「良い人」の振りをするのが上手な人


…の事を、人は「良い人」と呼ぶ。
もっと言うならば、「良い人」という言葉の前には"自分に都合の"という語句が省略されている。

自分に都合の良い人、というとネガティブで姑息なニュアンスになってしまうが、そのような意味あいではなく
例えば自分の友人であっても、自分と趣味が合う・馬が合う・自分の性格やポリシーを理解してくれた上で仲良くしてくれる…等、自分に都合が良い相手だから友人関係が成り立っている訳で
そういった広い意味で、「都合の良い」という語句を選択し、使用している。


…と、ここまでが自分の考える「良い人とは?」の答えだ。

この人は良い人だよ、という触れ込みの方と究極に馬が合わない案件がここ数年、自分の中では高頻度で起こった。

確かに皆ニコニコと愛想が良く、聞き上手で、良い人の振りをするのが上手な人たちだったと思う。
これはその人達を決して貶している訳ではない。社会で生活する上でとても大事なスキルだ。

ただ、一歩その人達の内面に踏み込んだ時に
私は馬が合わないなあと感じたし、恐らく同様の感想を相手も持った為、疎遠になった。ただそれだけである。

恐らくその原因の一つは、私自身も「良い人の振りをするのが上手い人」に分類されるからだと推測している。
一言でいえば"同族嫌悪"というやつだ。

そして私自身の話ならば、私自身は決して良い人間ではない。
心の中では常に悪態をつくかネガティブな事を考えているし、自己評価も非常に低い。前向きな事を考えるとしたら、いつか人を見返そうとかそういうネガティブ起因のポジティブさしかない。

しかしこのネガティブ起因のポジティブというのが凄くて、時々自分でも驚くくらいのポテンシャルを発揮する場合がある。
そのお陰で友人も出来たし、良い人だよ、なんて人を紹介してもらう機会もある。
そしてこのnoteの振り出しに戻るという訳なのだ。

では例えば、ボランティアを精力的にやっている方は良い人ではないのか、等と言われても困る。
内申等の見返り等は一切ない上で精力的にボランティアに励む方が全人口の何%いらっしゃるか等分からないし、その方たちの過去も人となりも分からない以上何とも言えない。

ただ、例外の話をしないのであれば、良い人というのは例外なく存在しない。つまり、言ってしまえばみんな悪人。

だからこそ、自分に合わないなと思った人間はどんどん切り捨てて問題ないと私は思う。
悪人なのだから躊躇など要らない。そういった人間と付き合って自分が毒を貯め込む方が遥かにアホらしい。

そして世の中に良い人なんていないのだから、自分も良い人である必要は当然ない。どんどん(内心やネットで)悪態をついていくぞ。

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