松野チョロ松への手紙

※この文章には「えいがのおそ松さん」のネタバレを含みます。ご注意ください。


チョロ松は、よく転ぶ。

それがアニメの中ではっきりと公言されたのは、映画が初めてだったと思う。
けれども彼は一期の頃から、よく転んでいた。例えば「ダヨーン族」の時から、何もない場所で、ベシャリと。

チョロ松はよく転ぶ。誰よりも真っ先に走り出しては、何もない場所で、いきなり転ぶ。
その姿を私達は何度も見てきた。何かから逃げようとして、女の子にモテようとして、たった一人で自立しようとして、駆け出す彼の姿を。
そのたびに転ぶチョロ松の姿は、いつも愛おしく、そして辛かった。
「なんとかなってくれ」と何度願ったことだろう。
彼はいつも、今の自分を変えようとして行動する。けれどそのたび、なにかを失敗して、周りから否定される。

私はずっと、チョロ松の行動を、誰かに認めてもらいたかった。
一期の18話、彼が「認められたい」と叫んだその時から、ずっと願い続けていた。
「認められたい」その叫びを抱えながら、彼は自分を変えようと前に進もうとしては、転ぶ。
彼が変わろうとするのを見るのが辛い時もあった。チョロ松が自分を変えようとしては失敗するたびに、彼が否定されていくような気持ちになった。

画面の向こうに、必死で声援を送りたくなった。「私たちが見ているよ」と声をかけてあげたかった。


二期24話の「桜」で、誰も「手紙」に言及しなかったこと、なによりチョロ松自身が「手紙」に触れることなく、5人と同じように前に進み始めたのを見て、ずっとわだかまりが残っていた。
私はずっと忘れられずにいる。あの時燃えてしまった手紙のことを、読まれなかった手紙のことを、続かなかった彼の自立の日々を。
「手紙」でのチョロ松の一歩は、「桜」での6つ子の決心に引き継がれる、バトンのようなものだったのだろう。
そう理解はできても、あの時一人で旅立たねばならなかったチョロ松のことを考えて、そして「桜」と比べてしまって、あまりにも悲しかった。
「手紙」で旅立った彼は、一人でどんな日々を送っていたんだろう。
涙を流しながら独り立ちをした彼の日々にあったであろう、苦しさ、哀しみ。それを私には計り知ることができない。
だからこそ、「桜」で再び歩みだしたチョロ松を見て、私は取り残されたように途方に暮れてしまった。

なぜ、そんなにも前を向き続けることができるんだろう。
本当に格好良くて、美しい。けど、なんで、そんなに、走り続けることができるんだろう。

その気持ちを溶かすことができないまま、一年が経ってしまっていた。

えいがを観た。
えいがのチョロ松は、本当に頑張っていた。
話をきちんと引っ張っては本題に戻し、6つ子と観客を、先へ先へと導いてくれた。
そして、チョロ松が18歳のチョロ松に声をかける場面。
「まあ大丈夫だよ、チョロ松」
その笑顔は柔らかく、優しかった。
チョロ松が地面を蹴りながら、前へと進んでいく。18歳のチョロ松もその背中を追って、前へと進む。その中で「真面目なチョロ松」のことを、彼自身が一言ずつ、受け入れていく。
「僕はね」
その背中をずっと眺めていた18歳のチョロ松の方を、そして私たちの方を振り返って、チョロ松が笑う。
「お前のこと、結構好きだから」
その言葉で、抱えていたわだかまりが、静かにほどけていった。

ああ、そうか。チョロ松は、過去の自分のことを、好きでいてくれるんだ。認めてくれるんだ。

誰よりもチョロ松自身が、彼のことを認めている。
真面目ぶっていて、ライジングしていて、真っ先に走りだしては転んでしまう、それでもやっぱり真面目で、頑張り屋で、優しい、チョロ松彼自身のことを。
未来の自分がこれからの自分を見守っている。
こんなにも心強いことがあるだろうか。

チョロ松がなぜ走り続けられるのか、前を向いて進み続けられるのか、わかったような気がした。
あの瞬間、彼が18歳の自分を信じて前を見据え続けていたこと、振り返って一言そう言ってあげたこと。
その何もかもが格好良くて、美しくて、彼は太陽のようだった。

チョロ松は過去の自分に背中を向けて、走り続ける。
かつての自分の道しるべとなるように、未来の自分を追い越すように。

また救われてしまったなあ。救われてばっかりだ。
見守ることしかできない。本当に、格好いい男だよ、君は。
これからも見守らせてもらえたら嬉しいです。

私たちの前に姿を現してくれて、ありがとう。

ずっと大好きです。




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