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【回文〆日記】 #50 ずつーの考察

子どものころから
頭痛持ちだ。

小学校低学年から
中学年にかけて

頭の痛さのために
ときどき
保健室のベッドで
寝ていた記憶がある。

頭痛がはじまると
その
痛い頭の中にいる
ツッコミ担当の自分に
突っ込まれていたのを
思い出す。

「頭痛い。」
「またぁ?」
→ あたまいたいまたあ ←


でも
それ以降は

定期的には
来るものの

ずっと
「うっすら頭痛い」
くらいの感じで

病院に行ったり
薬を飲んだり
という状況には
至らずに
済んでいる。

深刻な
頭痛持ちの人たちに
比べたら
かなり
ライトなものだ。

休憩や
睡眠で
快復すると
経験上
わかっているので

それほど
頭痛に
フォーカスせずに
中年まで
やってこられた。

しかし
先日
珍しく
「2年に1度」級の
ハードな
頭痛になり

不本意ながら
半日寝込んだ。

泣く。頭痛、続くな。
→ なくずつうつづくな ←


翌朝
起きがけに

頭痛どうなった?


己に
問うたところ

ほぼ快復していた。

ありがてぇ。

ここまで生きてきて
何度も思ったけど

あらためて

健康は
失ってみて
初めて
かけがえのなさが
わかるなぁ

と実感。

そう思ったのは
いったい
何度目だろう?

数えてないから
わからないけど

相当な数
思ったことは
たしか。


久々の
本格的な
頭痛をきっかけに

あらためて
考えた。

頭痛って
へんだよな。

痛みの根源が
頭なら

その痛みを
感じ取るのも
頭だ。

私は今
頭を痛がっているなあ
と思考するのも
また頭。

おんなじ球の
内部で

よくそんな
同時進行が
できるもんだ。

ちょっと感心。

どんなメカニズムなんだろ。


それにしても
明らかに
私の人生は

頭痛に
長ーく
薄ーく
支配されている。

煩わされた時間の
累計は
なかなかのものだろう。

うぬー
けっこう
損してる。

完全に
健康な人のほうが
珍しいと
わかっているし

どの人生にも
何らかの
困難があって
当たり前と
納得してはいるが

苦痛が
あまりにしつこいと

思わず
なんだよっ!

めたくそに
手足を
ぶん回したくなる。

でも今回は
ぶん回さなかった。

次回は
実際に
ぶん回すつもり。

やけくそ力で
あんがい
痛みが
吹っ飛ぶかも
しれないから。


これからも
おそらく
病院には行かず

くされ縁の
しょうもない奴として

しぶしぶ
付き合って
いくんだろうな。

せいぜい
寛大なワシを
ありがたく
思うがいい。

頭の中を
うすーく
じゃましつづけやがる
ずつーさんよぅ。


以下、頭脳の図解。
→ いかずのうのずかい ←







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