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不登校中学生だった私が大人になってマジョリティの波にのまれず、フリーランスのハンドメイド作家の仕事を選んだ話


#創作大賞2024 #エッセイ部門

不登校。

この言葉に良いイメージもてる?

私はもてなかった。

社会のおちこぼれ、

と思ってた。

自分が当事者になるまでは。

中学2年生の2学期、

その日は突然訪れた。

それはとても高く積み上げた本が急に雪崩を起こしたような感覚だった。

元に戻そうにも考えるだけで、

とてつもない時間と労力が掛かると思うと絶望する、

まさにそんな感覚だった。

突然学校に行くのが、すごく苦痛になって、

中学2年生の2学期の途中から

中学校を休みがちになり、

中学3年生になったときには1学期こそ別室登校で

なんとか学校に行っていたが、

親の願いにも取れる勧めで修学旅行に行ったものの

2学期からは、ほぼ引きこもり生活を送っていた。

高校は面接のみで入学できる単位制高校に行き、

途中、高校2年生で不登校気味になるも

なんとか卒業。

大学は高校時代の成績がよかったので、

指定校推薦で4年制の女子大の保育系の学科へ進学。

しかし、大学1年生で人間関係のトラブルに

立て続けに巻き込まれ、4年間孤立。

軽く避けられるなどもあり、再び心が悲鳴を上げた。

私は中学生の頃からうつ状態やら

強迫性障害や社交不安障害などの不安障害等があったので、

病状悪化して、

大学3年生まで必死に頑張り

学科はほぼ単位取得したものの、

実習と残りわずかな学科の単位が取れず、

保育園の先生になるための資格が取得できなくなり

私の保育園生からの夢は志半ばで幕を閉じた。

世間の目を気にして、一般就職試験にも挑戦したが、

なんか、

『みんなと同じ方向を向いて、目標に向かってがんばれないないなー』

って思って

安定はしないけど、自分の心の健康を考えたら

フリーランスも選択肢のひとつと思うようになった。

バイトもしてみたけれど、数日でやめたり、

受かっても、行けなくなったりそんなのばかりで。

至ってまじめに取り組んでいたけれど、

相手の言葉の意図を読み取るのが苦手で、

言葉をそのまま受けとってたら

注意をよく受けた。

なんか違ったらしい。

学校やバイトなどのプレ社会をたくさん経験して

社会本番に出る前に私は思った。

就職して働いたら、

真面目すぎるくらいど真面目、

嘘がつけない正直者、

どんだけしんどくても休むことは悪いことだから

罪悪感で休めない、

人が怒られていたら自分も落ち込む、

繊細すぎるくらい繊細な性格の私は

自分で自分の人生のエンドロールを流す選択を

してしまうかもしれないって。

そんなの悲しい。

仕事はなんのためにするのか。

生活するためのお金を稼ぐため。

そのためには就職して、

安定したお給料を得る必要がある。

私もそんなことはわかっていた。

けど

心がぶっ壊れてしまう未来が見えてるのに、

自分をその道に『進め!』とは送り出せないと

私は思った。

そうして、大学卒業まで進路のことで何度も泣いて

悩んで、悩んで、

私は収入の安定しない

フリーランスのハンドメイド作家という

職業を選んだ。

フリーランスと言っても色々あるのに、

なんでハンドメイド作家?と思った

そこのあなた。

そうですよね。そう思いますよね。

私がハンドメイド作家になった理由

それは、、、

生きづらすぎてコンプレックスだった

繊細すぎるほどの繊細さを色や形に投影して

作品に生かすことができると思ったから。

学生時代、製作物について周りの人から

よく褒められた経験があって、

とは言っても『上手いね』と言われるわけではなく

他の人にはない感性や色使いなどについて

評価される感じだった。

私自身、自由な発想でものづくりをすることは

好きなことだったので、

フリーランスでハンドメイド作家、

収入が安定はしないから不安もたくさんある。

けど、

自分のコンプレックスだった繊細さを

活かせていいかもな。

コンプレックスを仕事に活かせたら、

自己肯定感が低い私ももう少し、

自分を認めてあげることができるかもしれない。

そんなことを思って、

ハンドメイド作家を仕事に選んだ。

ハンドメイド作家と言っても

ジャンル(技法)が沢山あって

できるだけ絞って、作品の世界観などを

作り上げた方が作家として認識してもらえ

ハンドメイド作家として確立しやすいということで、

まずはジャンル(技法)を選ぶことにした。

初めはピンワークでビーズやパーツを

マルカン(輪っかのパーツ)などを使って

つなげるだけの簡単なアクセサリーを製作して

大きめなイベントに出店してみたけど

売れたのは300円のチャームが2つ600円だけ。

このままではいかん。

もう少し作品のクオリティーを上げなければと

パーツを1から作るレジンアクセサリーに

ジャンル(技法)を変更して作品の

クオリティーを上げてから

改めて別のイベントに出店、

レジンアクセサリーはなかなか評判が良くて、

このジャンル(技法)でいこうと決めた矢先に

レジンアレルギーになり、

手の皮膚が剥がれ落ちたり、全身に赤い発疹が出て

全て完治するまでに半年ほどかかり

ドクターストップが出て、

レジンの技法はできなくなった。

さて、どうしよう。

ジャンル(技法)選びが振り出しに戻り、

悩み、愚痴り、レジンに未練たらたら

だけど、

ハンドメイド作家の仕事を続けるためには

次に進まなければ。

レジンアレルギーになった頃、

私には好きなビーズを使ったアクセサリー作家の方がいた。

シードビーズと言われる

それはそれは小さなビーズを

立体的に珊瑚をモチーフに編まれている

ピアスやバングル、リングなどのアクセサリーを

製作されている作家さんで、

街の商業施設に遠く離れて住む父と

久しぶりに会う時に訪れたときに

たまたま立ち寄ったものづくりの作家さんの

ギャラリーのようなお店があって、

そこでその作家さんの作品のアクセサリーに出会い

その繊細さに魅了された。

そのことをとてもよく覚えていたので、

『私もオリジナルデザインを考えて小さなビーズとテグスを使って

アクセサリーを作ろう!』と

レジンアレルギーという困難の壁にぶつかっても

諦めずにもう一度立ち上がった。

私は未練タラタラで執念深く

ねちっこいウジウジした人間なので

マイナス思考なネガティブな発言をよく口にする

が、諦めが悪いので、

今の状況からなんとかできないかと粘る。

私のねっちこさは納豆並みにねーばねーば、なのである。

まぁ、めんどくさい性格だが、そのおかげあって

ハンドメイド作家の仕事を手放さずに

新たなビーズアクセサリーというジャンルに

足を踏み入れた。

私は今、ヴィンテージやアンティークのビーズやパーツ、

現在のビーズやパーツなどの小さな素材を組み合わせて

テグスと針で小さな穴がたくさん細かく開いた土台に

お裁縫や刺繍のようなやり方で小さな素材たちを編みつけて

繊細さと歴史があわさったロマン溢れる、

魅力のアクセサリーを日々製作している。

不登校中学生だった私は

学校に馴染めず、

社会にも馴染めず、

マジョリティ(大多数)に飲まれて同じ方向に向いて

社会生活を過ごすことが

小学校から大学までの16年の学生生活と

たくさん受けたけど、受かったのはわずかだった短いバイトの経験を

通して想像することが困難であった。

マジョリティ(大多数)の波にのまれて、心を再び閉ざすくらいなら

あたりまえの考え方に捕らわれずに、

いっそマジョリティの波に飲まれず

自分のできる自分が自分のままでいられる社会生活を

送っても良いじゃないか!

と思いマイノリティー(少数派)の

フリーランスのハンドメイド作家になった。

決して楽ではない。

経済的にも精神的にも物理的にも家族に手伝ってもらわなければ

現在はやって行けていない状態だ。

でも大学を出て、社会人として

フリーランスのハンドメイド作家として2年目を迎えた今

去年より確実に前に進んでいる、そう思えている。

大多数が言う「あたりまえ」「普通」というルールに

とらわれているところがある私は頻繁に焦る。

就職や恋愛、結婚していく同年代と比べて惨めになったり

劣等感を抱いたり、私はとっても真面目に生きてきたから

社会では型破りに捉えられがちな

少数派に属していることに不安を感じることも多々ある。

世間から見れば、ポンコツの私は

社会のみんなについて行くのに必死で

餌をもらうときの金魚鉢にいる金魚のように

常にあっぷ、あっぷとしている。

ハンドメイド作家になって、2年目。

1年目はハンドメイドサイトに打ち込んだ。

本当は対面イベントにたくさん出たかったけれど、

メンタルの病状が不安定で現実的に難しかった。

でも、今はハンドメイド作家が「飽和状態」の時代。

ハンドメイド作品がわんさか集まるハンドメイドサイトは

サイトの特集などに作品が選ばれたりしないかぎり

他の作家さんの作品に埋もれて、なかなか目にとめてもらうことすら

困難だった。

私はいくつかサイトを利用してみたが、売れたのは1年間で数件。

このままではいかん。

2年目は1ヶ月のうち、なるべく毎週末に対面イベントの出店を入れて、

認知してもらうことと、作品が効率よく売れるようにしている。

対面販売は効率的に売れるが、出ていくお金も多い。

ハンドメイドのイベントの出店には出展料というものがあって、

大体一日あたり

小規模のイベントで3000円~4000円ほど、

中規模のイベントで5000円~8000円ほど、

大規模イベントでは1万円~1万5千円ほど、

かかってくる。

これに加えてレンタル品を利用するとどんどん金額が増えて行くため

出展の頻度が多いなら買った方がトータルで考えると安い。

屋外イベントで必要なタープテントと重り
(大体2m×2mのブースが多いからそれを選ぶのが無難)

アウトドア用の折りたたみ机はL字に置いたりもするので

2個はあると良い。

折り畳みの椅子はスーツケースに入れたいから小さいサイズ。

これも2個あると購入してもらったものを

包むものを置く場所にできるから便利。

これらを運ぶキャリーカートも必要。

全部買うとなると5万以上は必要。

こう考えると正直に言うと

お金のための仕事として選ぶには

あんまりおすすめできない。

でも私のように在宅でなければ仕事ができない人も

一定数いるわけで、私はメンタルの持病が悪化し

就職が困難だと言われたとき

仕事ができない=生産性がない

と考えてしまい、

自分で人生のエンドロールを流そうかとまで追い詰められた。

私は経済的に家族に支えてもらう環境があったこともあり、

仕事をする意味の1番をお金ではなく自分の気持ちの安定のためと

考えることにした。

もちろんそれにお金がついてくるのがベストではあるから

作品を売る方法の試行錯誤、努力は続けている。

不登校だった私はとても内向的であったが、

ハンドメイド作家になり、イベントに出る回数を重ねるにつれて

初めて会う人とも抵抗なく話せるようになり、作家仲間も増え

中には縁がありプライベートでも会う作家さんもでき、

以前より社交的になった。

また、ひきこもりがちだったが、

製作の素材を買いに出かけたり、

技術向上のための勉強をしに、ワークショップに出かけたり

前より外に出るようになった。

今の出会いは私が不登校を経てではなければなかったと

考えると人生はどん底を見ても絶望ばかりではないということを

身をもって感じた。

確かに私の人生は優秀と言えるものではない、

今年大学を卒業して24歳になる歳で精神的な持病があるという理由はあるが

在宅での仕事のために収入が不安定なフリーランスのハンドメイド作家を

していて定職に就かず、自立もできず、親に経済的に頼っている私の人生は

落ちこぼれにみえるだろう。

ネットで「不登校」に関して検索すると、

「大人になってもひきこもりから抜け出せない」だとか

「無職率が高い」とか、否定的なものばかり。

確かに一度不登校になるとその期間が長ければ長いほど

社会に戻るのは困難に私自身感じていたから、間違ってはいないとは思う。

だけどさ、それはマジョリティ(大多数)の波に

上手く乗るならの話じゃないかと思う。

マジョリティの波にのまれずに、自分で仕事をつくって

マイノリティー(少数派)の道に進んだっていいはず。

だって、今の時代は自由な形の仕事の仕方が

認められつつある多様性の時代だしさ。

ただ、まだ昔の社会のあたりまえを正しいと思っている世代や同年代でも

社会のあたりまえのルールを尊重している人も、

もちろんいるから、傷つくこと言われたりして落ち込むことも多い。

ハンドメイド作家を20代でしかも独身で、

さらに本業でしている人はほとんどいない。

イベント出店で知り合った作家さん達は結婚して

子どもがいてパートや専業主婦をしながらしているか、

既婚または独身で本業がありながら副業で作家活動しているかの

人が圧倒的に多くて、自分より年上の人ばかりである。

私はバイトも精神面の持病のため制限があり、面接を受けるものの、

条件や精神面の持病が足を引っ張り、なかなか見つからず、

今のところ、仕事は在宅のハンドメイド作家の仕事だけである。

私の作家としての在宅ワークの時間の使い方は実に自由そのものである。

まず、朝起きて不安が強かったりする日は午前中をとりあえず休んでみて

午後からなにかできそうな状態まで浮上できたときは

午後から製作または事務作業を13時~18時(休憩1時間含む)する。

病状が良く、午前から動ける日は朝ご飯食べて運動して、

9時くらいから11時半くらいまで製作か事務作業をする。

お昼休みは大体2時間くらいとって、

午後は14時~18時(休憩1時間を含む)で

事務作業か製作をしている。

根を詰めすぎると頭が痛くなったり、考えすぎて思い詰めて、体調や病状に

影響がでるので、自由な働き方ができるので、

病状に合わせながら、のんびりと働いている。

社会の普通とはちょぴり違う仕事に就いた私が思うこと。

収入が安定しないし、少ないし、活動にお金がたくさん掛かるし、

お金に余裕はないけど、自分の病状にあった自由な働き方を手に入れられて

自己肯定感も多少持てて、大学卒業後の進路を選ぶときに、

なにもできずに毎日を過ごすことを選ばなくて、本当に良かった。

あたりまえの壁は高くて私には乗り越えられなくて、

ドリルで穴を開けて下からくぐり抜けようにも

あたりまえの壁は分厚くて時間はかかる。

だけど私はひとりじゃないから、

時間は掛かるだろうが、

私には仲間がいるから大丈夫だと思える。

ぶつかることは多いし、

時に家族の発する言葉や行動に傷つけられることもあるけど

なんだかんんだ協力してくれたり、支えてくれる家族がいる。

作家仲間や片手に収まるくらい、量より質を兼ね備えた友達もいる。

一人で仕事をしていて、しかも一度も社会に出て仕事を経験していないから

トラブルや悩みが出たときに相談する上司や同僚、先輩はいないけど

頼りになる家族や友達、作家仲間が力になってくれる。

「こんな働き方の形があってもいいよね」と私自身心から思うし、

「この仕事を選んで良かった」と選んだ道を私自身が良いものにする。

どんな事情があっても私はわたしが考える”しあわせ”の定義のひとつである

”働くこと”を本人が臨む限りどんな形であっても

実現できる世の中であって欲しい。

会社などに所属せずにマイノリティー(少数派)の

働き方をしている人たちが肩身の狭い想いをせずに自分の仕事を

自信を持って口にできる世の中になれば、ずっと学校や社会のなかで

馴染めずに周りから浮いてしまっているなと、繊細すぎていろんなことに

過敏な私が、人生がハードモードだ、生きづらすぎると感じていた私自身、

もう少し生きやすくなる。

不登校になった経験が人生という山を登るうえで重荷で、

ずっと足をひっぱっていた。

長年そう思っていたが、フリーランスのハンドメイド作家になって

2年目を迎えた今ならこう思う。

私もマジョリティ(大多数)もあたりまえという高く分厚い壁に隠れた

マイノリティー(少数派)の道を選んでも

不正解や不幸せではなく正解であり”しあわせ”という

事実が見えないくらい視野が狭いということを。

私が新卒でマイノリティ(少数派)な働き方を

選んだ背景には14歳から24歳になる今現在も

メンタルヘルス科に通院していることが

大きく関わっている。

10年前、通院を始めたときは2〜3年で完治すると

思っていたが、気づけば10年と長い月日が経っていた。

この10年、メンタルの持病がおもりとなり、

同年代の子たちが経験している、恋愛や交友、バイト含め仕事を

ほぼ経験せずに人生を送ってきた。

虚しいものだ。

私だって

恋愛願望や結婚願望はあるし、

楽しい交友関係を築きたいという思いもある、

働く意思もちゃんと持っている。

私が患っている強迫性障害や社交不安障害などの

不安障害は医師の中でも病気と認識する人、

性格と認識する人に意見が割れる病気らしく、

うつ病などが認定されている

障害者年金の対象からは

特別な場合を除き

基本的には除外されている病気だ。

不安障害の人が外で仕事を継続するのは

非常に困難なことで、

私の場合は起こってもいないことで不安や恐怖の

妄想がひどく、おかしな言動が出たり、鍵締めや口頭での確認行為

突然泣き出したりして、家に引きこもり

1ヶ月も仕事を続けることができない。

今までしたことがあるのは2週間程度の短期バイト

数回のみ。

大学4年生の時にはじめて挑戦した長期バイトは

2日間で逃げるようにやめた。

いわゆる世間で社会不適合者とラベリングされる人間なんだろうなと思う。

でも別に常識が無いわけではないし、

「ちゃんとしている」「丁寧」「真面目」と

他人からは良いとされる評価を受けることが多いので

社会のなかではしっかりした部類には入る人間のはず。

まあ、浮いていて、繊細すぎるから社会には馴染めていないけど。

社会に馴染めない私は馴染む努力を一応した。

が、しかし、病状悪化もした。

は~、こりゃ、参った。

まだ、20代前半だよ、今はご長寿の時代、

80代まで生きるとしてあと60年なんとか社会にうまく擬態しなければ。

私が思う社会にうまく擬態するとは、

法律や社会のルールは守った範囲で、

なにかしら仕事をして、生活していくこと。

私の場合は

○なるべく一人で進められる仕事

○基本在宅ワーク

○繊細さが活かせる黙々と製作できるものづくりの仕事

○メンタルの持病に合わせて自由に休める仕事環境

等の条件などからフリーランスのハンドメイド作家になったという

お話をここまでしてきたわけで。

稚拙な文章力だから、まとまらないところも多かったり

わかりづらいところもあったかもしれないね、ごめんね。

だけど私がnoteで文章を書いて、発信して

自分の言葉で伝えたいことは、

「法律や社会のルールーの範囲内なら、どんな生き方も良き人生」

ということ。

なんとなくさ、きっと無意識のうちに、マジョリティ(大多数)が

社会のあたりまえの高く分厚い壁に隠れた

その奥のマイノリティー(少数派)の選ぶ

仕事含めていろんな人生の選択をした人たちを

社会不適合者とか落ちこぼれとか負け組とか社会のお荷物とか

心がきゅーと苦しくなるような呼び名でまとめたり、

腫れ物を触るような対応や反応をしたり、

マイノリティー(少数派)に14歳からいる自分は

ずっと辛い気持ちを持ち続けて日々を送っている。

でも、14歳の中学生の時に不登校になって、

マイノリティー(少数派)の存在に自分自身がなって、

あたりまえの高く分厚い壁の先を知らなければ

私だって、マイノリティー(少数派)の人たちを

社会不適合者とか落ちこぼれとか負け組とか社会のお荷物とか

心がきゅーと苦しくなるような呼び名でまとめたり、

腫れ物を触るような対応や反応を無意識のうちにしていただろうなと思う。

不登校中学生になる前、なってからもだいぶ長く

社会のあたりまえが正義で正しいと思う、

頭の固い真面目ちゃんだったからね。

マジョリティ(大多数)もマイノリティー(少数派)もどっちも経験して

あたりまえの高く分厚い壁を抜けた

その先にある小さな、肯定してもらえないことも多い世界にいる

私だから、マジョリティ(大多数)の人にマイノリティー(少数派)の存在

やその世界、感じていること、見ている世界を伝えられる。

マイノリティー(少数派)の人に私のもがき苦しみながらも

がむしゃらに過ごす日々を文章にして発信し、伝えていくことで

「なんだ、自分だけじゃない。」と微力でも孤独から引っ張り出せる。

そんな存在になりたいから、

今はまだ軌道に乗ってはいないけれど、ハンドメイド作家の仕事も

絶対に仕事として確立させていくと意気込んで、

10年前、14歳の不登校中学生だった私は、

10年後の24歳になる今、

「日々を悩み、悩み、泣き、泣き、笑、くらいで

形は違えど、同年代と同じように必死にがむしゃらにがんばっているよ。」

と10年前の14歳の自分に伝えたいところだけど、

今はまだ、思いを馳せるだけに留めたいかな。

フリーランスのハンドメイド作家というやっとみつけた

かけがえのない私の仕事で、居場所で、社会人として

胸をはって生きられるように、

自分の仕事を自信を持って口にできるようになる

その日までは。











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