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【母が残した家計簿】⑨ 見栄を張らなくて良い暮らし

昭和〜令和を生き抜いた母が
65年間書き溜めた

【日記付き家計簿】

を元にしながら
ファミリーヒストリーをたどって行きます。

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1964年昭和39年に入ります。


母は27歳、Nollyは6歳になります。


この年は、もちろん東京オリンピック一色の年でした。
さっそく母の家計簿を覗いていきます。



1月
この年は、元旦から2泊で、父の実家へ里帰りをしています。生活を独立してからは、父の実家へお正月の里帰りは毎年恒例になって行きます。
1月10日に住んでいる地域の集会があり、そのあと課長さんが遊びに来て父は一緒にお酒を飲んでいます。
課長さんとは、以前にも紹介していますが、父の勤務先の上司で有り、その時に住んでいた借家もその課長さんの紹介でした。


この頃の両親の休日はと言うと、近所の里山に焚き木とりに行ったり薪割りをしています。当時その借家は五右衛門風呂でしたので、結構な焚き木の量が必要でした。

今から考えると、両親はこの家に住んでいた5年間、この大変な薪取りをよく続けたもんだなあと感心ます。



2月
弟のKenneyは高熱を出したりしていましたが、満3歳になりました。身長や体重も平均になりました。

  • 電話のおもちゃ…100円


プレゼントにとても喜んだと書いています。「Nollyもうらやましがっていたが、Nollyにはよく言ってきかせた。」と母は書いています。

3月
父は34歳になりました。
ブラジルの母の妹から手紙がきています。


日本のレコードを送って欲しい


という内容でした。それと、


大変だけど、皆で仲良く働いているので安心して欲しい

という内容が綴られていたようです。

母の書いた返信の下書きが家計簿に折り曲げて入っていました。
広げてみると兄弟でかわるがわるお手紙を下さいと。そして欲しいのがあったらまたお便りくださいと書かれていました。


4月
Nollyの6歳の誕生日。そして幼稚園に入園しています。近所のみっちゃんと二人で通うことになりました。

  • 幼稚園月謝…1000円


弟のKenneyは、父から『男は強くあれ』
と言って刀のおもちゃを買ってもらいました。

喜んで遊んでいましたが、隣の家の畑の出たばかりのジャガイモの芽を全部その刀で摘んでしまったと母は記録しています。
その畑は今現在私の実家が建っている場所になっていますが、今でもこの話は事あるごとに面白いエピソードとして父がよく話をしていました。



5月
製氷機のついた日立冷蔵庫を購入する。

1962年には、フリーザー付きの冷蔵庫が誕生し、家庭で氷を作り冷凍食品が家庭でも保存できるようになりました。この頃の冷蔵庫は、まだ1ドアタイプでした。
フリーザー付き冷蔵庫の誕生により、食品会社は競って冷凍食品の研究を推進することになります。
また、東京オリンピックが開催され、選手たちのお腹を満たす意図もあり、冷凍食品の技術が盛んに研究開発されました。
翌年の国内冷蔵庫の普及率は50%まで成長したと言うことです。

我が家もその一部になったということです。
20年近く壊れずに使い続けたこの冷蔵庫ですが、懐かしく思い出されます。

7月
オートバイを購入。

  • オートバイ月賦…45,000円

最寄りの当時国鉄の駅まで4~5キロほどの道のりをバイクで通勤することになりました。

近所から有精卵を分けてもらって、6羽ひながかえったという記録もあります。

  • 新聞代…350円

  • テレビ受信料…660円




8月
母は27歳になりました。



9月
婦人会のバレーボール大会。9月15日から母は婦人会に入会しています。


10月
母にセーターやカーデガンの内職の注文が入りだします。
母は家計簿の後ろに編み物の工賃の一覧を書いています。
毛糸の代金は別で、
婦人物のセーターは500円、学生低学年セーター300円、などと細かく分けています。

10月10日。体育の日。
Nollyの幼稚園の運動会。そして東京オリンピック開会式。日記の欄には、東京オリンピックについて一言も記録がありません。というより24日の閉会式で、殆ど記録自体がありません。それ程オリンピックの応援に夢中だったのかと思われます。
確かオリンピックに合わせてテレビを購入しています。
幼稚園の運動会から帰ったら、居間にテレビがあったので驚いたことを覚えています。


11月
11月18日チャボに卵を抱かせる。
12月上旬にかえる予定。
ナタ鎌を購入し、焚き木を切り始める。

  • ナタ鎌…500円


冬支度で慌ただしくなったこの時期、計画を立てるのが徹底している父から小言を言われたようで、反省して、母は11月末から家計簿に行事予定を書きだし始めました。
『日記付き家計簿』には家事のポイントなど参考になる特集があり、線を引いてメモに書きだしています。
田舎であるため、集落の行事ごとが多くなりました。加えてNollyが幼稚園に通い出しため、人間関係が増えています。
色々予定を整理する必要が出てきたようです。


12月
師走になると、何かと忙しい様子がうかがえます。
ご近所は農家なので、どのお宅もお正月用のしめ縄づくりに忙しくて、いい臨時収入になるらしいのです。
母は編み機でカーデガンやセーターを頼まれてせっせと内職をしています。

期待の卵は、2羽しかかえらなかったと残念そうに書かれています。

父はやたらと忘年会が多く、帰りが遅くなっています。
それでも日曜日は五右衛門風呂を湧かす焚き木とりに、近くの里山に私たちを連れて出かけています。
炊事はプロパンガスでした。ガスコンロが1つあったのを覚えています。

12月17日に主婦の友1月号を購入。この年は何故か主婦の友社です。その付録に、翌年の日記家計簿が同じようについています。
新年号には、毎年おせち料理やクリスマス料理が特集されていて、子供心に憧れていました。

父はオーバーコートを新調しています。

  • オーバーコート…9000円

当時コートは殆どがテーラーであつらえていました。
家計簿の中、お歳暮や家族の衣類、正月の用品の購入と、年末ならではの忙しさがあります。

12月30日には課長さんのお宅で一緒に餅つきをしています。

12月31日大みそか。
弟のKennyは右足をねんざしています。247円とありますので、湿布でしょうか。


昭和32に結婚した当時の月収は12,000円。
7年後のこの昭和39年は、29,000円。


7年間で収入はおよそ2.4倍になっています。



両親は種から野菜を育てたり、卵をかえらせて養鶏に挑戦したり、五右衛門風呂の焚き木は自分たちで里山から切り出したり。
ご近所に教わりながら暮らしていました。


皆さん地道な山のふもとの農家さん達でした。お陰で両親は見栄を張る必要はありませんでした。
地味に暮らせて、頑張って節約していたようです。



翌年、Nollyはいよいよ小学生になります。

今日はこの辺で。
では、また。

Nolly



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