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無料で読めるしくじり人生 有料部分はただの猫画像です
一般的な人生の関門を挙げるとすれば、高校受験、大学受験、就職活動に分けることが出来るだろう。大都会東京でタワマンからサピックスに通って中学受験するような層のことは知らない。 高校受験を無自覚にするりと抜けて、大学受験で少し躓き何とか持ち直して志望校には合格し、大学生活というモラトリアム、俗にいう人生の夏休みの到来に向けて受験を終えた僕はのんべんだらりと暖かな春の日差しの到来を予期しながらニコニコ動画を見たりして過ごしていた。 そんな日常のさなかに、東日本大震災は起こっ
いつから正解が分からなくなったのだろう。いつから真っ白に広がる解答欄に何も書けなくなったのだろう。高校の時の数学のテストあたりからだろうか。高校3年生のときの数学のテストで解答用紙の無限に広がるかのようにみえた解答用紙欄に、何一つ書くべき解答を導き出すことが出来ず、反省文を書いた。先生からは「生きてればいいことあります。頑張ってください。」と返ってきた。 予備校に通うのをやめた僕は、その代わりに町田市内にある図書館に通い始めた。しかし、独学でやる勉強には自ずと限界があ
自称進学校あるある言いたい。田舎の自称進学校あるある言いたい。受験は団体戦。塾には行かなくていい。学校の授業と課題をしっかりやっていればいい。内職をするやつは受からない。学校の勉強を疎かにするやつはどこも受からない。校内で行われる模試はベネッセの進研模試。いいずな書店、桐原書店。初めから私立大学に絞って3教科しか勉強しない人間は私立大学にも受からない。みんなで行こう地元国公立大学。 中学から高校への進学という一般的な人生最初の難関をあまり苦労せずに突破してしまったことは過
あまりに出来過ぎてしまった中学時代。テストや内申点は学年1位、部活動も県大会出場とそこそこ。そんな神奈川県の片田舎でのしょうもない成功体験。それはその後の僕の人生に不必要なプライドを齎すには十分だった。自分は特別なんだと思うには十分だった。所詮は胃の中の蛙だったというのに。 10月の駅伝大会まで続いた陸上部での活動が終わり、内申点を活用してペーパーテスト無しで地元の自称進学校に僕は入学した。今思えば、ここでしっかりともっと考えて進学すべきだったのかもしれない。一般的な地方
小学生の頃の僕がどんなだったかというと、神奈川県の片田舎で特段目立ったところのない普通の小学校生活を送っていた。X(旧Twitter)上では、今日も東京のタワマンの低階層に住む小学生達が自分の時はタワマンの高階層に住むために難関中学を目指して日夜SAPIXで鶴亀算を勉強しているのを思えば、とても牧歌的な生活だったと思う。後になって思えば、僕は田舎のマイルドヤンキーの間に生まれてしまった異端だった。 祖父は高卒で地元工場勤め、父は中卒大工、祖父母も母も社会人経験のない専業
昔から文章を書くのは苦手だった。今の今も文章を書くのは苦手なままだ。頭の中にあれやこれやと雑多な感情が浮かんでは消えていくばかりで、今か今かと僕の入力を待ち受けて点滅するカーソルを前に僕は苦悶し続けては何も形にすることが出来ないまま、時間だけが過ぎていく。思ったことを書けばいいのに、書きたいことを書けばいいのに、何を怖がっているのだろう。何を恐れているのだろう。ここでも、やっぱり人の目を僕は恐れている。人の評価を恐れている。社会で生きていくのなら、当然に受け入れなけれ
実家に落ち延びて10ヶ月、半分は寝たきりのニート生活を送る中で、地元の精神科にまた通い始めた。僕が精神科に通い始めたのが8年前。ありとあらゆるものを自分で壊して捨てて何もかも失って、最後にこれだけが残った。僕はうつ病との付き合い方を完全に間違えてしまった。「うつ病になってよかった」なんていう巷に溢れる物語は嘘だ。生存バイアスだ。うつ病にならないで済むならならない方がいい。死にたいなんて感情を持たずに生きていけるならその方がよっぽど良い。ある人は「うつ病なんて羨ましい会社休め
僕の人生を規定してきた気質。自己の存在に対する不安。生とは罪や否や。 流石に物心つくつかないかくらいの僕がそんな語彙を身につけていたかと言われればそんなことはなかったけれども、「僕なんて生まれてこなければよかったんだ」が口癖の面倒くさい餓鬼ではあったそうだ。小さい頃は神様がいて知らずに夢を叶えてくれるんじゃなかったのか、神はどこにいってしまったんだ。 絶対的に自分を好きになれない人生はどこかで破綻してしまうのかもしれない。生まれてこの方、相対的にしか自分をみることができ
恥の多い人生を送ってきました。 そんなことを冒頭に書いた小説に惹かれてしまう人間だった。僕の人生はどうだったろう。ありとあらゆる期待を裏切って、ここまできてしまった僕の人生は。 真紅の夕日が傾く川沿いのベンチで、ただただぼんやりと流れ続ける川面を眺める僕を秋の冷たい風が頬を撫でる。あれからもう10年近い月日が経った。いや、正確には8年か。僕はもう32歳になろうとしている。 資格も経験も能力も何もない。身につけた物を取っ払って全力で中年に突入してしまった結果、うつ病
急に声を発することが出来なくなった。社会人2年目の冬。もう何年前のことだろう。何の理由もないのに流れてくる涙をそのままに今にも詰まりそうな喉奥からなんとか「今日は申し訳ありませんが早退させてください」と、かすれた声を絞り出して逃げるように職場から飛び出した。1年経っても慣れない東北のつめたい空気は呼吸をするたびに肺の内側にまで突き刺さるようだった。 駅前のバスを待つ途中で呼吸はどんどん苦しくなって停留所のベンチに独りへたり込み、朦朧とする意識の中でスマホで検索して出てきた
「令和2年の月別自殺者数について(8月末の暫定値)」(出典:警察庁) 令和2年の自殺者数は8月末までで13,169人となっている。このように数値だけで示されると、日本の人口1億2,000万人弱に対してみれば大したことない人数のようにも見えてしまう。自分自身も漠然とニュースで読み上げられる数字に対して大した感慨も抱くことなくのうのうとここまで生きてきた。結局はテレビの中の出来事でしかなかった。今まで。 「父さんが帰ってこないの・・・」 母からそんな電話がかかってきた