見出し画像

そうか誰かへの手紙だと思って書けばいいのだわ、と思いました

このnoteは手紙です。
そう思って書くことにしました。

noteを書き続けるのが下手くそです、私。
商売で文章を書いていると、クライアントから「お題」を与えられないと「自由すぎて何も書けない……」となってしまいます。私は。
Instagramの運用も同じく、テーマで縛りがないと続けにくかった(「日常の中で素敵なものに出会ったら写真や動画にすればいいじゃん」と割り切りました)。
X(Twitter)は仕事中にぼそぼそ独り言つぶやいてるだけなので平気笑

自分への「縛り」がなくてnoteを書けなかったのですが、やっと気づきました。
手紙にしようと思います。

私は手紙を書くのが好きで、しょっちゅうお友達に手紙を書いています。
切手代は割と毎年かかっている笑
好きなんですよ、手で書くの。書き直しもできないし。
でも手紙を出せる相手ばかりじゃないから、noteに書くことにしました。
(もちろん手紙をしたためることは続けるでしょう)

続くかな、わかんない。
でも続けようとしなくていいんだと思います。「努力しなきゃ」と思ったら、その瞬間にそれは続かない。
私は「やるのが楽しい」ことしか続かない(筋トレは楽しいから続いてます)。

noteも手紙「のように」しようと思います。
とりとめなくて、書き直しもあんまりしなくて、推敲なんか全然しなくて、でも誰かに伝えたいなとぼんやりほのかに思うもの。

たぶんそれが私にあってます。

私の好みは少しずつ変わっていっちゃってるかな

銀座に行きました。
友人の誕生日祝いを作るためです。

銀座一丁目にある「貴和製作所」。ここはアトリエがついている店舗で、カフェとして飲み物を注文すればヤットコなどの道具を貸してくれます。
今日は訪問時間が遅くて、すでにラストオーダー時刻を過ぎてた……。

誕生日プレゼントを「作る」。
先月(一月)誕生日の友人へ、ハンドメイドのアクセサリーを贈ろうと思ったのです。だから銀座の貴和へ。

彼女は私が作るアクセサリーを好んでくれる人です。
そして今や、彼女がハンドメイドで作る側になりました。素敵!
私は東京に引っ越してから、家のスペースの環境上あまり作れなくなってしまいました。いつかまたやりたいですが。
誕生日とのことで、久しぶりにアクセサリーを作ろうと思ったのです。

材料を選びながら、うーんと唸りました。
大丈夫かな、私のセンス。
東京に来てからめまぐるしく環境が変わり、おかげさまで考え方も変わり、自分を縛っていた呪いが少しずつ解けてきています。
自分の体と心が「こうしたい」と叫ぶ声を少しずつ聞くようになってきました。
だからね、ちょっとずつ好みも変化してるような気がしたんです。

彼女が喜ぶ作品……いえ、もっとあけすけな表現をしましょう、「彼女にウケる作品」を作れないかもしれない、と不安になったんです。

でも「こうすれば相手にウケるだろう」みたいな浅はかな考え方をするの、私はやめたんだ、とその場ですぐ思い出しました。

「これがウケるでしょ」ではなくて、「あなたにこれを受け取って欲しい」

「こうすればウケる」「これは鉄板」みたいな考え方を、私は最近やりません。
そういう浅い考えって透けて見えるからです(私が隠すの下手くそなのかもしれません、単に)。

誕生日プレゼントにするアクセサリーの材料売り場で、「彼女にどうしたらウケるかな」と考えるのはやめました。
その代わり、「私が知ってる彼女のヘアメイクや服装なら、どんなアクセサリーが似合うかな。どんなものをつけて欲しいな」と考えました。
最後に会ったのが二年前?なのでちょっと時間が空いていますが、その時を思い出します。

「ああいう系統の格好が好きな彼女になら、私はこんなアクセサリーをつけてもらいたい」
素直に浮かんだイメージで材料を買いました。アトリエは閉店時間だったので作れてないけど。ごめん。

「あなたはこれが好きでしょう?」みたいな、勝手に相手のお気持ちを想像するんじゃなくて、「私はこれを贈りたい」という私の気持ちで行動します。
だってそう行動するのが、呪いを解いた「あと」の自分だから。
You let me do … では行動しなくなりました。
I do …で行動するようにしました。

私の行動は私がケツモチするんです。誰のせいにもできない。

あはは、とりとめなくなっちゃったな

いいか。いいよね。手紙だもん。
手紙って「お元気ですかー!私は元気でーす!」の世界ですよ。
(岩井俊二の映画「Love Letter」ね)

彼女が今年一年も健やかに過ごしますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?