災害続き

凄い。。私は21号としか接触してないけど。。

四国育ちなもので、昔からたくさん台風には出会ってきた。その度に変な気持ちになる。。

色んなものをリセットしているみたいだなと。もちろん第一に景色をリセットする。人々が作ったものがたくさん壊れる。家や車などの高価なものが。道路は水浸しになり、折れた木が飛散する。
その様はまるでこの大地が自然に還されていくみたい。
休校になったり、仕事に行けなくなったり、生活リズムもいつもどおりとはいかない。私達の生活にも変化が現れる。当たり前みたく自分たちに染み付いた習慣からひととき解き放ち、本当に大事なものを考えさせてくる。

不謹慎なことを言う。

今回のような大きな災害は、私には通告のように思える。まだまだ過去に囚われている人達に気づかせるための。
本当に大事なものは何なのか。
各々考えなければならない。
安定は緩慢な死。
歩み寄る精神の腐敗。
それを回避するために、沢山の災害が起こっている気がする。

実際、長い目で見れば沢山の命が無くなった東日本大震災や熊本地震や大きな災害を繰り返し経て、沢山の尊い人命が失われた一方、得たものも数多くあるのではないかと思う。労働礼賛な風潮は震災を大きな契機の1つとして家族やプライベート回帰へと向かっていったように思う。ネットが広まったおかげで全国の人が情報や現場の声を共有し、励ましの気持ちを伝える事ができるようになった。一般的な人生モデルが当たり前でない事が広まった。持たない暮らしが広まった。
などなど。
インパクトが大きすぎて挙げきれないけれど、直接的にであれ間接的にであれ大きく人々の意識を変えてきたことは間違いないかと。

そして、南海トラフは、これらの最後通牒になったりして。。まだ足りない、まだ何か気づけていない。
「お前まさかまだ自分が死なないとでも思ってるんじゃないだろうな?」
って幽白の名言…まさにあれ。
あれを突きつけられるが如く。

南海トラフ地震の時、地域的に99%私は被災する。大ダメージだ。
でもきっと死ねない。やりたい事が、やらねばならぬ事が残っているから。事故や災害で死ぬということは、私にとって喜ばしいことだ。死ぬ時は目的を達成したときだと思っている。だからブチュッと潰されればめでたいけど、生きてしまう気がするなぁ。

部屋が潰れて怪我して動けなくて誰かに頼らないと生活できないとかになりそう…
だって、それが私の苦手なことだから…
下のお世話とか恥ずかしいなぁ…

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