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ワイドショーMCに、俺はなる!

もちろん比喩です。

気がついた。
年老いた親を説得するのにはフリップだ。
ワイドショースタイルこそがきっと正解だ。


昨年夏から両親の老いが加速している。
子供としては覚悟してたからそれは受け入れている。

だが、本人たちが自覚しない
もしくは、自覚してるのに認めてくれない

昔の自分を基準にして
その自分像こそが正しいと思い込み、
そこに足りていないことにムキになって体力を消耗する。

結果、体が悲鳴をあげて蕁麻疹やら
倦怠感やら出てきている。

このコロナ禍に免疫力が下がる行為はやめてくれ…!


父には
「今日10㎞走れても、次の日動けないくらい疲れてたら意味ないんだよ。」
「ドカッと運動するより、こまめに動く方が体に負荷がかからないよ」

言ってもきかない。


母には
「お風呂掃除は私が担当するから、家事を少しは手放してほしい」
「わたし、洗濯物取り込むのやるって言ったよね」

先回りして全部やる。


揃って
「動けなくなって迷惑かけたくないから」という。

そうね。そうね。
元気で居てくれるほうがありがたいね。

でも実際、体に影響でてるじゃない…。


以前、父が犬の散歩中に
腰を痛めてギックリ腰気味になってしまったことがあった。

「悪化して、動けなくなられると困るから安静にしていてちょうだい」と。
父がいつも担当してる時間帯の犬散歩も「私が行くからね!」と
ものスゴく念を押しておいたのに私に気づかれないように
犬の散歩に出かけてしまった。
その結果、本格的にぎっくり腰になり動けなくなって
救急車を呼ぶ羽目になった。

その日は原稿の〆切日だった。
忘れねえからな。忘れねえからな〜

…というような出来事が過去に何度も
前科何犯だよ。

「迷惑かけたくないから」って今まで迷惑かけまくってますよね。
私は迷惑かけてるつもりでいますよ。
でもお互い様でしょうと。一緒に住んでいるのなら。

迷惑かけてないつもりで居たんか。
自己評価高すぎませんかと。

そして直近でも去年すでに動けなくなってるんだが??
家族全員手術したの無かったことになってる?
1年分、年老いたのに
何故去年の動けなくなる前と同じ基準を望むんだい?

これといって体力づくりに励んだ訳でもないのに?
むしろコロナで外出も運動も抑え気味で体力は減る一方のはずなのに?

という現実を
どれだけ訴えても完全スルー。

鬼ガンコ。
どしてぇ…ねえどうすればいい?
崖とわかってる方にどうして進んでいっちゃうの?

この先、体力が人生のピーク時並みに増えることはないこと。
優先順位をつけて、やることを手放していくしかないことを
どうやって説得したらいいんだ…。

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ぐったりしながらテレビに目をやると
ワイドショーがやっていた。

フリップにびっしり書かれた情報。
その情報を隠す「?」のシール。
「隠す意味あるの?」ってくらい細かく隠してあって
一つ一つ、めくっては言葉を置いていく。


おぉ…??
コレ…いいんじゃない?
コレがいいんじゃない?

コレこそが「シニア向け情報伝達」の最高峰なのでは⁉︎

両親はよく、ワイドショーを見ている。

「ワイドショーのめくり、なんか意味あんの?」と思っていたけど
わたしは自分のことしか考えてなかったよ。
年をとれば認知機能だって衰えてくる。
そのことを両親に自覚させようと、そもそも思っていたんだった。

伝えたいことは声とビジュアルで一語ずつわかりやすく。
これだ!

そういえば前にも親に言われたことがある。
「一度に一気に話さないで」と。

このnoteでもわかるように、わたしは長文垂れ流し派だ。
普段会話では聞き役にまわることが多いけど
言いたいこととなると長文で話す。
典型的なオタク話法スタイル。

そうか。わかった。
この世の全てを見通せたくらいの気分で理解した。

小池都知事がやたら一文しか書いていないフリップ出すのも
そういうことだったのか。

ならばやってやろう。
ワイドショーMCばりにプレゼンしてやろう。

実は以前、一度家族会議でプレゼンをした。
その時の問題自体は解決したけど、用意した資料は
文章量が多くて読んでもらえなかった。
そりゃ、私も興味ないことの文章は読みたくないもんなあ。

父には達成するべきタスク
フローチャートでご紹介。
「できなくなる」じゃなくて「健康になる」
「目減りした」感を出さない「何かになる」というアプローチで。

母には感情に訴えかけ(自分的にはこっちのが難易度高い)
端的に「私が元気でいてほしいの」とか
「こんなに心配してる私の気持ちを理解してくれなくて悲しい」とか
家事を手放すことに罪悪感を与えないアプローチで。

「家族のために頑張ってくれた」
そこは最大限、感謝して何度もアピール。

「働き者」が褒め言葉の世代だから「労働」をアイデンティティにしすぎて
「労働」してないと自我が崩壊しちゃうんだろうか。
(父はもう労働はしてないけど趣味を「労働」のように扱ってる。)

そのアイデンティティを「労働」から
自分が幸福と思える「何か」にスライドさせてほしいんだよなあ。

でも多分、「自分の幸福」とは何かを考えたことが無さそう。
裕福な出ではないし
時代的に衣食住を確保するだけで大変だったろうし。
親が頑張ってくれたおかげで「衣食住」以上のことを
私が考えられるようになってるわけだし。

だからこそもう、体を酷使しないで
余生をゆっくり楽しんでほしいんだけど…。

頑固な親を説得するの、めっちゃめんどい。
めんどいけど後々後悔しないように
自分のためだと思ってワイドショー風プレゼン資料を作ろう。
この間『MIU404』のモチーフについて書いた時に表作ったおかげで
Keynote(Macのパワポみたいなの)の使い方はわかったし。
自分のためだぞ。

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Eテレ「100分 de 名著」オルテガ『大衆の反逆』回を見ていた時に
印象的だったこの言葉。思わずスクショした。

自分が親のことで困りたくないからこそ
今、手を打っておこう。
自分を救うためだぞ。


あと、わかってもらうことを期待しすぎない。
プレゼンしたとて、
どう思うかは両親の問題だから。
コントロールできないことに意識を割くのは無駄無駄ァ!

よし、じゃあ頑張ってプレゼン作ろう。
そして自分にワイドショーMCを降臨させよう。

明日以降に。

今日は『MIU404』見るし、感想書きたいもの。
やりたいことを先にやっちゃうスタイル。


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