オタク復活

ステージで披露する曲にはファンサなどを一切せずにガッツリ踊る曲と踊らずに客席を煽りながらファンサをするファンサ曲があります。もちろんアイドル達がこの曲ではファンサをする、と決めている訳ではないと思いますが、踊らずに盛り上げる曲は振り付けがないことから比較的ファンサをもらいやすい傾向にある為、オタクが勝手にファンサ曲と名付けているのです。実に私の前に推しが来た曲はファンサ曲で、客席を見渡しながら手を振っていたました。その光景をみたCちゃんは、ノミちゃん!うちわ!推しくんに見せて!と既に興奮状態。推しに見惚れていた私もCちゃんのその言葉に我にかえり、膝の上に置いていたうちわを胸元で持ち直し、どうアピールして良いのかも分からずただひたすらに推しを見つめていました。

そして推しの目線がまさしく2階にきたであろう時、Cちゃんが全力の身振り手振りで私の推しに全力アピール。その甲斐あってか、推しが私が手に持つうちわに気づき私に向かって手を振った後、ハートを作ったのです。人生で初めてアイドルからもらったファンサ、初めて自分の存在を気付いてもらえて会場で何百人も観ている中で、推しが自分のためにたった数秒間でもなにかをしてくれたことに、今まで感じたことのない幸福感を爆発させました。この時、私の中のオタクメーターが限界を振り切り、無事にアイドルオタクへ逆戻りしてしまいました、というと今となれば後悔していると感じるニュアンスですが推しはなにも悪くありません。ただただこれから起きる様々な事は私自身が招いた愚かさなんです。

終演する頃にはすっかりオタクとして推しへの想いを再熱させて、私はCちゃんにこの現場はいつまでやっているのか、また行ける日はあるのか、問いただすような勢いで質問攻めを繰り返し、駅に着くまでにまた一緒に公演を観劇する日を約束して解散しました。

それからというものの、サンリオのことはすっかり頭から消え毎日毎日推しのことだけが頭を巡り、私がオタクをしていなかった1年半の間に推しはどういう活動をしていたのか、アイドル誌のインタビュー記事や観劇しない日の公演のレポートなどをSNSで探しては読み漁る日々が続きます。

そしてやってきたCちゃんとの2回目の観劇。Cちゃんは、今日の観劇で今回の現場は最後かなーと言っていたので、Cちゃんが最後なら私も最後だよーなんて言いながら、いざ開演。前回の観劇の時と似たり寄ったりの座席で挑み、推しは私が手にしているうちわに反応こそしてくれたものの、絶対に私だという確信が掴めないまま終演。ファンサという概念がなかった頃の私ならファンサなど満足して帰れていたはずなのに、ファンサを知ってしまい期待値が上がってしまった私にとっては不服なものでした。Cちゃんが推しにファンサをしっかりもらえたことで上機嫌であることが私も嬉しいはずなのに、「今日で最後なのに、推しはうちわに気づいたはずなのに、なんで私だけファンサをもらえなかったんだろう」と悲しみを募らせ、悲観的になりながらもCちゃんとは解散。そして解散してすぐに、私はこのままじゃ終われない!と、またチケットを探し始めました。

そう、私はすっかり現場ではファンサ重視のファンサ厨になっていたのです。

そして1人でチケットを探し見つけては会場まで足を運び、観劇。ファンサに一喜一憂しながらも、どんどん推しに夢中になっていきました。

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