名脇役としての人生


NHKのチコちゃんをチラ見していたら、何故大人は一年があっと過ぎてしまうのかと、探っていた。
結論は、子供の頃のようなトキメキが大人になると無くなるからだ、という。

昨日は何していた?
去年は何していた?

に直ぐに答えられないのは
楽しいこと、忘れられないことが
いっぱいの子供時代に比べて
トキメキが失われた
に直ぐに答えられないのは
楽しいこと、忘れられないことが
いっぱいの子供時代に比べて
トキメキが失われた
大人になってしまったから
だという。

確かに
そうかも知れない
妙に大人っぽくなってしまった
大人なのかも知れない
子供の頃、描いていた未来は
こんな感じだったのに
と思う!

宝箱のようなトキメキ、ワクワク‼️

人は主役として生きているだろうか、脇役として生きているだろうか。

自分の人生の主役であることは間違いないが、舞台を社会にしてみて主役だろうか、脇役だろうか。また家庭においては奥さんが主役で夫が脇役の場合も有り得る。

何れにしても、舞台の主役として演じるタイプでないとすれば、諦める部分は諦めて、自己評価していない、又は他から評価されていない才を再評価する道があってもいいのかも知れない。

岸部一徳さんに何かヒントがあるかも知れないですね。


俳優の岸部一徳(77)が26日放送のフジテレビ「ボクらの時代」(日曜前7・00)に出演。ミュージシャンから俳優に転身した当時を振り返った。

堺正章が「あなたは見事な復活を遂げましたよね」と感心すると、岸部は「考えてみれば、希林さんのおかげもありますね。やっぱりね」としみじみと話した。

「人前でしゃべるより黙っているほうが好き」という岸部が、この世界で60年ほどを過ごしてこられたのは、いつも人との縁があったからだという。
久世のすすめで樹木希林の事務所「夜樹社」に入り、俳優としてのスタートを切った。

「希林さんと大楠道代さんの面接を受けた。『あなたに合う役があったらお願いするけれど、うちは生活のために仕事取ってきたりは一切しない。それでも大丈夫?』『はい』なんて話をして。本当に何年か、ほとんど仕事はなかったですね」

本当に何年か、ほとんど仕事はなかったですね」
結婚して、子どもも生まれたばかり。渡辺プロ時代は入っただけ使うような暮らしだったので蓄えも雀の涙だった。家賃の安い住まいに引っ越しを続け、「ぜいたくをしない、友だちとも会わない」と生活を切り詰めた。赤ん坊の世話もよくした。

「朝5時に起きてね。でも海の向こうではジョン・レノンも同じことをやってると思えばちょっとカッコいいかなと思ってましたね」

岸部一徳の父、徳之輔は職業軍人で、終戦までは憲兵だった。

「戦争が終わってからは一度も定職に就かなかったですね。探偵の真似ごとをしたり、いろいろやったりしてましたけど。囲碁が好きだったから囲碁道場を開いてみたり。自分はお金がないんだけど、父の勝負に賭ける人がいて、勝つとすき焼きだったり。そういうのをいつもやってましたね」

岸部ら子どもたちも苦労は多かっただろう。

「どうなんでしょうね。みんな貧乏な時代だからねえ。うちは兄弟も多いんですよ。全部で10人くらいかな」

脇役としてのイメージが強い岸部一徳ですが、1990年、映画『死の棘』にて、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞受賞など数々の賞を受賞しています。

『死の棘』は島尾敏雄による私小説が原作で、それを1990年に映画化したものです。 監督、脚本ともに小栗康平が務め、海軍震洋特別攻撃隊の隊長であるトシオ役を岸部一徳、その妻ミホ役を松坂慶子が演じました。

第二次世界大戦末期を舞台に、トシオと奄美大島で暮らしていたミホが恋に落ちます。戦争という、死と向かい合わせにある環境で恋に落ちた二人でしたが、状況は一転、二転していき…というストーリーです。

12年から始まったドラマ「Doctor-X 外科医・大門未知子」の神原晶役では手術代回収時にするスキップも有名になった。同作は7期まで続いている。
最近、岸部が出演するドラマは長寿になるという業界内での「新伝説」まで囁かれている。

自分の道を見つけるまでは、試行錯誤があり不遇の時を過ごすこともあるけれど、「身を捨てこそ浮かぶ瀬もあれ」ということだろうか。

大谷翔平にはなれない生き方のヒントがあるのかも知れない!

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