一月経って

前回の投稿からまたひと月が経って、果たして心境が改善したかといえば、悔しいことに少し改善してしまったのである。
まあ忙しさで思考にかまけている暇すらもなかったからというのもあるかもしれないけども、こうして人は気付かないうちに老いて行くのだと考えるとどうもげんなりしてしまう。
こうして繰り返しに慣れて日々が過ぎて、いつしか変化を恐れる様になる。そうなってしまえばもう人間は死んだも同然である。予想できる刺激と予想できる未来で、予想できる快感で満足しながら、しかし死という逃れられない結末は予想なんてできないんだから、結局は敗北と予想外に打ちのめされるその日を暗黙に待つだけに終着してしまうのだ。

変化、それは若さの現れで、人間を(あるいは社会を、と言い換えられるが)人間たらしめてきたものは変化への渇望であって、変化を恐れて社会と歴史、人間自身にその身を売り渡すことほど愚かなことはないが、社会は個人が人間であり続けるには巨大すぎて、人間であることは才能と特権を求められるものであって、我らは歴史の延命装置に成り下がるのが運命なのだ。運命、抗えず予想できないもの、この言葉こそ、まさに社会に生きる(あくまで生物学的な意味でだが)、人間をかなぐり捨てた数多くの敗者にふさわしい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?