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天使が翔ぶ〜精神科看護実習の10日間〜


あらすじ


これは私が精神科の看護実習に行った時のお話。
私がただ一人配属されたのは、40年以上前に建てられた、取り壊し前の古い病棟。そこは鉄格子の保護室が6室あるだけの閉鎖病棟だった。
受け持ったのは、唯一女性患者の瀬川さん。10代後半に入院してから30年。少なくとも10年間は、この閉鎖病棟から外へ出ることを拒否していた。
そんな彼女を相手に、手探りの奮闘が始まった。
やがて芽生え始めた互いの理解は、心を動かし、彼女を10年ぶりの散歩へと導いた。そこで見たものは、瀬川さんの人生であり、人としての本来の姿だった。
実習最終日、別れというクライマックスを迎える。それは未来に向けての意味のある別れだった。



これは私が准看護師学校の2年生で、精神科の看護実習に行った時のお話。

季節は初夏。
5月の連休が終わると、さっそく2週間の精神科実習が始まりました。

私の実習病棟は西病棟。入院して30年以上経過している精神科慢性期患者の閉鎖病棟でした。そこに配属されたのは、何故か私一人。実習説明会はありましたが、西病棟の情報が少なくて困りました。教師からは大丈夫だからと納得させられたものの、実習中に相談できる同級生の仲間がいないので私はとても不安を覚えていました。

実習1日目。
外来玄関脇の広場に集合した実習生達。しっかりと糊のきいたナースキャップと白衣。ストッキングは白。初々しい50名ほどの白い集団が、教育担当の看護師に連れられて班ごとに列を作って実習病棟へ向かいました。
5階建てのビルのような病棟が広い敷地内に5~6棟建っていました。それらの建物に同級生達は次々と吸い込まれるように入っていきました。
私はと言うと、敷地の奥へ奥へと案内されました。実習生はとうとう誰もいなくなって、最後は私一人が看護師のあとを小走りで追うように付いて歩いていました。看護師は質問を一切受け付けてくれないような、キリリとしたオーラを放ちながら、どんどん歩いて行きます。

玄界の海が近くて、その防風林として植えられているのでしょうか、どれも10メートルは超えるだろう大きな松の木の林に着きました。私はとんでもないところにやって来たと思いました。吹き出てくる額の汗を拭きながら前を見ると、木陰にひっそりと建つ西病棟がありました。

西病棟はこの病院で一番古い建物で、2階建て。40年近く経っているとのことでした。もう取り壊される寸前だという噂もありました。増改築を繰り返したのか、1階と2階の外壁は明らかにいびつな段差があります。くすんだグレーの古いモルタルの上から、玄関正面の壁だけ不自然に真っ白なペンキが塗られていました。キレイにしたというよりも、その異様さを強調しているかのようでした。私はまるで暗い異次元の入り口にでも立っているかのようで足がすくみました。

西病棟の1階は、玄関ホールと多目的ホールになっていました。以前は病棟でしたが、改築して高齢者が集い、歌やゲームをして楽しむ場所となっていました。その多目的ホールからドア越しに漏れ聞こえる声は賑やかだったので、とりあえず私は少し安心しました。

玄関ホールの壁は真っ白でした。さすがにこの明度の白は明るすぎて、私は何か不自然さを感じてしまいました。古い元々の建物に、エントランスホールだけが増築されて新しいのだと言うことはすぐに分かりました。
それでも白いコンクリートの壁には、幅が1メートル程の二つの立派な作品が掛かっています。富嶽三十六景の『神奈川沖浪裏』と、『赤富士』です。よく見ると絵の具類は使っていませんでした。これは幅が2センチ程の付箋くらいの色紙をくるくると巻いて作るローリングペーパーというものだそうです。作業療法でここに集う高齢の患者さん達が作ったのだと、看護師は少し自慢げに説明してくれました。楽しそうなので、いっそこの作業療法に参加して実習したいと言いたいほどでした。

説明は短めに切り上げて、看護師は足早に階段を上り始めました。興味深くローリングペーパーを見ていた私に、手招きをして早く来るように促しています。2階が病棟になっているようです。
階段の外側に面した白い壁にはガラスブロックが縦に埋め込まれています。外から差し込む眩しい光が、先に階段を上っている看護師の姿を吸収して、下半身はすでに消えたように見えました。私は走って彼女に追いつきました。
一段ずつ昇って行くに従って、1階の多目的ホールの笑い声や音楽はコンクリートの壁に共鳴しながら次第に薄れて行きました。

2階にあがると、途端に古い本来の姿になります。壁はグレーともベージュともつかない色になっています。
閉鎖病棟。入り口は頑丈な鉄の扉。その扉には太いカギ穴がありました。看護師は腰から下げた金属のチェーンをたぐり寄せました。チェーンの先にはいくつかの鍵がついていて、彼女はその中の一番大きな鍵を使ってドアを開けました。
「ここの鍵は古いから、開けるのに要領がいるのよね。」
そう独り言のように呟いていました。

重い扉が開くと、今まで明るかったせいか、その中は一瞬暗くてよく見えません。視野が慣れるまで少し時間がかかりました。
促されて私は恐る恐る中に入って行きました。
看護師は西病棟の看護師に、学生を確かに送り届けたと言っているようでした。ここは遠いので、学生を案内するだけでも暑くて大変だったとも言っていました。看護師は私の肩をポンと叩いて、『頑張ってね』と言って先ほどのドアの方へ戻って行きます。その時だけ、彼女は私に微笑みました。
ドアの外から『ガチャッ』と鍵が閉まる音が聞こえました。もう私はここから出ることができないような気がして来ました。ここと外界とを絶縁するかのような音でした。

立ったまま動かない私のところへ学生指導の男性看護師が来ました。先ほどのテキパキとした感じの看護師とは打って変わって、ゆっくりと話をする、物腰の柔らかい感じの看護師でした。
「この病棟はね、古くてこんな感じだから、学生さんはもう何年も受け入れていなかったんだけどね。僕はこの病棟には5年いるけど、学生指導は初めてで、慣れていないから。でも、その分、何でも聞いてね。あまり緊張しなくて良いからね。」
そう言いながら、まあ、とりあえずと病棟の案内と受け持ってもらう患者さんを紹介しよういうことになりました。
何故今回は、急に学生を受け入れようとしたのか。私は思うところは沢山ありましたが、自分から質問なんてできないほど緊張してしまっていて、前日からの睡眠不足も重なり、頭も気持ちもすでに憔悴していました。

この病棟は古い設計のせいか、照明が無ければ昼間でもきっと薄暗いだろうと思われる空間でした。
出入り口近くには、ナースステーションと診察室などがパーテーションで仕切られていました。患者用の浴室や洗面室もありました。ナースステーションの脇を通って少し奥に進むと中央は割と広い半円形ホールになっています。大きなテーブルが二つあります。食堂や作業場を兼ねています。その半円形のホールを囲うように放射状に6つの部屋があります。

その部屋は保護室と言います。保護室は個室になっているのですが、前面の壁やドアは鉄格子でできていて、ナースステーションやホールから中の様子がよくわかる様になっています。各部屋にトイレもあります。広さは6畳程です。保護室ごとにカギがあり、施錠しなければなりません。
私は独房のようだと、この異様な空間にゴクリとツバを飲みました。この光景に飲み込まれて行くようでした。自分の現在地が安全なのかそうでないのか、警戒心が膨らんで行きました。

保護室は6部屋ありますが、現在患者は4人しかいないそうです。そのうちの一つの部屋の前で指導看護師は立ち止まりました。指導看護師は施錠を外し、ドアを開けて中に入っていきました。私も入ってくるように促されました。
板張りの床になっています。部屋の中央で、背中を向けて座っている女性がいました。
「瀬川さん。今日から来てくれた学生さんですよ。仲良くしてね。」
紹介された患者の瀬川さんは、私たちに背を向けたまま座ったままです。ピクリとも動きませんでした。学生指導の看護師は、私に微笑んで、私から挨拶するように促してすぐに去って行きました。
『えっ。そんな。』
急な展開に、私は血圧が急降下してクラッと目眩がしそうになりました。挨拶や紹介は、もっとお互い理解できるように、ちゃんとやるべきものでは無いのか。これはただ引き合わせただけ。不安に不安が上塗りされたような患者紹介でした。私はこの独房のような部屋に一人いる異様で下を向いたままピクリとも動かない患者に対して、一体どう接すれば良いのか見当がつきませんでした。とにかく、めまいを鎮めるように私はゆっくりその場に座りました。幸いそれは、患者さんと目線の高さをあわせるという看護の基本的な行動に似ていたので、私は助かったと思いました。

保護室は6畳ほどの広さで、外に面した奥の壁には手の届かない高さに、小さな高窓が一つあります。外の明かりが差し込むには小さすぎますが、無いよりましという程度でした。血の気が戻った私は、とりあえず挨拶だけはしっかりしょうと思いました。それが常識だろうと思いました。それもちゃんと指導できないなんて最低だと、指導看護師に対して私は不満で一杯でした。とにかく気持ちを抑えようと必死でした。

「初めまして。今日から担当させていただく木村と言います。よろしくお願いします。」
私はできる限りに優しく誠意のあるような気持ちで声をかけました。
しかし瀬川さんからは何の反応もありません。会話が成立しませんでした。
それでも私は気持ちを奮い立たせて質問しました。
「朝ご飯は食べましたか。」
「瀬川さんは何のメニューが好きですか。」
「瀬川さんは私と一緒にしてみたいことはありますか。」
私が何を言っても、言葉の一つ一つが瀬川さんという大きな岩に当たっては打ち砕かれというより、彼女の大きな体に鈍い音をたてて埋めり込んで行くかのようでした。

「瀬川さんチョット失礼しますね。」
瀬川さんとの二人きりでの空間では間が持たない。もう私には限界だと思って、その場にはいたたまれない気持ちで保護室を出ました。
私は指導看護師に助けを求めました。
「瀬川さんは、何も反応ないので会話になりません。」
と私が言うと、指導看護師は
「会話なんてしなくていいですよ。瀬川さんの横にいるだけでいいですよ。」
と言います。私はもっと指導の言葉をもらえると思っていたのですが、これではまるでお話になりません。
「えっ!? それでは実習になりませんけど。」
私はムッとして言いました。私には横にただじっとしているという事がいたたまれないのでした。時間にも、あの空間にも押しつぶされそうなのでした。
「看護学生は実習記録を毎日提出しなければならないので、患者さんが無言だと書くことが無いので困ります。」
私がそう言うと、指導看護師は、また微笑んでいます。
「心配しなくて良いですよ。」
と言って、私に瀬川さんのところへ戻るように促しました。私は心配なのでは無くて、本当は嫌なのだと言いたいけれど、それでは実習は始まらないし、甘えた実習生だと思われるに違いないと思いました。
私は仕方なく瀬川さんの部屋へ向かいました。私は、不思議なことに指導看護師に不満を言えたせいか、少し気持ちが楽になっていました。少し血圧も上がって闘う気力のようなものが湧いてきたのかもしれません。学生指導者が患者さんと一緒にいるだけでいいと言うのだから、遠慮なくそうしようと半ば開き直りました。この病棟でやることはやってみようという、これも一つの前向きさではありました。

私が色々話しかけても、患者の瀬川さんはピクリとも動きません。とても異様な空間です。それでも時間が経過して、一旦開き直ってしまえば瀬川さんが来ている淡いピンクのカーデガンは良い色だと思ってきたし、時代遅れのようなマシュマロカットも、何気に可愛いと思ってきました。私は最初ビクビクしていましたが、瀬川さんからの危害は無いことは感じとれました。
間が持たないので、私は瀬川さんに質問することは止めて、仕方なく自分自身のことを話すことにしました。自分の住んでる家のこと、2年前に引っ越してきたこと。
恐る恐るですが、話しているうちに私自身が楽しくなって、あっという間に時間が過ぎました。こんな風でいいのかまるで分かりませんでしたが、初日はこのようにして終わりました。

実習2日目。
実習生が来たということで、瀬川さんにとっては非日常的な出来事が起きたはずですが、夜は問題なく良く睡眠もとれていたと申し送りがありました。
私が実習病棟に到着する頃には、瀬川さんは朝8時からの朝食は既に終わっていて、身繕いも済ませていました。
私は瀬川さんと一緒に環境整備という部屋の掃除から行うことになりました。部屋のトイレ掃除は病院の看護師がすでに済ませていました。
瀬川さんは、部屋の中央で入り口に背を向けて俯いて座っている。昨日と同じ格好でした。
二日目の実習をどう過ごせばいいかと思うと私は途方に暮れました。
私は瀬川さんの傍らにしゃがんで、彼女と同じように視線を床に落としました。
「瀬川さんおはようございます。今日も一日よろしくお願いします。」
挨拶をしましたが、いつものように反応はありません。
「今からはお掃除の時間ですね。私お手伝いしますね。」
相手の反応の無い時間は、とても気まずくて長く感じられます。実際は10秒程度かもしれませんが、私には10分くらいに感じられました。昨日の状況から考えると、瀬川さんは今日も動かないだろうと思いました。瀬川さんの動くのを待ちきれない私は、さっさと掃除を済ませようと思いました。瀬川さんを無視して彼女の傍らから離れようとした瞬間、彼女はヌッと立ち上がりました。
彼女は巨体でした。驚いた私は腰を抜かして床に尻餅をついてしまいました。彼女を見上げました。身長は160㎝程度で女性としても特別背が高いわけでは無いのですが、肩と胸、全てにたっぷり脂肪のついた肉厚の体。床から見上げる私には、ピンクのカーデガンを着た巨大な動物を見ているようでした。無言でした。次の行動が読めなくて、とても不気味に感じられました。
指導看護師が慌てて駆けつけました。彼は一瞬私の顔を見ましたが、それより優先するかのように瀬川さんの横に立って話しかけました。
「今日は学生さんと一緒に部屋の掃除をするでしょ。箒ではわいてもらうけど、かまわないかな。」
瀬川さんは指導看護師の言葉に素直にコックリと頷きました。私のこわばった表情を見たからなのか、結局指導看護師も加わって、三人で淡々と部屋の掃除をしました。私は腰を抜かすほど驚いてしまいましたが、瀬川さんは、ただ単に立ち上がっただけのことでした。

指導看護師と学生間で、その日の実習振り返りをする時間があります。
指導看護師は言いました。
「今日は大変でしたね。」     
「業務に追われている僕達にはなかなかできないことだから。会話はいらないから、彼女と一緒の時間をゆっくり過ごして欲しいな。横にいるだけでいいから。」
私には納得できないところがありました。他の病棟で実習する看護学生と違って、自分には何も書くことが無くて困っていると私は言いました。
指導看護師は少し考えていました。
「そうか、実習記録があるね。沢山は書かなくても、勿論構わないよ。」
「木村さんが感じたことや思ったことを書くだけでも良いですよ。」
「それでもね」
言いかけて、彼は少し考えながら、
「あえてやってほしい事があるとすれば、瀬川さんの心を少し動かして欲しいかな。」
そう言って少し笑っていました。その視線は私に向けられているわけでは無く、少し遠いものを見ているようでもありました。
会話すら成立せずに落ち込んでいる私に、一緒の時間を共有して、できれば心を動かせたらと言います。良い方に考えれば、指導看護師から君にならできると言われているような気分になりました。同時に指導看護師自身の求めている希望やロマンのようでもあると思えました。分かるようで分からないような。それでも私に対しては励ましてくれているような気もして、私は指導看護師の妙な説得力に『はい』と頷いてしまいました。

実習3日目。
今日も環境整備が終わると私はすることが無いのでした。私はとにかくうつむいて部屋の中央に鎮座する瀬川さんの傍らで、ただじっとしているしかありませんでした。

私は緊張疲れか、少し眠くなってきました。瀬川さんの横で眠るわけにも行かず、頑張っていましたが、少しウトウトしてしまいました。
私はふと視線を感じました。ウトウトしたところを、瀬川さんにチラッと見られたような気がしました。気のせいかと思いましたが、瀬川さんは確かに私を見ている気配がしました。
実習中にサボっているところを瀬川さんに見られたような気まずい気持ちになりました。少し恥ずかしい気がして、慌ててその場を取り繕おうと、何か用事を思い出した振りをして、私はその場を離れたのでした。
動き出した私に気がついた指導看護師と目が合ってしまいました。彼はどうしたかと言うような顔をしています。指導看護師の元へ歩み寄る数歩の間に、私は思い浮かびました。もっと瀬川さんのことが知りたいと。そのことを申し出ると、午後から瀬川さんのカルテなどでゆっくり情報収集する時間をもらえることになりました。

瀬川さんは、遠い郡部の出身でした。10代後半から幻聴があり、奇行を繰り返すようになりました。思い悩んだ親族が、わざと遠いこの地のこの病院を選んで入院させたようです。万が一この病院を自ら離院したとしても、簡単には郷里に帰って来られないようにするためだったようです。
「瀬川さんは、もう30年もここに入院しているんですよ。」
と指導看護師は言います。
瀬川さんの人生は、少なくとも3分の1はこの閉鎖病棟のこの6畳足らずの一部屋でした。昼間の動きはほとんど無く、夜深夜になると大声を出したりするといいます。散歩など短時間の外出も殆どしないそうです。両親が高齢になって面会に来ることができなくなると、代わりに兄弟が盆と正月に新しい衣類を持ってきていました。しかしそれも両親が亡くなってからのこの十年は、数えるほどしか来ていないのでした。

私には謎に思えました。
この檻のような部屋に、まるで凶暴な生き物を囲っているようにしかみえない日常。
隔離ということがどうして瀬川さんにとっては治療なのか。彼女はどうしてここから出ようとしないのか、私には理解ができませんでした。
いつしか私の思考は、瀬川さんを理解するために進み出したようでもありました。

実習4日目。
私は環境整備のあと、瀬川さんの傍らでじっと過ごすことに抵抗がなくなっていました。
瀬川さんは、質問しても答えてくれないということは初日に分かっていました。
私は思いました。あの日、簡単な引き合わせしかしてくれなかった学生指導者。あまりの唐突な紹介に私は立ちくらみを起こしそうになりました。
しかしあの時、私は自分のことしか考えていませんでしたが、実は瀬川さんこそ驚いて身動きがとれなかったのかもしれないと思いました。初対面の人と簡単に要領よく挨拶ができるくらいなら、この保護室に入っているはずは無いのですから。
考えてみたら、あの時の私の質問も、無茶振りで身勝手な行動だったようにも思えます。

瀬川さんが聞いているかどうか分かりませんが、時間はたっぷりありますので、私は自分の生い立ちを彼女に話してみようと思いました。前日にカルテで瀬川さんの生い立ちや今までの経過を読んでみて、私も何故か祖父母がいる田舎や自分の子供の頃を懐かしく思い出していました。
自分は有明海干拓地にある小さな町で生まれたことや、その後父の転勤で5歳の時にここの隣町に引っ越してきたことなど話していきました。黙ってうつむいたままの瀬川さんに話しかけながら、私は次第に自分の世界に入って行きました。
保護室の中、不思議な空間でした。そこに山があり、そこに川が流れ、祖父母も子供の自分も自由に空想できるのでした。その時の私には何故か閉じ込められている感じはしませんでした。

実習5日目。
月曜から始まった精神科実習は、金曜日の今日も変わらない日常でした。
ただ私は少し楽しみにもなっていました。瀬川さんに変化があるわけではありませんが、彼女に昨日の話の続きをしたいと思っていました。自分には3歳年下の弟がいること。両親共働きだったので、自分が面倒見ることが多かったこと。
動かない瀬川さんからは、体温が伝わってぬくもりを感じるようになっていると私は自分の変化を感じました。そして不思議でした。瀬川さんに自分のことを話すことで、私自身が癒やされているような感じがしていました。

今日でやっと実習期間の半分が終わりました。

実習6日目。
月曜の朝は、落ち込むこと無く迎えられました。
あの閉鎖病棟へ行くことが苦痛でなくなりました。瀬川さんと時間を過ごす明らかな目的が自分の中に生まれていたからでした。いつしか時間をともにする苦痛がなくなっていました。

私は自主的に早めに実習病棟へ行って、夜勤看護師の申し送りから出席しました。ナースステーションで夜勤の看護師が夜間の患者の様子や直近の状況を日勤の看護師へ申し送りをしています。その背後で聞いていた私ははっとした。瀬川さんは土曜・日曜と二晩続けて夜中に大声を上げたというのです。鎮静剤を注射されてその後は就寝したらしいと言うことでした。

もしかして私の対応が悪かったのかもしれない。私が自分のことばかり喋ってしまったので、怒った瀬川さんはストレスで夜大声を出してしまったのかもしれない。瀬川さんの精神状態を悪化させてしまったのでは無いかと、私は指導看護師に謝りました。そして今日、自分はどのように接したらいいのか不安でならないと相談しました。私はきっと不安な表情を浮かべていたはずですが、指導看護師は、
「ああ、夜のことですね。瀬川さんは落ち着いているし、朝から十分食事も摂れているので、何も問題ないですよ。」
と、まるで聞き流すかのように答えました。

私はおそるおそる朝の環境整備のために保護室へ入りました。
瀬川さんはいつものように布団を整えてルーティーンを淡々とこなしています。何も変わった様子はありませんでした。
何もすることが無い、まったりとした時間が今日もやって来ました。部屋に鎮座した瀬川さんの傍らにとりあえず座ってみましたが、私は先週のように自分の話をしていいのかどうか分かりませんでした。夜に彼女を不安定にさせるかもしれないと思うと、喋るのが億劫になっていました。
私は彼女の横でうなだれて無言で時間が過ぎていきました。

「木村さん。」
夢の中でしょうか。小さい声で誰かが私を呼んでいる声が聞こえます。
「木村さん。」
確かに誰かが私を呼んでいます。まさかと思って顔を上げると、瀬川さんが私の横顔を見ていました。
「はい。瀬川さん。」
私は驚きましたが、平静を保とうとしました。
「どうしましたか。」
と言って私は瀬川さんの顔を改めて見つめました。

彼女は私の顔から視線をはずして斜め上の方を見ています。そして話し始めました。
「昨日の前の夜は、あそこの部屋の人がウオーと叫んでいるから、私も叫ぼうと思った。叫んだら気持ち良かったあ。」
夜勤者が申し送りをしていたことだと私は思いました。
叫んだりしたら、看護師さん達は驚いたのではないのかと聞いてみました。
「止めなさい。止めなさいって言われた。でもさ、楽しい気持ちになったから叫んだよ。ウァーって。何回も叫んでたらね、注射された。」
注射されたことが可笑しかったようで、クスクス瀬川さんは笑いました。私も瀬川さんにつられて笑いました。
瀬川さんはまた話し続けました。
「昨日ね。あそこからね。月が見えたよ。雲も見えた。松が揺れるのも見えた。月がきれいだったあ。月の光がね。パーッとね。入ってきたから叫んだらね、注射された。」
瀬川さんはまた笑いました。大きな肩を振るわせてクスクス笑っています。
二日も続けて注射をされたなら、体は大丈夫かと尋ねると、
「大丈夫よ。」
と瀬川さんは私の目をジッと見て、急に真剣な表情で返事をしました。
その視線の強さに私は一瞬戸惑いましたが、彼女はまた天井近くの小さな窓を見ながら静かにしています。
私は喜びで胸が一杯になりました。瀬川さんでなく、私自身の気持ちを落ち着かせるために一旦保護室を離れ、そして瀬川さんと会話ができたことを指導看護師に伝えました。
「今朝、瀬川さんがね、学生さんの名前を教えて欲しいと言ってきたから、今日は何か反応があるかなと思っていましたよ。」
と、まるで分かっていたかのように微笑んでいます。

瀬川さんはあまり口を開けずに喋りました。小さめの声で、少し早口でした。それでもその口調から、私にはしっかり意思表示のできる人だという印象を受けました。
私は、瀬川さんを理解したいという思いはありましたが、彼女をどうしたいという目標はありませんでした。看護実習の目標を書いて事前に提出はしていますが、この病棟に配属された時点で、私の中でのイメージは全てが崩れてしまっていました。私は主治医に聞いてみたいと思いました。この実習で、私は何を目標にすれば良いのか。何を学べば良いのか。崩れた私の目標を、私はどのようにすれば良いのか。間違ったことをしているのか。
嬉しさと共に、私は責任のようなものを感じていました。瀬川さんの心を開いてしまった責任のようなもの。彼女を向かわせる方向が、私にはまるで分かっていないと思うのでした。
そんなことを知っているかのように、今日は丁度主治医の回診があるので、そのあと疑問があれば主治医に直接質問をするようにと指導看護師は促しました。

病棟回診のあと、私は病棟の入り口近くにある診察室に通されました。そして椅子に掛けるように促されました。
主治医は白髪の混じる初老の紳士で、物静かな優しい物腰でした。先日瀬川さんのカルテを見たとき、主治医の記録を読もうとして諦めました。主治医の文字はあまりにも癖があり、所々に横文字も混じっていました。わざと読ませないためにこのような字を書いているのだろうかと思えるくらいの解読が難解な記録でした。文字は大きめで勢いがあり、筆圧もありました。この主治医の物腰の柔らかさとカルテの文字の勢いのギャップは何だろうかと私は思いました。

「カルテを書きながらでごめんなさいね。木村さんは何か質問があるの?」
話しかけることに躊躇している私より先に主治医は声を掛けました。
私は瀬川さんを受け持っていて、彼女がどうして保護室から出ようとしないのか。散歩など外へ出ようとしないのか尋ねてみました。
主治医は瀬川さんがいるのは隔離室ではなく保護室であると話始めました。彼女のように慢性期患者で保護室に保護されている患者にとっては、保護室から外へ一歩出ることはとても勇気の要ることである。不安であり恐怖すら感じるのだと説明してくれました。あの部屋にいることが彼女は身を守ることであり安心なのだから、こちらが一方的に良かれと思って強引に外に出そうとしても出ないのだと。
主治医はカルテを記録する手を止めて、私の表情を見るかのように顔を覗き込みました。
「木村さん。あなたはどうしたいのですか?」
私は質問が急に自分に向けられたことに驚きました。
私が何をしようとしているのかを尋ねられている。何がやりたいのか。意表をつかれたその問いに私は興奮さえ覚えました。自分が何をやりたいのか。私にはそこが分からないのですから。
私は咄嗟に、
「学生である私が、瀬川さんを散歩に促すことは、治療を妨害することになりますか。」と言いました。すると、主治医は
「それはね、むしろ歓迎しているよ。」
と言いました。
「その影響でまた大声を出して不穏になったりしたら、ご迷惑をおかけするのでは無いでしょうか。心配で躊躇してしまいます。」
と言いました。主治医は私の全てのノーを打ち消すかのように、
「そのために私たちがいるのですから。心配しなくて良いですよ。」
そう言って椅子から立ち上がりました。私も慌てて立ち上がって挨拶をしました。主治医はドアの前で立ち止まって振り返りました。
「瀬川さんをよろしくね。」
と言って微笑んでいました。

私は、自分の口から『散歩』という言葉が出たのには驚きました。主治医に話している内に、気持ちが熱くなっていました。私は、内心、瀬川さんに何らかの変化をもたらしたいと思っているのが分かりました。それは、実習記録の枠を埋めるためのものでは無く、やるなら奇跡が起こるように本気でやってみたいと思っている自分に気がつきました。
瀬川さんを保護室で保護をすることと、彼女に刺激を与えて外に出るように促すこと。これは真逆なようですが、実は本来の瀬川さんを取り戻そうとするアプローチであり、二つは同じ方向を向いている気がしました。本来の瀬川さんは、大声を上げて奇声を放つ姿でなく、人として生まれてきたこと。それが本来の彼女。私にはそう思えました。

指導看護師によると、瀬川さんは、十年前くらいまでは、普通に散歩もし、レクレーションにも参加していたそうです。一時期は解放病棟にいた時もありましたが、両親が相次いで亡くなり家族との縁が遠くなってからは、次第に今の状況になっていったと言うことでした。
入院30年の間には彼女自身の歴史がありました。気の遠くなりそうな歳月でした。簡単に彼女の心に影響を与えるなんて、ましてや残されたこの1週間足らずで何ができるのか。瀬川さんの心を動かすなんて、無謀な挑戦であるような気がしてきました。
一度私に心を打ち明けてくれたとはいえ、そう簡単なことではないようでした。それこそ奇跡が起こらなければならないと思いました。やりたいけれど、私にはやれる手立てがないとも思いました。彼女の気持ちをその位置へ持ち上げていくには、何かもう一つ見つけるべきものがあるような気がしました。それが何かが見つかりさえすれば、きっと時間の経過なんて問題としない変化が、一瞬にして起こりそうな気がしました。

保護室に戻るといつものように保護室の中央に背を向けて鎮座した瀬川さんがいました。私は彼女の横に座りました。私の中の葛藤。このまま何もできないのかと思うと焦っている気持ちのせいか沈鬱な気持ちに沈んで行きそうになりました。それでも彼女は何も言わずに私の横に黙って座っていてくれました。

私はふと思いました。
そう言えば、いつも彼女はこの場所にいます。見上げれば天井近くにA4サイズ2枚を横に並べたほどの窓があります。
私は瀬川さんの話を思い出しました。いつも下を向いているのに、夜になって頭を上にもたげたらあの小さな高窓に月が見えたのでしょう。昨晩彼女が叫んだのは、これは不穏では無く、歓喜の叫びでは無かったのか。昨晩は、満月でした。明るい満月でした。この部屋の中央に鎮座している瀬川さんに、あの小さな窓から月の光が降り注いだ光景を思い浮かべてみました。薄暗がりの中、彼女は月の光のスポットライトを浴びているように、それはそれは幻想的であっただろうと思いました。そして、あの天井付近の小さな窓から月の光が真っ直ぐに降り注ぐことができるのは、瀬川さんがいつも鎮座するこの場所でなければなりませんでした。瀬川さんは、いつもスタッフに背を向けているのでは無くて、もしかしてあの窓から空を見るためだったかもしれません。
私は心が震えるような感動を覚えました。私は、本来の瀬川さんを見つけることができたような気がしました。私は瀬川さんに適切なアプローチができるような気がしました。

この日私は瀬川さんの横で、春の話をしました。私の家の近くは、まだ山や畑がある田舎なので、子供の頃にはよくツクシを採ったことを思い出すと。ツクシを見る度に、思い出とともに懐かしさがこみ上げること。30㎝を優に超える立派なツクシが、藪の中に目をこらせば無数に群生しているところを見つけたときの興奮。そして抱えきれないほどの束にして自宅に持って帰ったものの、その後の袴取りが大変であったこと。母が卵とじにして夕食のおかずにしてくれたこと。苦みもあって美味しいとは思わなかったけれど、母と一緒に作業したことがとても嬉しかった。春のいい思い出であることなどを話しました。
瀬川さんにそのツクシの群生を見せてあげたいけれど、時期はもう五月なので、ツクシはもう見られない。けれども、今は一面にツツジとサツキの花が咲き乱れているので、これがまた見ものであると話しました。

月がきれいだったと言った瀬川さんには、美しさを感じ取れる感性があるのだと私は驚きました。それならば日本には四季があり、子供の頃にはきっと親しんだであろう自然があるはずです。一歩外に出れば、野山の美しさはまだ残っています。美しいものは小さな窓の中の月だけではないと私は伝えたかったのでした。
けれども瀬川さんは、今日も動かないままでした。やはり私は、これ以上瀬川さんに何も提供できないのかと思いました。

実習7日目。
2週間のうち10日間が実習であるため、今日が終わると実習は残り3日になりました。実習も終盤を迎えると、広場などで患者さん達と一緒にレクレーションに参加している実習生の姿が増えて行きます。
毎日同じ場所にずっと座って動こうとしない瀬川さん。それでもいいと言ってくれる指導看護師。方向性は間違っていないのだと思いました。瀬川さんには瀬川さんなりのタイミングがあるのではないのか。私は、その瞬間を見逃さないようにしたいと思いました。

実習8日目。
5月の日差しは9時前には既に強く、背丈を超える大きなサツキの木には白やピンクや赤紫の花がびっしりと咲き誇っています。ここまで巨大に成長したのなら20年も30年も経過しているのでしょう。その時間の経過は巨大さと比例しており、瀬川さんのここで送った時間の長さと併走しているようだと思いました。

この病院は炭鉱財閥の元別荘だったという噂を聞いたことがあります。敷地面積9万坪。門から病棟まで立派な松並木があります。並木の脇には広い芝生の広場があります。テニスコート4面は軽く入るでしょう。これほどまでに広く立派な敷地。『恵まれた自然の中での開放療法』。この病院のパンフレットにそう書かれていました。毎日この敷地を通り抜けて実習病棟に向かいますが、この風景はちゃんと私の意識の中には入っていませんでした。

私は、少し違う空気が吸いたい気持ちになって、昼休みに少し気晴らしに庭の散策をしようと思いました。広場の脇には立派な藤棚があり、散歩途中の患者さん達は日陰を求めて休憩もできます。その奥は植木が見事に配置された日本庭園がありました。錦鯉の泳ぐ池もあり、日本庭園の優雅さを感じ取れる立派なものでした。
とても昼休みに回れる広さでは無く、午後からの実習に遅れそうになってしまいました。私は一人小走りで一番奥にある自分の実習病棟へ向かいました。

人の心のように、もう少し覗いてみたいという誘惑にかられる奥の深い庭。限られた時間の中では、とても辿り着けない深みのあるものでした。今回はできる限りのここまでで良いと思った瞬間、私はフッと肩の力が抜けたようでした。瀬川さんの事が思い浮かんできたのでした。患者さんに何かを期待しなくても、それで良いと思いました。
指導看護師が最初に私に言った言葉を思い出しました。『横にいるだけで良い。』何度も言われました。『時間を共有するだけでいい』と。実習場所としては何のイベントも無くて実習レポートを書くネタは少ないのですが、これはこれで良いのだと思うようになりました。そう思うと、何故が小走りしている足取りも軽く感じられるのでした。早く瀬川さんの横に行きたいとすら思いました。

実習9日目。
精神科実習は明日で終わります。
私はいつものように淡々と朝の環境整備を一人で終えてホールにいる指導看護師のところへ向かいました。ホールでは、珍しく中央のテーブルに瀬川さんと指導看護師が椅子にかけて話をしていました。瀬川さんが保護室から出ているのを見るのは初めてでした。食事すらホールに出ずに保護室の中で食べているので、私は何事かと驚きました。
「瀬川さん、自分から言ってごらん。」
指導看護師に何やら促されています。瀬川さんは下を向いてニヤニヤと笑っています。恥ずかしそうです。それで学生指導の看護師が言いました。
「今日は木村さんと庭の散歩がしたいと瀬川さんから申し出がありました。瀬川さんは木村さんに病院の花を見せてあげるそうです。散歩は私がこの病棟にきて5年になりますけど、瀬川さんが散歩はおろか外に出た記憶はほとんどありません。」
「瀬川さんは外に出るのも歩くのも最近は慣れてないので、まず朝食はホールに出て食べること。散歩は私も一緒について行くことを条件にしました。それで瀬川さんは今ホールで朝食を食べ終わったところです。」
「木村さん、散歩に行きましょう。」
瀬川さんは看護師に促されて私に声を掛けました。
「行きましょう。」
私も笑って返事を返しました。
昨日から、何かが変化しているのを私は感じていました。それは、私自身の心の変化がそう捉えているのかもしれないと思っていました。そしてそれはまた、実際に瀬川さんの心の壁もとれていたのでした。
私たちは既に仲良しになっていました。子供の頃、仲良しの友達となら、どんなところへでも行けそうでした。仲良しとなら、一緒にこの閉鎖病棟を抜け出して、キレイな花の咲く場所へと遊びに出かけられそうでした。瀬川さんは、きっとそのように思ってくれたのかもしれません。
私は彼女の変化を受け止められるだろうかと、以前の私であれば不安を感じたと思います。しかし、期待をしていたのはそもそも私自身ですので、もう成り行きを注意深く見守るしかありませんでした。
『彼女の心を、少し動かして欲しい。』と指導看護師は言っていました。
『何かあっても、そのために自分達がいる。』主治医もそう言ってくれました。今その時が来たのだと思いました。

午後からの日差しは一層強くなっていました。私たちは午後2時に西病棟一階入り口に集合しました。私と瀬川さんは作業用のツバの広い麦わら帽子をかぶりました。指導看護師と瀬川さんは首からタオルを掛けています。瀬川さんはいつもの大きなTシャツにゴムのギャザーがたっぷり入った裾広の丈短めのズボン。レース編みの靴下と薄いピンクのスニーカーを履いています。露出したふっくらした顔や腕は、日光を浴びることがあまりにも少なかったせいか、目を引くような眩しい白さをしていました。

「瀬川さん。学生さんにどこを案内するか教えて。」
と指導看護師が言うと、瀬川さんは恥ずかしそうに笑っています。
「よろしくお願いします。」
と私は声を掛けました。指導看護師は日陰のありそうなところを行きましょう。30分位の予定ということでした。そして突発的な行動が起きた場合は、すぐに引き返しますと。
「瀬川さん、急に走り出したら、お散歩は終わりにしますよ。ゆっくり歩いてね。」
瀬川さんは頷いています。
私は急に緊張してきました。何年もの間保護室から出ようとしなかった人が、急に外に出るのですから。それは何が起きるか予想もできないことでした。

それでも瀬川さんは、私たちの緊張とは裏腹に、外に出た途端に『ウワーっ』という声をあげました。明るく晴れやかな表情でした。彼女は病棟入り口前の道に沿って歩き出しました。そして咲き誇る満開のサツキに近づいて行きました。懐かしむように愛おしそうに触れています。ピンク色の一つ一つの花とおしゃべりでもしているかのように、ひたすら自分の世界の中にいるようでした。
植栽されている木々の大きさからして、以前瀬川さんが散歩に出ていた頃のままそこに咲いているのでしょう。瀬川さんは、暫くだったねと話しているのかもしれません。

瀬川さんは私よりも先を歩いて行きます。瀬川さんの横には指導看護師が連れ添っています。その後を私がついて歩くというスタートになりました。

まず瀬川さんはグラウンドに沿った道を案内しました。常に庭師がいるのでしょうか、ツツジは丸く刈り込まれ梅の木は枝振り良く作られています。途中から脇道に入りました。脇道は中央の広場よりも一段高くなっているため、病院全体の庭と言われる部分を見渡すことができました。私が昨日途中で引き返した池のある日本庭園も遠くに見えました。病院の敷地の広大さに驚かされましたが、きっと四季折々の花が咲くのを想像すると、見ごたえあるに違いないと思いました。

「瀬川さん、大丈夫かな。」
「瀬川さん、暑いから、もっと日陰を歩こうか。」
物静かな印象の指導看護師でしたが、いつもよりも多く話しかけている様子でした。瀬川さんは久しぶりの散歩ですので、突発的な反応が起こるかもしれません。一緒にいる指導看護師の緊張も伝わってきました。

ここに入院して30年の歳月は、瀬川さんにとってどのような事だったのか。瀬川さんのことを思い浮かべながら、私は歩きました。
花は花であり、空は空であり。
彼女の中には断片的な思い出があって、きっと今はそれらを結びつけようとしているのだろうかと私は思いました。暫くはそっと見守っていようと思いました。
多少興奮して落ち着きが無い雰囲気がありましたが、暫くすると瀬川さんの歩く速度はゆっくりとなりました。私と並んで歩くことも増えてきました。

指導看護師の誘導で、いつしか私たちは病院の裏手ヘ行く道を歩いていました。松の木の林は日陰を作ってくれるので、散歩するのに助かりました。
やがて松の木に囲まれるように建つログハウスが見えてきました。ログハウスの裏手から水蒸気のようなものが立ち上っています。人の気配があります。病院らしからぬ建物なので私は中を覗こうとしました。指導看護師が、これは患者さん達の作業所だと説明してくれました。ある程度安定して自立できる患者さんは、ここで袋作りやタオルのクリーニングなどの作業をして、僅かながらも賃金を得ているという事でした。
花の無い道ではありましたが、瀬川さんもこの建物が気になるようでした。立ち止まっています。
「瀬川さんもここは覚えているよね。」
彼女はコクリとは頷きました。
「また行けるようになるといいね。」
すると彼女は再度頷きました。

瀬川さんは作業所の一員として参加していた時期があることに私は驚きました。保護室から一歩も出ようとしない現在とはかなり違う姿でした。
強制的に縁もゆかりも無いこの病院に連れてこられたのは30年も遠い昔。それでも様々な苦境を経て、少しずつ前進し、彼女は作業所のメンバーになりました。人生で一番活気があり意気揚々とした時期であったかもしれません。作業所で少しずつお金を貯めて、いずれ両親のいる郷里へ帰る事を夢見ていたのかもしれません。
しかし10年前の両親の死は、その明るさを一気に失わせてしまいました。頑張っても乗り越えても、もう両親はいない。
そうなのかと私は想像しました。目標を失って10年間も外界を遠ざけて閉じこもってしまうほど深い悲しみがあったのでしょう。保護室で守ってもらいながら過ごした10年間。そうだとすれば、私が幼い頃の話をしたことで、私が意図したことではありませんでしたが、懐かしさがあふれたのでしょうか。時間の経過を感じ取れたのでしょうか。
もう10年の歳月が過ぎたことを感じたでしょうか。外に出ると言うことで、あの時の花や木はどうなっているのかを確かめたい。意識から消してしまっていたものの今を確認したいと思ったのでしょうか。

私たちは、予定より15分ほどオーバーして西病棟の玄関に戻ってきました。午後の日差しは強かったです。瀬川さんの腕や頬は既に真っ赤になっていました。額や鼻の頭は、汗の粒で一杯でした。病棟に戻ったら水分を補給しようと指導看護師が瀬川さんに声をかけました。
1階のエントランスでたまたま居合わせた看護師達が、瀬川さんの姿を見て驚いています。
「瀬川さん、どこに行ってきたの?お散歩?良かったねー。」
瀬川さんはウンウンと頷いています。瀬川さんの返事は、彼女を取り巻いた4~5人の看護師たちの矢継ぎ早な賞賛の言葉や、肩をポンポンと叩くボディタッチについて行かないのでした。かつては瀬川さんと一度は接したことのある看護師達のようでした。指導看護師は、その光景を見て笑っています。無事に連れて帰ってきたという安心感でもあり、誇らしさでもあるように思えました。

暫くして瀬川さんの表情は急に固まりました。エントランスの奥の方をジッと凝視しています。瀬川さんは丁度2階から降りてきた主治医の姿をいち早く見つけたのでした。階段のガラスブロックから漏れる眩しい光は逆光となって、主治医の顔や姿をはっきりと見分けられませんでした。それでも瀬川さんは、気配で主治医が分かるのだろうと私は驚きました。
看護師達も少し遅れて気がついて、
「あら、先生!瀬川さんですよ。」
と口々に主治医に向かって声をかけています。
主治医だと確信した瞬間、瀬川さんは、看護師達の体の隙間を抜けて、ドーッと走って行きました。
それは私たちが気を許した瞬間に起きました。
私には、瀬川さんが走っている後ろ姿と、それでも騒がず優しく微笑んで、瀬川さんを待ち受ける主治医の顔が目に映りました。
瀬川さんは主治医の前まで走って、そして足下で倒れて気を失いました。天井を向いて真っ直ぐに横たわっています。指導看護師はすぐに駆けつけ、主治医に、今散歩から戻ったところだと説明しました。
主治医は、
「良かったね、瀬川さん。」
そう言って横たわる瀬川さんの肩をトントンと優しくたたいて立ち去りました。主治医は彼女が倒れたことで処置をすることはありませんでした。それでいいよと言わんばかりの、分かっているよと言わんばかりの所作でした。そして主治医は指導看護師に向かって、目配せをし、彼もまた頷きました。

指導看護師は居合わせた看護師達と瀬川さんが起きる手助けをしました。
「病棟に戻って、冷たいお茶を飲もうね。」
と言われると、瀬川さんは何の抵抗もなく目を覚まし自から立ち上がり、何事も無かったように一緒に歩き出しました。周りにいた看護師達も、何事も無かったかのように
『お疲れさま』と言って分かれていきました。

瀬川さんが無事に起き上がってくれたことにはホッとしましたが、私には状況が良く理解できませんでした。ただ、彼女は気を失っていたわけでは無いと言うことは分かりました。

振り返りの時間に、瀬川さんが何故倒れたのか聞いてみました。その時の主治医のとった行動も指導看護師の考えていることも分からないことが沢山ありました。そして散歩まですることができたことについて良かったけれど、今後どのように学生の私の存在自体が精神的に影響を及ぼしてしまうのかと。

指導看護師は、
「刺激になったのは確かでしょう。」
と言いました。
「刺激が全て悪いわけでは無く、これはいい方向では無いかと感じています。瀬川さんが外の世界に目が向いた事で、今後も刺激の多い世界に入ろうとしています。彼女はそれをちゃんと主治医にも伝えたのでは無いかと思っています。」
と指導看護師は感想を言いました。
彼は『それでいい』と言いました。『貴方がその喜びを感じ取れているのであれば』と。「瀬川さんは、ちゃんとあなたに共感し、あなたに秘密の気持ちを伝え、あなたに自分の庭を案内し、過去の自分の一番いい頃の姿を教えたのだと思います。その瀬川さんの思いを貴方が感じてくれるのならば、この実習は良かったと言えます。」
「私は評価しています。」
と言いました。そして改まったように話を続けました。
「明日は最終日です。瀬川さんとちゃんとお別れをしてくださいね。どんなお別れをするかが、とても大切です。」
「あなたも感じていると思いますが、瀬川さんは彼女の中で一番大事な人とちゃんとお別れすることができませんでした。今彼女は木村さんのことを、大事な人として認識していると思います。亡くなったご両親では無いことは本人も一番分かっています。でも、大事なものとの別れ。木村さんとのお別れがきちんとできれば、今後の瀬川さんにとって、とても大きな勇気に繋がるかもしれません。」
「自分は学生指導は不慣れでした。実習中、不安なことがたくさんあったと思います。とても申し訳なく思っています。それでも木村さんがこのような特殊とも言える環境で最後まで看護実習ができたこと、瀬川さんが身をもって伝えてくれたことを、あなたが受け止めたことをどうか今後も活かして欲しいと思います。」
「私自身も大変勉強になりました。瀬川さんがクリアするべきもの、たとえ閉鎖病棟にいても、彼女の人生です。瀬川さんにとって、ちゃんとお別れをさせてあげることが必要だと言うことを、この10年、私たちは分かってあげられなかった。それを私は木村さんの日々の実習記録の中から学ぶことができました。こちらこそ感謝しています。」

気持ちが熱く伝わってきました。私は感謝で一杯でした。

実習10日目。
実習最終日。瀬川さんと一緒にいつものように保護室の環境整備をしました。瀬川さんはうつむいてはいるものの体を動かす度に見える顔や首筋は真っ赤に日焼けして、昨日の余韻を残していました。
掃除道具を片付けて部屋へ戻ると、瀬川さんはいつものように部屋の中央に鎮座していました。私もいつものように横に座りました。
私は、何から話していこうかと思いましたが、まず昨日散歩に連れて行ってくれたことや、色々案内してくれたことに感謝を述べました。倒れてどこか怪我しなかったかと尋ねました。瀬川さんは首を横に小さく振りました。暫く沈黙が続きました。
そして彼女は唐突に話し出しました。
「木村さん。」
「木村さんは、天使になるとやろう。」
私はその言葉に耳を疑いました。天使が何を指しているのかすぐには理解できませんでした。
「木村さんは天使になる学校に行きよるとよね。」
彼女はもしかして私が看護学校の学生と言うことで、白衣の天使をイメージしているのかと思いました。
瀬川さんは私の返事を待っていました。『そんな馬鹿な』とはとても言えず、困ってしまいました。私が返事に躊躇していると、瀬川さんはまた話し続けました。
「私は天使にはなれん。けど、私は天使の友達になる。」
瀬川さんはこんなにも豊かな発想とちゃんと思いを告げられる力強い気持ちの持ち主なのだと、私は驚きました。

考えてみれば、私は瀬川さんに驚かされっぱなしではなかったかと思います。瀬川さんはそのままなのに、ここに配属されたという私自身の不満や不安。それらが彼女を異様で異質で不気味なものだと感じてしまったのだと思います。指導看護師が『横にいるだけで良い』と繰り返し私に言ったのは、私のその心理を見抜いてのことだったのかもしれません。彼はちゃんと指導をしてくれていました。
お別れが瀬川さんにとって大変意味のあることだと分かると、悲しんでばかりではいられない気持ちになりました。どのようにお別れするのが良いか考えてしまいました。やはり、彼女の今後の明るい未来に繋がるようなものであって欲しいと思いました。

「私は瀬川さんの友達になれるように頑張りますよ。この先資格試験とかいろいろあって、私は落ちこぼれ気味だけど。一人前になるには、まだあと何年もかかるかもしれないけど、瀬川さんのお友達になれるように頑張ります。」
私にはこんなことを言うのが精一杯でした。涙をこらえながら話すのに必死でした。
指導看護師が、
「握手はしないの?」
というと、瀬川さんは練習をしていたかのように、サッと右手を差し出しました。私も右手を差し出して、瀬川さんの白くてふくよかで柔らかい手を握り、彼女に感謝を述べました。そしてお別れしました。
瀬川さんは微笑んでいました。瀬川さんは精神に病を持つ人だけれど、私よりずっと大人でした。瀬川さんこそ、ちゃんとお別れをしてくれたような気がしました。


今夜、私は庭に出ています。明るい月夜の空を見上げています。
満月です。風があります。雲が流れ森の木も竹も揺れています。
月の光がスーっと私を照らしているようで、不思議な力が湧いてくるような気がしています。

私を照らす月の光を見上げると、私には思い出すことがありました。
あれからもう30年近く経ちます。私は数年前に定年退職を迎えました。

確か瀬川さんというお名前でした。
看護師の資格を取得した時、私は実習病院でたまたま働いていた同級生に、彼女はその後どうであるか一度聞いたことがあります。
「瀬川さん?彼女は普通にお散歩に出てるよ。西病棟も、そろそろ取り壊されるみたいだから、瀬川さんも一般の病棟に移るはずよ。」
そんな風に教えてくれました。

私は、それから今まで瀬川さんのことはほとんどと言っていいほど思い出しませんでした。准看護師の学校から、次は働きながら正看護師の専門学校へ進学しました。
勉強も大変でした。仕事も子育ても。その後の夫の両親の介護も。そして今は全部終わりました。

あの夜、小さな高窓から差し込む月の光を浴びて、瀬川さんこそ天使になって、歓喜の声とともに月夜を自由に翔び回ったのではないかと。
月の光に誘われて、今夜は天使が翔ぶ姿が見えるような夜でした。

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