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生き方に正解はない


時として「それってどうなの?」「一般的にはさ、、、」「普通はさ、、」なんて言葉を使うときがある。使われる時がある。その度に私は思う「人それぞれなんだから正解はない」と。

ところで私がその人の生き方についてあーだこーだ言ったところでその人は変わるのだろうか。私が思う幸せという電車に乗車させて一緒に旅をしたとする、一体その人は私と同じように幸せを感じてくれるのだろうか。

きっと、幸せポイントは違うと思う。
きっと、私がアイスを食べて幸せと思ってもその人は思わないかもしれない。
きっとね。だって私とあなたは違うから。

ある日のこと。
真っ当に恋愛して、白黒つけて生きてきた友人からすると私の生き方は中途半端に見えたようだった。「本当にそれでいいの?」と質問され、「でた。」と直感的に心の中でもれた。お酒が入っていたとしても結構心に刺さった瞬間。

私から見ればその人は幸せそうだった。誰からも【いい子認定】されるような正しい道を歩いてるように見えた。家庭環境も学校生活も友達関係も全て。私にとってそんな無敵な人から(苦労したことがなさそうな人)からの質問は正直怖かった。

正義に満ち溢れた人の言葉は時に凶器となる。真っ直ぐ過ぎて心に突き刺さる。そしてなかなか抜けない。きっと私と同じようにテキトーな人からの「本当にそれでいいの?」だったらこんなに尾を引かれていないはずだ。少なくとも。

生きていくってけっこう大変だ。気がつけば朝で気がつけば夜になっている。真っ直ぐ進みたくても向かい風が強くて進めない日もある。

心配してくれてるからこその言葉だと思う。ありがたい。でも今進んでる道に100%自信も持てない、正しいのかもわからないような人だってたくさんいる。むしろ正解はない。冷たいようだけど「どうでもいい」。私はこれでいいのか、ダメなのか、どうでもいい。きっとそれは後になってわかることで今はわからないと思うから。今はダメだとしても後になって「よかった」に変わることもあるから。

0か100を決める必要なんてこの世に一つもありません。

と私は思う。

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