なのは間違いないでしょう。

しかし、それが果たして本当に真の自由なのだろうか?そういった疑問を呈する立場もあります。
「男が女らしくてもいいし、女が男らしくてもいい」という考え方の根底には、「男らしさ」「女らしさ」なるものの存在が前提としてあります。
それでは結局、旧来の男女二元論が形を変えているだけに過ぎないのではないか?
真の自由を目指すには、「男らしさ」「女らしさ」というジェンダー概念そのものを破壊する必要があるのではないか?
よりラディカルにジェンダーフリーを追求すると、こういう結論に至るのです。

そして、私は有村麻央コミュが見据えているのはこのラディカルなジェンダーフリー観だったのではないかと考えています。

モノに付与されたジェンダー性を引き剥がす

具体的に有村麻央のコミュを見ていきながら、このラディカルなジェンダーフリー観がどこに表れているのか、確認してみましょう。

有村麻央は、「自分の憧れる王子様のイメージではないから」という理由で、スカートを履くことを拒絶しています。
自身の胸のサイズや身長の低さといった身体的特徴にもコンプレックスを覚え、それらを隠すような服装と立ち居振る舞いをしています。

また、ストーリー後半になると、「プロフィールには甘い物は食べないと書いていたが、本当は甘い物が大好き」「ブラックコーヒー派だと偽っていたが、本当は甘いカフェオレが好き」といったような事実が発覚します。

つまり彼女は、「スカートや甘い物=可憐な女の子らしい」「ズボン=王子様(男)らしい」といったような、いわば「モノに付与されたジェンダー性」に強く固執していたことが分かります。

しかし、こういった「〇〇は女らしい、△△は男らしい」という考えにちゃんとした根拠はありません。
身体的に男性とされる人がスカートを履いたらその人はたちまち女性になってしまうのでしょうか?いや、男性が男性のままスカートを履くこともできるはずです。
特にMマスの水嶋咲を知っている人ならよく分かるはずです。水嶋咲はスカートを履き、ツインテールで、可愛らしい振る舞いをしますが、彼は女性になりたいからそうしているのではなく、ただ可愛くなりたいからそうしているだけ。つまり彼にとってスカートやツインテールは男性性を否定するものではなく、ただ「可愛い」それだけなのです。

真の性の自由を実現するためにまず必要なのは、このように「モノに付与されたジェンダー性を引き剥がす」こと。有村麻央コミュはそれをやろうとしているのではないでしょうか。

その答えは親愛度3コミュにあると思います。
自身の見た目へのコンプレックスを吐露する麻央に対し、プロデューサーはこう言います。
「あなたが憧れたかっこよさは外見で左右されるものですか?」と。

胸が大きくて、身長が低くて、甘い物が好きで、スカートを履いていたら、王子様にはなれないのか?かっこよくなれないのか?否、そんなはずはない。かっこよさの本質とは見た目やモノではなく態度にあるはずだ。そしてそのかっこよさは可愛さによって否定されるものではない。まずは今まで拒絶してきた「可愛さ」を受け入れること。そうすることでかっこよさの本質を理解しろ。
これが有村麻央コミュの伝えたかった最大のメッセージのはずです。

実際に、プロデューサーは、麻央が後輩を積極的に助けている姿を見てプロデュースしたいと決意し、メイドカフェで店員を助ける姿を見て「とてもあなたらしい」と評しています。
つまり麻央が既に持っている「かっこよさ」、そして麻央が本当に憧れたはずの「かっこよさ」とは「何も考えずとも自然に人助けができる優しさ」だったのです。

麻央は、モノや身体的特徴に付与されたジェンダー性に固執するあまり、そのことに気づけなくなってしまっていました。
そこでプロデューサーは、麻央に「可愛い」を受け入れさせることで、見た目や振る舞いが可愛くても「かっこよさ」の本質は揺るがないことを教えたのです。

これはある種ショック療法的な手段でもあります。今まで強く拒絶していたものを受け入れさせるのは相当に難しいことです。しかし、初星学園に来て3年目になってもまだくすぶっていた麻央には必要なことだった。
これは、シャニマスの七草にちかのGRADのエピソードと似ているようにも思えます。

「靴を脱ぐ」ことに、「終わって」しまうことに強い恐怖を覚えて自分を痛めつけるにちかに対し、「靴を脱いで選考に落ちてきてくれ。それで何も終わらないことを証明する」と言い放つプロデューサー。
彼女のデリケートな感情をえぐるような行為ですが、自傷行為を止めるためには必要なことでした。

麻央のプロデューサーがやりたかったことも同じなのではないでしょうか。「可愛くてもかっこよさが否定されたりはしないことを証明するから、可愛くなってほしい」。そういう思いだったのではないかと私は解釈しました。

自分らしさを否定しない、変わるべきは社会の側

そして、有村麻央コミュでは何度も「自分らしさ」というワードが登場します。麻央のソロ曲「Fluorite」でも「自分らしさ」というコンセプトが強調されています。

ここにもラディカルなジェンダーフリー観が表れています。
麻央のように、「胸が大きくて、身長が低いので、女の子らしく見られて困っている」という人に対して、「では胸を潰して身長を高く見せましょう」と言うのは、果たして本当にその人にとって「救い」になるのでしょうか?

そもそも「胸が大きくて身長が低い=女の子っぽい」という見方をしているのは社会の側であって、本人はそれに対して何の責任もありません。それなのに、そういう社会の視線に合わせて自分のアイデンティティを否定するのは、幸せなことなのでしょうか?

本当の幸せとは、胸が大きくて身長が低くても「女の子」扱いされない世界に、ありのままの姿で身を置けることではないでしょうか?

麻央のプロデューサーは、「可愛い売り出し方をした方が売れる」みたいなゲスな考えを持っていたわけでは決してなく、真に麻央のコンプレックスを理解し、そこから解放される道を模索したからこそ、「自分の素の可愛らしい部分を受け入れてほしい」という結論に至ったのだと思います。

もちろん学マスの世界が理想の世界というわけではありません。今私たちがいる社会と同じで、ジェンダー概念は存在していて、やはりスカートを履いていて胸が大きくて身長が低ければ「女の子っぽい」と思われてしまうことは避けられません。だからこその、「可愛くて、かっこいい」というコンセプトなのだと思います。
「世間一般的には可憐で可愛らしい女の子に見えるだろうけど、それでも僕は『かっこいい』ですよ」という宣言。それが有村麻央というアイドルなのではないでしょうか。

ひとは誰もみなおんなじではないから
正解かどうかは君が決めていいんだ

『Fluorite』より

社会が決めた「正解」に合わせて自分のアイデンティティを曲げなくてもいい。「正解」は自分が決めろ。「Fluorite」の歌詞はまさにそのようなラディカルな姿勢を象徴したものといえます。

それはそれとして、表現が下手

以上のように、有村麻央のコミュが本当に伝えたかったメッセージそのものは、ゴリゴリのジェンダーフリーでした。

しかし、それが上手く読者に伝わっていないのは事実です。私は有村麻央という存在、そしてそのコミュのコンセプトについては非常に高く評価しますが、その表現方法が非常に拙いとも思います。

〈良くないポイントその①〉説明不足

たった10話で全部の説明をしろというのも無理な話ではありますが、それにしても、プロデューサーの無茶な要求の根拠がほとんど説明されず、そしてそれをなぜか麻央がいつの間にかするっと受け入れているみたいな感じになってしまっていて、読者が置いてけぼりになるのも否めません。

「あれだけ嫌がってたのになんですんなり受け入れてるの!?都合が良すぎない!?」って思ってしまうのも無理はないと思います(まあこれは麻央に限らず学マス全体の問題でもありますが)。

〈良くないポイントその②〉やたらめったら赤面させる

なんかこうとりあえず照れさせとけばいいだろ!みたいな雰囲気があるようにも思えます。
メッセージ性の説明が不足している中でこういう表現をされると、「結局お前ら女の子が照れてるところが見たいんだろ?」みたいな意図があるように感じてしまうのも無理はないかなと思います。

〈良くないポイントその③〉周囲のノンデリ感

ことねに「可愛いのに王子様みたいな格好しててもったいない」と言わせたりとか、まだ麻央がコンプレックスを解消できていない段階でプロデューサーが何回も「あなたは可愛いです」って言ったりとか、こういう描写があるせいで、麻央本人の深刻な悩みを軽視してるようにとられてしまっています。
かなりデリケートな問題で、現実に同じような悩みを抱いている人がたくさんいる中で、安易にコメディタッチな描写を詰め込みすぎるのはちょっと……という感じですね。

まとめ

要約すると、私が伝えたかったのは

「有村麻央のコミュはありきたりな『可愛い』女性アイドル像の押し付けなどではなく、むしろ男女二元論的なジェンダー概念の破壊を目指す先鋭的なメッセージ性を持ったものだが、表現に問題があるので上手く伝わっていない」

ということです。

とはいえ、まだ麻央に関しては親愛度コミュとSSRコミュとサポカコミュくらいしか出典がない状態なので、今後このメッセージ性をうまく表現したイベコミュとかが出てくるかもしれないと期待しています。

がんばれ学マス!!!!

2024/06/27 追記

私の記事を引用してより話を掘り下げてくださった方がいらっしゃるので、その記事を紹介させていただきます。

私の意見をクィア理論に基づくものとして整理したうえで、麻央のコミュをジェンダー規範とは離れた視点から読み解くこともできるのではないか?と提唱しておられます。

クィア理論については大学の講義で勉強した程度で自信がなかったので、誤解があってはいけないなと思いこの記事ではそのような用語を使うことを避けていたのですが、主張の内容としてはその通りです。私の立場としてはsex is genderに近いです。

そして麻央の問題は本当にジェンダー規範による抑圧だったのか、という点に関しては私自身も若干引っかかっていました。
けれども、コミュ内では麻央本人から「体が女の子っぽくなって」とか、「女の子/男の子に見られる」といった発言が複数回あり、本人がこれだけ自分の身体的特徴が他人からどちらの性別として捉えられるのか、というところを気にしている描写がある以上、ジェンダー規範と無関係にこのストーリーを論じることは不可能なのではないかと考え、こういう形でこの記事を書きました。

ただ、現段階では麻央、あるいはプロデューサーの言う「可愛い」「かっこいい」「女の子っぽい」「男の子っぽい」の定義が明らかにはなっておらず、それぞれがどの程度重なり合っているのか、どの程度関係しあっているのかということがハッキリしていません。

なので、これらをジェンダー規範と結び付けて論じる余地も、また逆にジェンダー規範から離れて論じる余地も、両方あると思います。

当記事本文の結論の繰り返しにはなってしまいますが、まだ学マスはサービス始めたてでほとんどストーリーも出ていない段階なので、今後の展開次第でどちらに転ぶかな、という感じですね。

そして思ったよりもこの記事の反響が大きく驚いております。読んでくださった方、紹介してくださった方、ありがとうございます。
あまりにも通知が多くて追いきれていないので、もし他に私の記事を引用して記事を書いておられる方がいらっしゃったらぜひコメントで教えてくださると嬉しいです。

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