生きるための拠り所

【アイルランド留学210日目】

ストレスフルな会社勤めも慣れてくると、なんだかんだ居心地良くなってくるのは、社内ではみんなが同じルールで過ごしているからだと思います。

どこの会社でも、少なからず、ルールや文化みたいなのがあったり、みんな同じような環境にいるので、ストレスを感じたとしても、それを互いに共有することで軽減できたりします。

アイルランドにきて、色んな国の人の話を聞いてから、なんとなく「宗教」というのも、これに近いのではないかと思いました。

神がどうとかということではなく、人々が互いに価値観を共有できる拠り所となっているという点です。

大学時代にバイトしていたファミレスで、バングラディシュ人のおじさんスタッフと仲が良かったのですが、そのおじさんに子どもが生まれたとき「子どもは神様からの授かりものだから、大事に育てなきゃいけないんだよ」と話していたことを思い出しました。

彼はイスラム教徒で、その教えに忠実に従って暮らしていました。食べる物に制限があったりと、はたから見ると不自由そうな暮らしですが、とても幸せそうに毎日を過ごしていました。

今年の夏に、ドイツのミュンヘンを旅したときに、見知らぬ現地のおじいさんと仲良くなって街を案内してもらったときも「日曜日はみんな教会に行って、そのあとはお酒を飲みに行って、夕方には家に帰るんだ」というクリスチャンたちの暮らしぶりを教えてもらいました。

私からしたら毎週教会行くとかめんどくさいなぁという感じですが、おじいさんの話ぶりはなんだかとても幸せそうでした。

従うべきルールや慣習が明確で、それを守るとその先にいい未来や来世が待っており、それらを共有する仲間がいる、というのが宗教の形の一つと言えそうです。

周りからしたから窮屈なルールでも、本人たちからしたら、それに従うことが安心感、帰属感の源になっているのだと思います。

やはり、日系企業のあり方も似てますよね。

若手のうちにしんどい下積みをこなせば、歳を重ねるごとに自動的にポジションが上がって給料も増え、最後にはたんまりと退職金をもらってフィニッシュ、という仕組みを社内の全員が共有し、みんなそれに黙って従っているので、安心感を持って働くことができるのです。

その是非を考える人なんて誰もいません。まさしく宗教です。

ただ、そういった日本の企業のあり方を否定しているわけではなく、私が言いたいのは、今の日本社会の問題はその「宗教」が崩れてきていることではないかということです。

トヨタの社長が終身雇用の限界を告げたように、これまで人々の拠り所だった会社という組織がガラガラと音を立てて崩れており、みんなそれに気づいています。

いわば、「豚肉を食べずにお酒も飲まずに断食をしたとしても、天国に行けるかはわからないよ」ということを告げられたのです。そんな状況下で、人々はこれまでのように宗教を信じることができるのでしょうか。安心感を感じることができるのでしょうか。

比較的豊かな環境下で暮らせているにもかかわらず、現代の日本人が幸せを感じられず、常に不安を抱えて生きているのは、会社という宗教的なかつての拠り所を失いつつあるからだと思います。

対象は宗教だったり、会社だったり、お金だったり、地域のコミュニティであったり、色々あると思いますが、みんなどこかに拠り所を求めているんだろうなぁ。

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