シンプルに書くことは、曖昧さも強め得ると知った話

最近まで、「何事もシンプルに・簡潔にまとめる」ことが良いことだと思っていた。

もちろん相手に何かを伝えるときは、シンプルさ・簡潔さは重要。
推敲して、本当にその言い回しで伝わるのかどうかとか、時間を費やす必要がある。

でも、自分の場合は
自分用のメモにすらそれを当てはめていたことに気づいた。

普段どんなことを考えているか。
特定のトピックについてはどんな意見を持っているか。

誰に見せるでもない、自分が見て振り返るだけのためのメモ。
ここにも「シンプルさ・簡潔さ」を追求していた。

一見それで良さそうにも思うのだが、
読みやすくなる一方で言葉の「曖昧さ」も強まってしまう。

例えば、自分のメモに

「良いアイデアを思いつくには」

と表題をつけていたことがあった。
これならシンプルで簡潔な表題に見える。

でも、「良い」って具体的にどう「良い」のか?
色んな切り口があるが、自分はどんなアイデアを「良い」と捉えているのか?

自分にとっての答えは、「良い」=「台本に起こしたくなる、ワクワクするような(アイデア)」だった。

自ら文字を扱う活動をしていて悲しい事実だったが、「無意識に整理して書くクセ」のせいで、単語の持つ「曖昧さ」に影響され自分の思考の中身も曖昧になり、結論にたどり着けない状態だった。
自分が正しいと思ってシンプル・簡潔に整理していたメモによって、自分の思考がぼんやりしていたのだと気付いた。

そこで、「ここ、曖昧な表現になっているな」と気づいた箇所は一旦「(曖昧)」と追記しておき、時間を置いて改めて具体的な内容を書き直すようにしている。
本当は思いつくままを整理せずに書き出せるようになるのが一番いいのだけど、整理しながら書き出すことが長年染みついた習性になってしまっているので、焦らず少しずつ改善していきたい。

今回気づいたことで、絡まった思考の糸が一本解けた感覚がある。
絡まった糸はきっとまだまだあるので、当たり前だと思うことを問い直す機会を随時作っていこうと思う。

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