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ひっかかる言葉

 中学生のころ、「如才ない」ということばの意味がわからず、読書家の友人に聞いたことがあります。

 「お前みたいな人間のことを言うんだよ」と皮肉っぽい言い方で返されました。

 そういわれても、意味が分かりません。如才という才能がないのかなと思っていました。

 如才ないというのが、「気が利いて手抜かりがない」といういい意味で使うということが分かっても、皮肉っぽく「お前のようなやつ」といわれたことが引っ掛かって、どうしてもいい言葉には思えません。

 いつの頃からか、「器用貧乏」ということばに引っ掛かるようになりました。

 多芸は無芸とか、英語でいう、”Jack of all trades, master of none”というのも自分のことを指しているように思えてきました。

 いろいろなことをこなすけど、一つとしてちゃんとできるものがない。

 そうすると、「器用貧乏」と「如才ない」が似ているような気がしてきました。隣り合わせではないか。

 如才なく振舞うのであれば、いろいろなものに気配りをしなければならないので、器用にいろいろなことができることは都合いいです。

 器用貧乏の結果、如才なく、物事をうまくできるのですが、一つのことをマスターすることはおろそかになるわけです。

 これではだめだと専門家を目指すことにしました。

 モンゴルの専門家になりました。この道、30年。

 その間にまた引っ掛かる言葉が出てきました。

 専門バカです。

 一点集中で専門のことは詳しいけど、他のことはからきしダメという人を悪く言う、あるいは皮肉ることばですね。

 だんだん私はモンゴルの専門バカになってきた。

 ただ、この言葉を出すときには、それに表される人に対する親しみや愛すべき人物という感情が伴っているような気がします。

 一方、中学生の頃の友人が、私を評して「如才ない」といった時に出ていた皮肉の意味合いは、物事を無難にこなす人物への妬みの感情ではなかったかと思います。

「専門バカ」は愛すべき人物で、「如才ない器用貧乏」はできる人物ではあるが妬まれる人物です。どっちがいいかなあ。

 まあ、この引っ掛かった言葉の説明は話を単純にするために使ったわけですけどね。

 実際は、私自身、両方の傾向を中で取り持ち、時と場合に応じて適当にふるまっているのだと思います。原理主義断固反対。
 
 私、適当に如才ない器用貧乏の専門バカです。


 

 

 

 

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