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深瀬昌久展

深瀬昌久展を観たくて、東京都写真美術館に行ってきた。

2番目の奥さんの洋子さんとは「写真を撮るために一緒にいるためにいるようなパラドックス」に陥ったと解説に書いてあって、現代でいうところのカップルユーチューバーみたいなものかなと思った。

それでも「この男に愛されたのだ」という事実が作品として残るのはなんかいいなと思った。当時住んでいた松原団地の4階から撮ったという、出勤時の奥さんを写した一連の写真は、その当時の二人の関係性が見えてくるようだ。どんな表情の自分であっても、この人にならば委ねてよいと思える男に出会えるのはどんな気持ちなのだろうか。


しかし一方で、この写真は「この時のふたりはもういない」(精神的にも物理的にも)という事実もまた伝えてるわけで、写真はどんな過去も克明に残して、「今はもう過ぎ去った」という現実を突きつけてくる。それはとても残酷なことだと思う。


あと、深瀬昌久の一族を写した家族写真のビフォーアフターも興味深かった。もし、最初に写した写真の中の、そのすべての人物が鬼籍に入るまで撮り続けたら、(つまり初期メンがいなくなるまで撮り続けたら)もっと面白いだろうと思った。その場合は、家族写真を撮るという使命を次代に託さなければならないから現実的には難しいんだろうけど。



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