ピーター・ゼルキン

 2020年の2月の初め、ピーターの訃報が突然そしてひっそりと流れた。1947年 7月生まれなので72歳、死因は膵臓癌によるそうで、またかの思いを新たにした。

 ピーターの父は所謂「神の手のピアニスト」のひとりであったが、父と同じ道を選んだ彼はそうではなかった。来日した時の映像を観る限り、巨体でむしろ不器用な印象が残った。ほぼ同い年のアルゲリッチやポリーニの方がむしろ神の手のピアニストと言っても良いかもしれない。ちなみに、父は1903年生まれだが、同じ年にアラウ(最晩年まで膨大な録音を残したアルゼンチンの名手)とホロヴィッツ、1902年にはソロモン(ベートーヴェンを得意としたイギリスの名手。腕を故障しなければアラウ並みの録音を残したのでは?)、1901年にはソフロニツキー(リヒテルが神と言ったロシアの名ピアニスト)と集中して神の手のピアニストが生まれている。

 しかし、ピーターは彼らにはない魅力を持った音楽家であった。 7歳年下の私にとっては、ソロピアニストとしてではなく、まず、メシアンの『世の終わりのための四重奏曲』を演奏するために結成したというタッシのメンバーとして記憶した。タッシの演奏したシューベルト『鱒』、モーツァルト『クラリネット五重奏曲』『ピアノと木管楽器のための五重奏曲』、ストラヴィンスキー『兵士の物語』等は上記のメシアンと共に愛聴盤であり続けている。レコードのジャケット写真で見られる彼らの姿は、当時のクラシック音楽界について回った堅苦しさとは真逆のカジュアルで清々しいもので、その清心で瑞々しい音楽を想像させるものであった。タッシとの活動でもうひとつ忘れられないのは、1975年の武満徹『カトレーン』の初演だ。これはFMで放送もされエアチェックして繰り返し楽しんだことを懐かしく思い出す。

 その後、ソリストとしてのピーターのCDもいくつか購入したのだが、この中で記憶に残っているのは、ブラームスのピアノ協奏曲第1番であろう。この曲は小澤/ベルリン・フィルとの演奏がFMで放送されたのだが、正規録音はにロバート・ショウ/アトランタ交響楽団との演奏(PROARTE)しか残さなかった。ポリーニがウィーン、ベルリン、ドレスデンとDGに3回録音したのと比べるとあまりに寂しい。オケの腕前と指揮もいまいちな上に、録音と当時のCD再生の限界からか、神の手の演奏がずらりと並んだ中では迫力のない音だと思ってしまい、デッド・ストック的な扱いとなってしまっていた。ところが、今回改めて聴いてみたところ、現在の我が家の装置からは十分に楽しめる音がして、さらにピーターのピアノが実にデリケートで感銘深く、現代ではゴツくないブラームスが一般的になって来たようなのだが、こういったムーヴメントの先駆的な演奏となっているのではないだろうか。なお、ピーターのソロの録音は音がいまいちという記憶は、没後の5月に日本でも発売されたRCA時代の録音全集で払拭されつつある。初期の重要な録音である小澤とのバルトークやシェーンベルクの協奏曲も楽しめるようになった。映像で見るピーターは190cmを超えるような大男で、本来ならば大きな音も問題なく出せたと思うが、それを武器とはせずデリケートで思索的な表現をモットーとした音楽家であったため、そのニュアンスを録音では十全に味わうことが難しかったのだと思うが、今回の全集をじっくりと楽しんで行きたい。

 

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