チョロ松事変のこと


おそ松さん第14話「チョロ松事変」ほか を見た

月曜日の放送が見られないため、動画配信開始まで一切のネタバレを遮断し、火曜12時に視聴に至った。お腹が痛くてほとんど食べ物が喉を通らなかった。
実松さんの恐怖、UMA探検隊の馬鹿さと可愛さ、OPの2クール目が来たという高揚感。怒涛の展開を駆け抜けて、遂にチョロ松事変に至った。
見終わってからしばらく茫然としてしまった。とても楽しみにしていたEDの記憶もほぼない状態で、自分がなにを考えているのかわからないまま時が過ぎていった。
そして数十分ほど経ってから、ありとあらゆる感情が自分の中を駆け巡っていった。自分の中に5人くらいの別人格がいるのではないかと思うほどの感情の嵐だった。

視聴から約60時間が経過し、ようやく落ち着いてこの文章を書いている。
ただ一言で言えば、「しんどい」と書くだけで同志の方々には共感してもらえるのだと思う。
しかしここではあえて、自分の中を駆け巡った感情を一つ一つ言葉にして、忘れないうちにここに書き留めることにする。

駆け巡る感情たちの記録

※これはチョロ松に対する重い想いを抱く人間が書いた文章ですので、ギャグアニメに対する感情とは言えないものばかりです。ご了承ください。

最初にチョロ松の茶髪を目撃した時は、ただただ「お前...お前何でそうなるんだよ...!!」という気持ちだった。
いや気づけよ!! なぜ似合っていないとわからない??? 頼むよ〜!!! とチョロ松を揺さぶりたくなる気持ちに、思わず頭を抱えながら見てしまっていた。
二回目の視聴では大笑いできたのだが、最初はいわゆる共感性羞恥が働いたのか、直視できないという感覚が強かった。
物語が進む中で弟達にダサい茶髪を披露し、兄達に否定された途端彼らに濡れ衣を着せて暴れ回り、最終的に全裸で土下寝する、その人間臭さ。今思えば、彼がそんな風に情けない姿を晒しているのを、見ていられないと思ってしまったのだと思う。
(勿論それが推しである所以でもあり、だからこそチョロ松回には心をえぐられる)

一回目の視聴後、何だったのかよくわからないまま呆然と天井を仰ぐことしか出来ない中、ふと「チョロ松が髪を染めた」という事実を思い返して、じわじわとショックを感じ始めた。
私はチョロ松のことが好きで、ファンなのに、なぜ変わろうとするんだろう。なぜ、彼は彼自身を否定するんだろう。
でも変わること自体は決して自己否定ではないし、彼の「変わりたい」という気持ちは応援したいと思っている。
ただ、その方向性が間違っているが故に、彼の行為がなんだか自ら自分を傷つけているように見えてしまって、悲しくなってしまったのだと思う。

そう、方向性さえ間違えなければ、これはチョロ松にとって前進となるはずだったのだ。
第1期第19話「自意識ライジング」において、彼はドルオタを辞め、フリーハグ等々の「意識高い系」の行動に出ることを兄弟に宣言する。しかし彼は結局ただ宣言することしか出来ず、行動には移せなかった。
それが彼の「自意識ライジング」たる所以であったのだが、チョロ松は今回、誰にも伝えることなく1人で茶髪に染めることを決断し、行動している。

いくら真面目でも、ぼくだって人間なんだよ。やっぱり心のどこかに、モテたい、カッコよくなりたいって願望があるわけ。だから今回は、その願望に素直に従って、カッコよくなってみたんだ。ーーチョロ松 (おそ松さん2期第14話 「チョロ松事変」より)

冒頭の演説ではいつも通り自意識の爆発した言い訳を流れるように口にしている。
しかし、少なくとも今回、彼は行動を起こしたのだ。
その上、酷い自己防衛で弟達を売った(この点は相変わらず素晴しくクズである)後、あんなにぼろぼろの状態でも潔く全裸で土下寝が出来るのである。今までの彼なら、何もなかったかのように銭湯に向かっていたようにも想像できる。
これは、明らかに彼の成長であるように感じた。

弟達に対する演説の中で、チョロ松は何度も「不良じゃないから」と繰り返している。
彼にとって茶髪は、イコール不良だったのだろう。おそらく、チョロ松はそのような偏見・自意識と散々葛藤し、それでもライジングせずに「カッコよくなりたい」という気持ちを認め、遂に行動を起こしたのだろう。
彼にとって今回の茶髪は、一大決心だったのではないかと思えてくる。

突然自分の話になってしまうのだが、チョロ松のこの感覚にはなんとなく共感してしまう部分がある。
茶髪=不良とは行かないまでも、髪を染めるという行為自体、自分の体にメスを入れるのに近い抵抗を少し感じてしまう。あまりにも大人気ない、うぶな考え方だとは思うのだが、そういう感覚が年を重ねてもなかなか抜けない部分がどうしてもあるのだ。
だからこそ、そんな一大決心をしたにも関わらず、「クソダサい」とその場にいる全員から思われてしまう彼の気持ちを考えると、なんだかどうしようもなく悲しくなってしまう。

今回の「チョロ松事変」、予告から放送まで2週間あり、さらに制作陣によって様々な言葉が発信されたことから、就職してしまうのでは? とか、ついに彼女が? とか、かなり色々な予想をしては震えあがったものだ。
ところが蓋を開けてみると、茶髪が似合ってないと告げるべきか否か、という、ある意味とても平和な内容だったわけである。それだけか! と突っ込んだ人も多かったと思う。

けれど、彼にとってはきっと「たかが」茶髪がではなかっただろう。新年を迎えるに当たって何か「変わりたい」と考えた末の、満を辞しての行動だったのではないか。
そう思うと、私にはチョロ松を笑うことなんてできなかった。
いや、2回目の視聴では既に大爆笑しているんだけど、それはあの状況・あの展開に大笑いしているのであって、決して君の「髪を染める」という決断を笑っているわけではないんだよ、と言ってあげたくなってしまった。

こうして一つの文章に収めたものの、実際にはこうした様々な感情に1時間おきにローテーションで襲われるという数日間であった。チョロ松回を見るという行為、自分の感情を嬲る高度な遊びという感覚である。

やっぱり願ってしまう

「チョロ松事変」を経て、やっぱりチョロ松は、一人ゆっくりと前進を続けているように見えた。

「おそ松さん」は明らかにギャグアニメで、登場人物は様々なコントを演じるに当たって役割が与えられる。各々には基本的な性格設定があるものの、そのコントにおいて担う役割は回によって異なっている。それはチョロ松も同様のはずである。
けれど――これはチョロ松推しである私の発言なので、多分にバイアスがかかっていることを前提として頂きたいのだが――第1期の19話、23話、24話、諸々の物語を経て、彼は確実に成長し、前に進もうともがいているような気がしてならないのだ。
でも、間違った方向に進んではつまずいてしまう(なんとなく、走っている時に何もない場所で盛大に転ぶ彼の姿を思い出す)。
例えばおそ松は自分のクズさを認めた上でクズでいることが多いと感じるが、チョロ松のそれは対称的に見える。自分の行動が間違っているとは微塵も思っておらず、まさか否定されるなんて想像もしていない。

思えばチョロ松は、第1期開始当時は唯一のツッコミという、コントにおいて最重要とも言える役割を担っていた。一人だけ外側に立って、おかしな部分を次々と指摘し、華麗にツッコんでいく。
ところが自分のこととなると、彼は突然客観的な目線を失ってしまう。箱の外から見ていたはずのチョロ松の、さらに大きな箱の外からの目線を5人は持っていて、彼一人が自分を眺めることが出来ずに箱の中で溺れている。そんなイメージが浮かぶ。
でもだからこそ、前に進み続けることが出来るのもチョロ松なのだと思う。
人生はコントであり、自分は自分という存在を演じているだけ。そう考えることが出来るならば、生きるのはずっと気楽なことだろう。この世界で死んでしまっても、自分はまた生き返って別のコントを演じるだけ。今傷ついても、次の話では何食わぬ顔で日々を過ごす。
彼らはそういう存在のはず。でもチョロ松には、自分を外側から見つめる、ある意味メタな視点が決定的に欠けている。
だからこそ、傷つかないように自分を守り、言い訳をする。それでも何かに憧れて、何かになりたいと思っている。すごく人間臭い。だからこそ、愛おしい。

チョロ松にはなんとかなってほしい。その手で幸せをつかみ取ってほしい。
今回は失敗に終わったけれど、前に進み続けてほしい。大丈夫、どんな形であれ、間違えたら教えてくれる人達が、こんなに周りにいるのだから。
いろんなことを思い考えた末、やっぱりそう願い、応援したくなる。そして彼と共に自分もまた、少しでも前に進もうと思える。
「チョロ松事変」は、確かにチョロ松にとっての「事変」であり、門出であったと言えるのかもしれない。




[あとがき]
いやなんでこんなに重くなっているんだろう? どう考えてもこんな風に捉えるテンションの話ではなかった...。
前に書いた自分の文章に影響されてより気持ちが強くなっているというのもあった気がします。でも少なくとも今はこの気持ちが本当なんだ...。
あとさらに付け加えると、やっぱり最後まで何も報われずに終わったのがつらくて、一度すごくかっこいい役回りでメインを張ってほしいと思いますが、この作品そのもののファンとしてはそんなことは考えずにただ笑える作品を待っていたいと思うので、自分と自分が殴り合う日々ですね!!!!


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