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ウィーンまんぷく日記 70-73/369

 ウィーンに戻ってからは、#fridaysforfutureのデモに行ったり、同僚の研究相談に乗ったり、同僚とご飯を食べに行ったりした。でも忘れないうちに、デモのことを先に書くか。

#fridaysforfutureのデモは 、最初は100人にも満たないくらいだったが、開始1時間で200人くらい来ていて、その後もどんどん増えていきそうだった。デモの前に1時間くらい集会とスピーチがある。どちらかと言えば見た目には女性(この言い方も難ありだけれども)が多く、年齢は簡単には判別つかないが中高生くらいの学生が多そうだった。前に見てきた人曰く、ウィーンの若年層のデモにしては珍しく移民の出自の人が多いのが印象的だったということだが、こちらも自分には簡単にわからない。一緒に行った友達(日本研究の人ではないが、日本のデモは見たことがある)いわく、「#fridaysforfutureは、あんまりオシャレじゃなくて雑で、ただ、だから敷居が低く感じる。日本のデモはオシャレな方面でも非オシャレな方面でもこうであろうとしすぎる印象があるから、敷居が高い」と言っていて、なるほどなーとも感じた。少し前の日記でも書いたが、何もしていないことや目的外参加を許容される雰囲気があるかもしれない。学校サボる口実に来ましたみたいな。
 そういう意味では、日本の社会運動のほうがこうであらねば像というか、Activist Identityが強いのかもしれない。たしかにゆるくて、みんなわりとスピーチを芝生に座ったり寝転びながら聞いていたりしている。そもそも警察の数が格段に違う(今回はほぼいない)からそういうゆるさが可能なのであるが。

 あんまり写真が上手じゃなくてすみません。
 あとは環境問題みたいなことをどれだけ中高生が当事者的に感じて、それでデモまで行くかという話にもなった(『よつばと』に環境コンシャスなキャラはいた?と言われたが……)

 あとはご飯を食べに行ったり研究相談に乗ったりした。あまり人の研究のことは書けないが、汚職が起こって不信任になったあとのオーストリアの新しい政府の話などもしたりした。右派政権が(いちおうは)倒れたんだからええやん、新しい内閣は女性も多いみたいだし、とのんきにも思っていたら、指名制だからデモクラティックじゃないと言われて、まあそうだな……と思うと同時に、民主的であろうとする姿勢が強いなとのんきにも思った。
 なぜか話が子供の名前のことになり、右派政権が強かったから、聖書からとった割とトラディショナルな名前が人気になるかと思ったけど、今後どうなるかという話になったのが面白かった。日本では政権と名前の結びつきってどうでしょうね。例えば家族をめぐる政策とかには関連しそうだけど、あまり名前とは関連しないかもしれないですね。とどちらかと言えば保守的ネームの私が言っています。
 あとは日本の#MeTooの話になったが、社会問題を語るときに、どれほど海外(というか欧州?)ではこうこうで……という話をするのがいいかということも話した。でも日本では自己責任論が強いよという話をしたら、性的な被害に関する自己責任論はこちらも相当根深いからあんまり変わらないと思う。被害に遭った人がまず「あなた、一体何したの?」と聞かれるという話だった。

 あとは週末の研究会に向けて高野公平『昭和ノスタルジー解体』(晶文社)を読む。レトロ趣味というのがどうやってやってきたかという話になるのだが、例えば2000年代にレトロゲームだったのはスーパーファミコンでなくファミコンであったように、レトロ趣味の対象は直に古いものではなく、「寝かせ頃」を置いてから対象化するという議論はおもしろいなと感じた。あとは無共闘世代・しらけ世代が、政治的に空疎というコンプレックスを持っていた(上の世代からそう揶揄された)からこそ、その世代的アイデンティティをメディア体験やノスタルジー趣味に込めたという議論も、父親のことを思い出し、納得しながら読んだ。

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