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プロ野球ユニホームのストッキングが見えないスタイルはいつから始まったのか(改訂版)


 広島出身、幼少期からのカープファンで、初優勝の時も後楽園球場にて感激の時間を選手やファンと共有することができました。観戦も野球を見に行こうとは言わず、カープに行こうやと言ってました。当時、TVは巨人戦中心でカープ中継はほとんどなく、現在でも使用されているラデッキー行進曲のテーマ音楽で始まるRCCラジオのカープ戦実況中継を聞いてました。解説は石本秀一元カープ監督や盗塁王で元カープの金山次郎、新人時代の柏村武明アナも実況していました。広島商業の元監督でもあった石本氏は、指導に真剣刃渡りを導入したことでも有名です。邇保姫神社の神主さんから手解きを受けたというような話をされていましたが、私の記憶も少し曖昧です。前置きが長くなりました。記念すべきnote初回記事(改訂版)のテーマは

プロ野球ユニホームのストッキングが見えないスタイルはいつから始まったのか

です。当初はメジャーリーグの選手が流行らせ、それを日本人選手がまねた。放送などでも大リーグスタイルのユニホームを着用などと言ってました。2000年前後です。これに異論があります。異論というよりは推測です。1975年カープ初優勝時に着用していたベルトレスのユニフォームの時代、カープベンチにおられた福永トレーナーは厚手のストッキングを履かず、ユニフォームをスリムなズボンのように着用されていました。上も当然カープのユニフォームです。帽子も赤いカープ帽です。スマートな体系であった福永さんにはこれが似合ってました。これを見たメジャーリーガーが真似をした。
 長谷川和彦監督、水谷豊主演の『青春の殺人者』にも監督の御子息が赤いカープ帽をかぶって写り込んでいます。原田美恵子は良かったな。
 再度、記憶をよびおこしていくと、ベルトレスで青帽子Hマークの時代においても、福永トレーナーは、このスタイルであったような気がする。

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