古本屋めぐり

 電車に40分ほど揺られて金沢に向かった。古本屋でも思い当たった次第。朽木は小雨の中歩き始めた。平日にもかかわらずそれなりに人がいた。人々はどこかに向かって歩いている。それぞれに目的地がある。同じ方向に人が向かう事もあれば、そうでない場合も多い。殊に現代はそうじゃないだろうかと朽木は思う。通りを見ながら朽木はそのようなことを考えていた。《俺が歩く道、いや俺の向かう先、同じルートで行く人はいるのか?》そう、朽木は古本屋めぐりを敢行しようとしているのだ。子供じみた彼の楽しみの一つであり、それに共感してくれる人にはあったことがない(理解を示す人間は2、3人いたのではあるが)。街の中にある個人の古本屋というものは個性的である。文芸、美術、古典、郷土、音楽、漫画…。店によって特化している部分が異なる。これこそ文化(カルチャー)なのである。現代において「文化」というものはもう死語かもしれない。最近の事に疎い朽木は「文化」という言葉を久しく聞いていない。だが古本屋には「文化」がある。だが「文化」の定義を問われれば正確に答えることは出来ない。古めかしいものを何か高尚な物であるとありがたがる古物商と朽木とでは大差がない。だがその過去の遺物である古本が、店の片隅でひっそりと佇んでいるのにはやはり何か意味のあることだと思わずにはいられない。ここまであれこれ書いてきたが要は好きな作家の本がある確率が高いだけの事。近所に某大型チェーンの古本屋があるが、あれは均一化されていて面白くない。100均コーナーにお宝が眠っていることもあるが、それはほんとに稀な出来事。チェーンだからか知らないがほかの店舗に行っても似たり寄ったりなのが残念である。何が言いたいかと言うと個性が無い。非常に現代的なのである。個性、個性とこれほどまでに叫ばれた時代は多分今以上にないだろう。個性というものは主張すればするほど世の中に埋没していく。いや、実のところ個性と言われるもの事態が大衆迎合的であったりするのだから、それは案外没個性なのではないかと考える。《じゃあ、個性ってなんだ?そんなものあってないようなものじゃないか?》結局のところ、どうでもいいことなのである。そして個性という言葉を用いた俺(朽木)が悪いのだろうという結論に至った。ただ単に某大型チェーン古本屋が合わないだけの事を説明するためにひねくれた考えをする必要はないのだ。
 と、一人でぼんやり考えながら歩いているとろくなことを考えない。誰か隣にいてくれたらな、と朽木は内心思う。だがそれは同時に迷惑なことであって、というのも以前友人と3カ月前に長野の善光寺に行き、その帰りに古本屋があって寄り道した。古本屋あるあるで所狭しと本がぎっしり並んでいる。この雑然とした感じが古本マニアである朽木の好奇心をそそる。薄暗さはワビサビの精神をよく表していて、と同時に日陰者の集まる陰鬱な雰囲気を醸し出している。太宰も言っていたが「アカルサハホロビノスガタ」なのである。だが暗い理由は本の日焼け阻止する程度のもの。特に意味はない。引き戸をガラガラと開けると、奥にやる気のなさそうな店主が一人。そこまで大した期待をしていなかったが腰をかがめて本を見渡していると、丸山健司、高橋和巳、野坂昭如、石川淳などなど好きな作家の本が並んでいる。絶版になっている本が多い作家だ。ここは当たりだと確信するともう周りが見えなくなった。ここから徹底的に発掘しなければと(もう宝の山だという事はわかっている)躍起になる。全神経を目に集中させて(その時の集中力は受験勉強の比ではない、仮にその集中力を活かせれば名のある大学に合格できたであろうものを。そんなことわからないが)作家名に目を凝らす。興味のない作家は飛ばし、好きな作家を発見したら、その次にタイトルを見る。持っているタイトルであればそこで終わり。持っていないものであれば手に取り吟味する。面白そうであれば手に取る感じである。だがもう忘れているかもしれないが、この時友人が一人いるのである。その友人にとっては至極つまらない時間なのである。その友人は本好きでなかった。これこそが誰かと一緒にいると起きる悲劇であり、またこれを実感したことのある人間は多いはずだ。というのも朽木にも心当たりがあった。それについてここでは言及しないが、本でない服とか、雑貨の類の店であった気がする。ともかく朽木が目を話して友人を見るとひどく退屈そうだった。それを見て焦った彼は慌てて本をレジへ。一応本に値段がついているが店主が「一律200円でいいよ」とどんな親切よりもうれしい対応。そして「70年代の作家なんて今読まれるのかな?」とボソッと朽木に聞いてきた。どうなんですかね、と適当に答えた。その答えの通りなのである。古いので読み手は少ないと思われる。そして友人に時間かけてごめんねと言い、帰りの新幹線に乗った後になって買い忘れた本があったことを思い出した。焦ったせいだ。
 そんな事を思い出しながら、やっぱり一人でいいやと朽木は自分に言い聞かせていた。それにただでさえ狭いところに二人もいれば邪魔である。彼はどうでもいいことを考えながら最初の店(というのも何件か周る予定だったから)に到着していた。その店は普通の古本屋であり(普段古本屋に行かない人にはわからないであろうから補足が必要であろう。奥行きのある店舗で四方に本棚を取り囲むようにしてある。その中央に入口から奥に向かって一本の線を引くように本棚を数台繋げてある。体感的に入口から左側は文庫本などあって、右側には単行本が多い気がする。)奥に店主が一人いる。朽木が入るや否や店主はレジのところから右側にある本棚の裏(コンビニにあるペットボトル飲料や缶飲料が陳列されているところを想像していただければ)に隠れてしまった。本をゆっくり見て欲しいのか、それとも単なる人見知りなのかは判じかねる。朽木は後者であればいいなと思った。だがそれは彼の願望であってその本心は店主のみぞ知る。朽木は店内の本棚に目を向ける。赤茶けた背表紙がぎっしり並んでいる。じっと目を凝らしてタイトルの確認。知っているようなものもあれば知らないものもある。シュティフターの『水晶』を手に取る。その作家の作風は静謐で朽木の好みであったが、旧字体だったのでそっと戻した。読めないこともないが読むテンポが遅くなってしまうから。それ以外は特に気になるものはなかった。そうして朽木は店を後にする。そのあと店主は元の位置に戻っていった。そうして次の古本屋に向かって歩き出す。おおよその場所は把握しているが古書店マップなるものを確認しながら。次の古書店の開店時間が12時からだったのでまだ1時間ほど時間があった。どこかで暇をつぶすか、それとも早目に昼食をとるかの二択。少し喉が渇いたので自販機で炭酸飲料を購入。しばらく悩んで彼は定食屋でカツカレーを食べた。
 食後の満腹感の中二件目の古本屋へ向かう。朽木はふと何故古本を求めるのだろうかと思う。それが好きだからと言われればそれまでなのであるが、それだけの理由だろうか。お宝探しの冒険家など(現代にいるのかどうかは不明)はもちろん宝物が好きなのだろうが、それよりも探しているときのスリルが好きなんじゃないだろうか。探偵であれば犯人よりも推理が楽しいように。もちろんそうではない場合もある。それはわかってはいる。だが目的を達成するための経過というものは無視することができない。
 しばらく歩いたのち目的地の古本屋に到着した。この古本屋に関してはL字型の店構え。普通の古本屋よりかはやや大きめの印象である。白い壁の少しお洒落な感じの店である。朽木はじっくりと本棚にある本を眺める。大きいだけに変わった本があるかと思いきやそんなことはなかった。そして本棚の片隅にあった『若きウェルテルの悩み』を手に取る。朽木の好きな本でこれまで4回ほど読んだ。最初のページには、

 「薄倖なウェルテルの身の上について、捜しだせるかぎりのものを集めました。ここにそれをお目にかけます。皆様はきっと感謝して下さるでしょう。そして、この人の精神と心情を誉め、また愛して、その運命に涙を惜しみはなさらないでしょう。さらに、よき心の人よ。もしあなたにもウェルテルとおなじく胸にせまる思いの抑えがたいものがあるなら、彼の悩みから慰めを汲み取ってください。また、宿命にもせよ、おのが罪からにせよ、あなたの親しい友をみいでることができないでいるなら、この小さな本をとってあなたの伴侶としてください。(竹山道雄訳)」

 と書いてある。非常に読み手を意識していることがわかる。そして友人の少ない朽木にとっては非常にうれしい言葉でもあった。
 朽木はウェルテルに思いを馳せる。そしてウェルテルの心に深く立ち入る。あの青年の心は今も昔も変わらない。己ならどうしたであろうか?ピストルで自殺したか。それともロッテから遠ざかっていくか。考えてもわからない。制御不能な感情に襲われたとき、結局のところ人間は無力なのだから。理性だの言ったところで本能には抗えない。そんなことを考えたところで。
 それにこの本は持っているものであったからそっと棚に戻した。特に目新しい本はなかった。
 店を出ると雨が降ってきた。雨をしのぐために近くにあったお香屋に入った。香ばしいにおいが立ち込めていた。並んでいるものは高級なものばかり。朽木は場違いなところにきてしまったと少しだけ気まずくなった。《俺のような一介のサラリーマンが来るところじゃないな。》かといって彼はすぐ去るようなことのできる性分を持ち合わせていなかった。レジに立っていた娘さんが朽木に「何かお探しでしょうか?」と聞いてきた。「いや別に。決まったものは使っていないのですが。」と、本当の事を言った。そして「気になるものがあれば試すこともできますのでお声がけ下さい。」と言ってレジに戻っていった。《そう言われてもな。》朽木はいつまでもジロジロ見られるのが嫌で10種類線香の中から20本好きな線香を選べるというコーナーを見た。値段は1000円ほど。これなら安く買えるので「これ欲しいのですが…。」とボソッと声を掛けた。「ああこれですね。この中からお好きな線香を20本選んでいただく形となっています。」そしてしばらく沈黙が続いた。彼にとってどれがどの匂いなのか皆目見当もつかない。ついに耐え切れなくなって「均等に入れてください。」と頼んだ。「それでは2本ずつですね。」と2本づつ手に取って容器の中に入れていく。「あれ、どれ入れたっけ?ふふ。」とあたふたする姿に何とも言い難い感情を抱いた。会計を済ませると店の主人らしき人が「雨が強くなってきましたね。」と。朽木は「傘持ってますので。」ともしかしたら見当違いな発言をして、外に出た。
 雨は先ほどより勢いも増していた。傘は持っていない。近くのコンビニに駆け込んでビニール傘を買った。そうして駅までの道を歩くのだった。

 家に帰って先ほど買ってきた線香に火をつける。爽やかな緑茶のようなにおいがした。朽木は幸せな感情に包まれた。どの古本よりも記憶に残ったのはあの娘の姿。今度行ったらまた会えるかななどと期待を膨らませながら。夢見る煙は朽木の前を漂った。(終)


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