#43 余白があるとおもしろい

特によく読書をするようになったのは社会人になってからですが、昔から本を読むのは好きでした。漫画を読むのも大好きで、中高生の時にはジャンプを始めとした週刊、月刊漫画雑誌はだいたい読んでました。近所のコンビニでずっと立ち読みしてたので、絶対コンビニバイトたちの間で何かしらのアダ名をつけられていたかと思います。

一方で、ドラマやアニメなど「動画」を見たりすることはあまりありませんでした。好きな漫画がアニメ化しても、リアルタイムはもちろん、後から動画サイトでみたりすることもほぼないです。子供の頃から、動画をみることがあまり好きではありませんでした。

なぜなんだろうと考えてみましたが、たぶん、「支配されるもの多寡」がポイントなんだと思います。

例えば、テレビを見る場合、視覚はもちろんのこと、聴覚もテレビが発する情報に支配されます。音を消したら面白さは半減してしまうコンテンツです。そしてなにより、「時間と空間」も支配されます。最近だと録画したら倍速でみることなんかもできますが、基本的には作り手が想定した時間で内容が進み、リビングで見ていたらその間はそこから動くことはできません。スマホとかで動画を見られるようになってまだマシになりましたが、なんという不自由なコンテンツなのでしょう。私はその窮屈さが多分好きではないのです。

一方、本や漫画は素晴らしいです。完全に自分のペースで読み進めることができます。なんなら1冊の本を何日もかけてじっくり読むこともできれば、さっと数十分で要点だけ読み進めることもできます。また、奪われるのが視覚だけなので、音楽を聴きながら楽しめるのが最高です。クライマックスを盛り立てる音楽を自分で選曲できてしまうのです。また、ここも不思議なところですが、前回読みやめた途中から読み始めても、違和感なくすぐ内容に入り込めます。なんとなく、動画よりも途中復帰がスムーズにできる気がします。映画とか途中から見る気がしませんよね。

支配されるか否かは、逆をいうと「余白があるか否か」ということなのかもしれません。最近よく言われがちな「あえて隙を作る」というような意味の余白ではなく、物理的な感覚器官として空いているということです。その時に聞く音楽や場所、タイミングなどを自由に選択できる「書籍」というコンテンツは、受け取り方を高める余地が読み手側にあるという「余白のあるコンテンツ」です。

逆に、以前の投稿でも少し触れましたが、映画館のような圧倒的に感覚器官を支配してくるコンテンツは、それはそれでその没入感を限りなく高めてくれるので面白いです。VRとかもそっち側ですよね。支配してくるならテレビみたいに中途半端ではなく、これくらい極端にいって欲しいのです。

テクノロジーの流れ的には動画やVRといったコンテンツの方が書籍の上位互換のように語られることも多いですが、それぞれ需要のことなる独自のポジションをさらに固めていくんじゃないかぁと思います。

気ままに色々楽しみたいですね。


今日も読んでくれてありがとうございます。ゴロゴロお菓子を食べながら漫画を読むのがこの上ない贅沢です。これを超えるものがないので社会人としてのモチベーションが高まりません。笑


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?