レビュー:石原夏織/『Water Drop』ー必ず最後に愛は勝つ。
どんなに困難で くじけそうでも
信じることさ
必ず最後に愛は勝つ
Carry on carry out (愛は勝つ/KAN)
古臭いヒットソングを思い出した。「古臭い」と言うのは、失礼かもしれないが、実際それは、1990年のヒットソングである。32歳の僕といえど、リアルタイムにそれを聞いたことはない。
愛が溢れている。
初めて聴いた時の感想はそれだった。それ以上、書くことを見失ってしまうくらいには、この作品は愛に溢れている。そして、愛は何よりも強い。
簡単に言えば、めちゃくちゃいいアルバムである。フラゲしてきたその日から、しばらくは石原夏織以外の音楽を体が受け付けなかった。こんなにも続けて同じアルバムを聴くことは、ここ数年なかった。
豊かな音楽性が、彼女の声の魅力を引き上げ、伸ばし、さらに高い到達点へ導く。この高揚感は一体何だろう??言葉にする必要もない。
だからこそ、言葉にできないような嬉しさを僕は言葉にしたい。
折れそうなくらいの筆圧、ぎゅっと握りしめたペンを白紙に刻み付けるように、僕は今、暑苦しいくらい熱狂している。
愛が重いとか、うるさいとか、どうか言わないでほしい。こういう伝え方しか、いつもできない。
石原夏織という人間のストーリーを見たとき、いや、人間誰しも、つらい時もあったと思う。しかし、最後に勝つのは愛である。
最近、自分の人生を考える時も、そう思う。紆余曲折を経て、僕はたくさんの人に愛され、この場所に立っている。だから幸せなんだと思う。
石原夏織は愛されている。もちろんファンに、作家陣に、無数のスタッフにも。そう納得できる活動を続けてきた。見てきたからわかる。
その答え、証明を具現化したのが本作である。誰も予想しなかった未来を超える現実を実現してきた。断言する。本当にうれしい日がやってきた。
だが、嬉しい反面、これを受け止めるフィジカルとメンタルが自分にあるのか不安になる場面もある。この愛を、僕は受け止め切れるだろうか?正直、自信がない。一体この先、彼女に何を返していけばいいのか?本気でわからなくなったから。
そんな幸せな悩みを抱えるファン、自分自身に向けて、以下に気持ちの描写を続けていく。きっとそれを噛み砕いた先に、彼女との向き合い方、そのヒントがあるような気がするから。
■いつもと違う夏を目指して、加速するワクワク。
世界が変わり果て、どんな過程を辿り、その結末を迎えるしても、季節は巡っていく。
例年よりも長い梅雨が終わり、気づけば盆休みがやってきた。夏フェスもなければ、気軽に大事な人に会うこともできない。去年は友人とキャンプもしたっけ。
とにかく、いつもと違う夏がやってきた。変わらないのは異常気象故の強い日差し、鳴りやまないセミの声くらいかもしれない。
いつもと違うのは世間だけではない。
一番おかしいのは僕だった。僕は、自粛期間の怠惰の積み重なり、脂肪との戦いを続けていた。ダイエットなんてちゃんと続いたことはないのに。おかしいな。減量は順調に成功している。やればできる。
変わりゆく世界に対応できる術は、自分自身が変わることである。その事実と、このアルバムのリリースに喜びを隠せない異常者は、蒸し暑い部屋の中で笑みを浮かべた。
楽しみで、楽しみで仕方なかった。本当に楽しみで仕方なかった。
日常、つまり毎日、僕は楽しいことを探すのに必死だった。「意地でも見つけてやるぞ」と考え、行動にも移した。
どこにも行けない。誰にも会えない。そんな状況下、料理という新しい趣味も見つけたが、何より心を支えていたのは音楽であった。
音楽は本当に力強く、僕を癒し、奮い立たせた。無論、石原夏織さんの存在は大きく、何よりワクワクすることのひとつであった。
まずはその、ワクワクの過程から辿ることにする。
5/18
アルバムのリリースが発表された。
1st LIVE TOUR『Face to FACE』BD/DVDの発売を1か月後に控えている段階である。「楽しみがまたひとつ増えた!!」と僕は思った。
誰よりも嬉しそうに、そのニュースを伝える石原夏織本人の姿は、とても眩しくて、希望の象徴そのものであった。
当然、リリースイベントも決定し(一部はオンラインイベントに変更の予定)、各種法人特典も発表された。中には、1st LIVE TOURで披露された幻の楽曲のAR映像が付属するものもあった。ワクワクが加速する。
6/17
1st LIVE TOUR『Face to FACE』BD/DVDが発売された。
今年唯一見に行けたのは彼女のライブツアー、その大阪と名古屋公演であった。
千秋楽、つまり東京には行けなかった為、見るのが楽しみで仕方なかった。ツアー当時の感想は、以前の記事に記した。時間があったら読んでほしい。
世界がまだ変わる前の景色、香り、温度、雰囲気が、今はもう懐かしい。
戻りたいな。戻りたい。今ならあの友人を、フォロワーを、何の迷いもなく抱きしめられる。抱きしめたい。何度願ってもそれは叶わないことであった。
そんな一抹のネガティブを吹き飛ばすくらい、ライブ映像は素晴らしかった。まさに石原夏織と面と向かって向き合うような内容に、笑みと涙が零れた。
異常な程、その顔面に寄っていくズームインのカメラが、彼女と僕の距離、その親近感の強さを誇張していく。近づけば近づくほど、切り捨てられる景色もある。だけど本当に見たいのは君だけ、石原夏織だけであった。ライブで見た印象とはまた違う彼女が、その画面の先で笑っていた。
見終わった後に心身をめぐる思考は当たり前のことだった。君と出会えたこと、この先も応援できること、そして君がたくさんの人に愛されていることが嬉しかった。
何より、誰より綺麗だと思った。
6/20
まさに3日前にリリースされたライブ映像の同時鑑賞会が執り行われた。
ツイッターにて、ハッシュタグを使って、みんなで同じ映像を見る企画である。それぞれの生活、それぞれの環境で同じ映像を同じ時間に見る。ひとりで見るより、みんなで見た方が楽しい。
ライブに行けない昨今、これ以上の企画はない。確かに、この手の企画自体は、特に珍しいわけではないが、間違いなく、ファンの間で超盛り上がる。トレンドに挙がれば、一般の人にも認知されるかもしれない。いいことしかない。
ただ、始まってみたら驚いたことがある。
それは、石原夏織公式ツイッターが我々に提供する情報量の多さである。しかも、こんな風に粋な演出までしてくる。
当日は、たくさんのスタッフや音楽家たちが愛を込めたツイートを披露してくれた。そのひとつひとつ、全てを拾い上げ、リツイートしていく。その数、本人の実況やスタッフが書いたものを含めて、133ツイート(目測)。
おそらく熱心なファンが放送中にツイートした数よりも多い。大変なことである。自分たちに関わってくれた多くの人間の気持ちを見逃さず、拾い上げてくれた。それもセトリ通りタイムリーに、スムーズに多方面から情報が流れてくる。異常。
綿密に打ち合わせしていたとしても、かなりの労力を必要とする。そんなことしなくても、適当にみんなが同時に再生すれば盛り上がるし、本人が軽く最後にツイートしてくれるだけで、僕らは満足する。
しかし、石原夏織スタッフはそれでは満足しない。このツアーがどれだけの工夫と愛を注ぎ込まれたものなのか、嬉しそうに、堂々と伝えてくる。愛、愛を感じずにはいられない。
そう。石原夏織の1番の理解者は、ずっとずっとその活動を見守り、何百万も投資してきたファンではなく、石原夏織公式ツイッター本人なのである。しっかり追い続けた人ほど、それがわかる。
当然ではある。当然ではあるが、それを証明していくのは簡単なことではない。僕は、この日を境に、いよいよスタッフたちの有能ぶりが怖くなった。
~8/2
アルバム収録曲、作家陣が明らかなり、楽曲派が騒ぎ出した。自身のレギュラーラジオ番組『石原夏織のCarry up⁉︎』にて、毎週2曲ずつの基本ペースでアルバム曲が先行オンエアされてく。どれも良い。
あまりのクオリティの高さに、放送中、終了後には、ファンが狂喜乱舞する姿を、僕はツイッターで確認した。もちろん僕も。
毎週月曜日、パーティをしているみたいに楽しかった。きっとその様子、幸せの輪は、声優に興味がない人も巻き込むほど強烈だったと思う。
雑誌、ラジオ、WEB媒体、様々な情報が追加されていく。もはや、我々のキャパシティでは処理できないほどに「楽しい!!」のオンパレードが続いていく。
「このワクワクはいつ終わるんだ?」ってくらい、アルバム発売までの道のりが楽しかった。楽しみで仕方なかった。
だから僕は、その音楽を、石原夏織の新しい音楽を、誰よりも先に耳にぶち込みたかった。誰よりも、その日を楽しみにしていた自信がある。
それは、彼女と彼女のスタッフがずっとずっと真面目にまっすぐに、丁寧に音楽活動を続けてきたこと、その観測者が自分であったからである。
これほどまでに計画的かつ、愛情をこめて送り出されるアルバムを楽しみにできないわけがなかった。
8/3
月曜日、つまりフラゲ日前夜になっても、注文したサイトから発送メールが来なかった。自分でも驚くほどガッカリした。物流の関係もあるし、昨今の状況もある。それは仕方ない。
普段ならば、「まあ発売日には届くから待ってればいいや」と考えるところである。そもそも、すでに1枚予約しているわけだから、待つしかない。
アルバム複数買い・・・そんな考えは、僕の辞書にはなかった。
しかし、どうにも、いてもたってもいられなかった。
CDなんて代物は、音をディスクに収録してるだけで、それをプラスチックの弱々しいケースに入れて、歌詞を書いた紙を挟んで儲ける商売である。昨今はそれをパソコンにインポートすれば終わり。
この国で誰よりも早く、音楽作品を受け取る為の方法は、2020年になっても、その前時代的な行為を選択する他なかった。
実際の話、普段聴いてる99%の音楽を、僕はサブスクで済ませている。だから、イベント抽選券でも付いていなければ、基本的にCDなんて買わない。「CDは握手するためのおまけ」と言われたら激しく同意する。
その意味では、今回も確かに参加券は付いてはいる。
しかし、どうやら事態は違う。冷静な判断ができない。
「明日、買いに行こう」
8/4
まず、仕事をしっかりと終える。ミスを犯せば、帰れなくなる。予定があり、早く帰りたい時ほど、仕事はちゃんとこなす。
いったん帰宅。着替えてすぐ、アニメイトに向かう。夏マスクを着用し、慎重に駅のエスカレーターを昇り降りする。
やがて見えてくる景色、あのビルの4階に存在するクソ狭いスペースを確認する。田舎のアニメイトは小さい。あるだけマシである。
17時半過ぎのその空間には、学生、そして早帰りの現場労働者とみられる男性数人がいた。いい。この空気が好きだ。
入口のガチャガチャには見向きもせず、まっすぐにCDコーナーへと向かう。
そして、そこにアルバムはあった。
手に取る。レジに持っていく。
ついに、ついに手にした。
石原夏織の2枚目のアルバムが発売されたことを、僕はこの目で確認し、手にしたのである。
2枚目!2枚目である。
この世界に、石原夏織がリリースしたアルバムが2作も存在する。今日、その音楽を数多のファン、もしくは通りがかった人が耳にする。
あの日描いた素敵な未来に、今まさに、僕らは立ち会っている。
簡単にテイクアウトできるご飯を買って、急いで電車に乗る。
頭がもうおかしくなっている。たった数分の車内は、蒸し暑さに支配され、無限の時間のようにも感じた。
帰宅。暑さのあまり脱いでいた服を全部床に脱ぎ捨てる。冷房も、扇風機も稼働させない。音楽の邪魔だ。いったん、いったん水を飲み、晩飯を済ませて、冷静さを取り戻す。
ジャケットに目を通す。繊細な書体が、まるで水面、僕の心と時代の写し鏡のように、反射している。夏の白さを纏って、その織姫は僕に微笑みかける。必要以上には、何も語らないディスクのデザインもいい。
インポート、収録時間は45分。もう勝ってる。優れたポップス、その名盤の大半は60分を超えない。45分程度だなんて、一番いいアルバムのパターン。決まり。この夏は石原夏織で決まりである。
再生ボタンを押す。
いや、まだ押さない。
押したい。押す。
まだ押さない。
押す。
と見せかけてまだ押さない。
押せない。
押せない(早く聞けよオタク)。
最後の曲までの自分の気持ち、その過程を妄想して、すでに涙が溢れる。
だめだ。一回、一回落ち着こう・・・深呼吸を、深呼吸をしよう。
スーー・・・
ハーーー・・・・・スーーーーー
はあ・・・石原夏織ちゃん・・・・
よし。待ってた。あの夏を目指してきた。
この時を待ってた。
行こう。
僕は再生ボタンを押した。
■全曲解説
1.Face to Face
作詞:松井五郎 作曲:俊龍 編曲:黒須克彦・長田直之
会いたくて 会いたくて この想い止められない
これからもキミがいい 答えなら ひとつだから
今1番会いたい君から向けられた言葉で始まる。元気いっぱいの歌声が、僕らを幸福に招き入れる。
幸せのファンファーレが鳴り響き、美しいストリングスと同時に物語が始まる。誰が聞いても最強である。アラサー男性は思う。「このポップスが聞きたかった大賞2020受賞!!」。おそらく今後、時代が変わったとしても揺るがない無敵のメロディ。こういう曲がひとつあれば、アーティストも、ファンも心強い。
歌詞カードに目線を落とす。描かれたのは夏の空。「ああ、僕らはこの空で繋がってるんだな」って、ベタなJ-POPの歌詞みたいなことを考える。
シングルリリース時から、何回も、何回も聞いてきた。その度に、いや、もっと頻繁に空を見上げた時、君のことを考えていた。
誰よりも眩しいその笑顔、まっすぐな眼差しが今、向けられている。僕はそれを見つめ返し、まなざしのその先へ駆け上がる。
この歌詞の石原夏織は、石原夏織そのものである。または、石原夏織への僕らの気持ち、そのものである。
これほどまでに愛しい気持ちを拾い上げた歌詞があっただろうか?特別な比喩があるわけでもないのに、その他の歌に埋もれず、ちゃんと伝わる。
松井五郎さんはすごい。さすが、長年にわたり、大名曲を作り出しているお方である。俊龍さんもすごい。ベースは黒須勝彦さん。無敵も無敵、向かうところ敵なし。
それにしてもMVが可愛すぎる。天使はここにいたのか・・・女の子をかわいく撮る技術オブザイヤーすぎる。彼女にしたい。これを見て、恋をしない人類はいないだろう。
はあ・・・石原夏織ちゃん・・・💕
2.フィービーフィービー
作詞:只野菜摘 作曲:大竹智之 編曲:太田雅友
あのね あのね 止まらないよ
落ち込んでたの どこか遠く飛んでっちゃった
ーもしも少し ぶつかっちゃっても
まっすぐ前を見てただけなの 一生懸命で
毎週月曜日、『石原夏織のCarry up⁉︎』を聞いている時、すべての悩みと疲れが吹っ飛ぶような錯覚がある。
あれは錯覚?あの小さな悩みは一体何だったのか?考えるのも無駄になるほど、君は体当たりで番組に臨み、その爪痕を、僕らに優しく残していく。元気の特効薬、石原夏織は最強なのである。
そしてFace to Faceで向き合い、距離を近づけた結果、僕と夏織ちゃんはぶつかってしまう。それも仕方ない。僕らは一生懸命、前を見てただけなんだから。
K-POPアイドルグループ的なイントロには、彼女の趣味も入ってるかもしれない。ドラムの打ち込みも「これしかない」という最適解の響きがある。
本作は、石原夏織と愛について論ずるべき作品ではあるが、そのアレンジなども無視することは出来ず、生音と打ち込みの間を行くような楽器の響きにも新鮮さを感じることができる。
楽しい時間がまだまだ続くことを暗示させてくれる。早くライブで聞きたい。楽しい曲すぎる。これがリードトラックじゃないの?えっ違うの??
ところで『フィービー』とは何を意味するのか?歌詞の中に登場するfeel beamの略であることは概ね予想がつくが、それ以上の意味はあるのか?わからないことは調べよう。
フィービー(Phoebe)は、英語圏の女性名。ギリシャ神話の女神ポイベーの英語名でもある。つまり、石原夏織ちゃんは太陽であり、月、輝ける女ってことでいいのだろうか?軽い気持ちで調べたら、とんでもないミーニングにぶち当たった。
リスナー自身が暗闇にいたことも忘れさせてくれる太陽と月の存在。そしていつか夜が明けること。これは、そんな革命の朝の為のサウンドトラックである。
さあ、石原夏織の第二章、そのページを一緒にめくろう。
3.Water Front
作詞:しほり 作曲:理沙・工藤政人 編曲:工藤政人
「キミ以外ほしくないよ」 心が飢えて死んでしまいそうだ
こんな私を救えるのは キミしかいない
「石原夏織になんて恐ろしいセリフを吐かせるんだ?」と驚き、考える間もなく、水のように軽やかなメロディラインが僕をさらっていく。激流に心身の身動きを奪われ、その湖の底まで一気に突き落とされる。
息を、息をさせてくれ、ちょっと待ってくれ。
先行公開された中では、おそらく一番衝撃的だった楽曲。爽やかなピアノライン、相反する緊張感を生むストリングスとベースライン、これに石原夏織の比較的低音のボーカルが乗る。
この愛しさと切なさとはなんだろう?気持ち悪いくらいのバランスで共存している。
僕は、声優アーティストの音楽を、現代ポップスの中でも特に優れたものであると認識しているし、その中でも、例えば水瀬いのりさんのことを神として崇めている。今回、それに勝るとも劣らないクオリティ、一級品のJ-POPの可能性を突きつけたのは、間違いなくこの楽曲である。
石原夏織は、とんでもないスピードで、予想を超えて今、進化している。
歌詞内容も、これまでとは一線を画す大人テイストであり、語りかけるように展開される。お葉書を「おはしょ」と読んでしまう程度の教養しか君にないとしても、れっきとした27歳である。似合わないわけがない。青いドレスの君が美しい。
特筆すべきはCメロ部分。
時間だけが過ぎていく 私を残して
誰も幸せにしないのに どうしてふたりは出会ってしまったんだろう
苦くて甘い 刹那に負けて
これをフィービーフィービーのCメロ部分と比較してみよう。
いくつも時間軸はすべりゆく ひとり1つずつ 世界もってる
今を抜けて 約束の場所へ行こう
そこで待ってるから 次も会いたい
同じ時間を軸にしながら、ほぼ相反する内容を歌っている。
「どうしてふたりは出会ってしまったのだろう?」と言葉を落とし、出会いを後悔するくせに、その一方で君と出会えた奇跡、その先の再会さえ約束してしまう。
たった2曲の間に、笑顔を映し出す太陽と、その影、彼女の二面性を、まるで美しいコントラストのように描く。狙っているとしか思えない。
そして、考えれば考えるほど同じである。まさにこの曲の歌詞と、僕は同じ気持ちを抱いている。ガチ恋なんて趣味じゃない。
叶わない気持ちを理解しているくせに、どうしようもなく石原夏織、キミしか考えられない。
ダメな理由じゃもう縛れない。いや、いっそ思い切り縛ってほしい。
どうにかしてくれ。
4.夜とワンダーランド
作詞・作曲・編曲:クボナオキ
希望や夢を持つこと 閉ざしていた心の中
空っぽなんて 囁いたって 命は溶けてく
どこへいこう ここはワンダーランド
瞼の中にある世界
もう迷わない、と 手を繋いだ
「わかりやすいロックだな」と言うのが最初の印象であった。ただ、そのわかりやすさに抵抗するような、一種の拒否反応もあり、馴染むまでは一定の時間が必要であった。今は素直にいい曲だと思える。
特に、夜道を歩きながらひとりでイヤホン越しに聞いてると、最高に興奮する。
暗闇の中で一瞬だけ輝く星の砂、それが消えていくようなイントロから始まる。光の為の影、影の為の光。夜が映し出すのは、そんな景色かもしれない。
忘れた記憶に呼ばれ、自分には何もないとか、先が見えないとか、色々言い訳にはできるけど、とにかく飛び込むしかない。
時間軸に対する表現も引き続き登場し、その決意に至るまでを丁寧に描いていく。
SILENT SIREN全楽曲などのサウンドプロデュースを引き受けるクボナオキさんが作り出す音像は、いい意味でまさに「今風だね」と言いたくなるような、ちょうどいい質感を持っている。
古今東西のロキノン系、バンプやアジカンを踏襲したボーカロイドを耳にしてきた我々にとって、それはごく自然に響く。
『半透明の世界で』の先の景色、石原夏織の新しいキラーチューンがここに誕生した。
5.リトルシング
作詞・作曲・編曲:kz(livetune)
何気なく放り投げた台詞 いつの日か輝きだす
幾重にも重なった全てが今になる
それとないキミのその声が 視線の先を変えてく
私さえ気づかない ひとつひとつが歌いだすの
生きてると本当に些細なことが大きな実を結んだり、全然そんなつもりじゃなかったことが運命に繋がったりする。当然、いいことも悪いこともあるが、ひとつだけ確かなことがある。
その喜びと苦しさを味わえるのは、迷いなく夜に飛び込んだ者だけであるってこと。アルバムを通して、確かに主人公が前進していることがわかる。
kzさんが作り上げる音は、どうしてこんなに心を豊かにするのだろうか?前作ではオレンジ最高かわいい大名曲『Orange Note』を編曲した彼の真骨頂が、ついに2枚目のアルバムで姿を現す。
10年代アニメーション、音楽文化を語るとき、彼の名前を出さずにはいられない。それくらい、僕らにとっては近い人である。
彼にしか作れない音の跳ね方、これに合わせて歌唱法やボーカル処理も適切なものを選択していく。あまり加工しすぎても不自然であるから、これくらいがちょうどいい。
君と出会ったあの日、僕はまだ君を、ひとりの人間としてさえ認識できなかった。いつのまにか、その些細な仕草や声が僕の意識に小さな種を蒔いた。太陽と水、そして愛、それはやがて大きな実を結んだ。
とは言え、こんなにも君のことを好きになるなんて想像しなかった。
どんどん好きになっていく。君が魅力的すぎるから。
石原夏織、僕は今まで生きてきて、今、一番この瞬間が好きだよ。
6.Crispy Love
作詞:知念 結 作曲・編曲:藤末 樹/齊藤湧太
想いがいっぱい 積み重なって
壊れそう でも 大丈夫だよ
キミがいいから ずっと
かわいすぎ無理。無理。
石原夏織さんがピンクを着る未来、そんな衣装が似合う楽曲を聴けることを、当時の僕らは絶対に想像できなかった。
あの日、選択した未来と失ったもの、それ以上の十分な栄光を彼女は手にしてきた。そのひとつがこの楽曲であるといっても過言ではない。サビのメロディが大好き。
何も言うことはない。
似合ってるよ。かわいい。
かおりかわいいよかおり。
7.キミしきる
作詞:やなぎなぎ 作曲:石川 慧 編曲:菊谷知樹
レコードで言えばB面に切り替わった所だろう。一気に世界は塗り替えられる。前作では実現しなかった、待望のしっかりとしたバラードから始まる。
王道的な展開で見せていく序盤に対して、気持ちの高まりをあえて抑えるようなサビのメロディは06年周辺のELT的雰囲気を彷彿とさせるものがある。
やはり、石原夏織サウンドの根源は00年代ポップスにあるような気がしてならない。
気持ちには形がない。いくつになっても、誰とも本当の意味では何もわかりあえない気がする。それならばと、距離を取っていたら、いつのまにか随分遠くまで来てしまったなと思うこともある。
かかとを上げて ホントは届かない場所
無茶もいいけど 一番星はキミの手の中にずっとある
-キミでいてよ ねえ そのままのかたちが好きなんだ
だからいつまでもキミでいて
やなぎなぎさんは、その難しさを言葉にしていく。
タイトル『キミしきる』とはつまり、「降りしきる雨のように君に変わらないでいてほしい」という願いである。輝き続ける太陽とか、咲き誇る花のように~であれば、わかる。ちょっと普通の思考回路では行き着かない。
僕はきっとよく見られたいから、無理をするし、君はそれを心配して「そのままでいい」って言う。その段階でもう食い違ってくる。
だけど、「一番星は君の手の中に既にあるじゃないか」と言ってくれるなら、きっと少しだけ楽になれる気がする。
例えば、「愛はきっと奪うでも与えるでもなくて、気が付けばそこにあるもの」と歌っていた僕の大好きなバンドのように。
だからこそ、そんな変わらない君に、そっと寄り添う人がいれば、日々は幾分豊かになるかもしれない。近づけば、近づくほど、抱きしめた途端にピントがぼやけてしまうこともある。でもいつか、それがきっと噛み合う。そう信じられる歌が聞こえる。
それにしても、本当に歌がうまくなったなあ・・・とまず思う。高音や低音の使い分け方、歌中の役になり切る演技力、伸びやかさ、どれを取っても飛躍的に彼女が成長したことを、本作は物語ってくる。
「この声をずっと聞いていたい」、そう思える気持ちが、歌モノ作品への最高の褒め言葉であると僕は思う。
本作は、石原夏織の声の才能を最大限に発揮させ、伸ばし、その新しい魅力も開拓できている。
まさにこれを聞きたかった。そう思える渾身のバラード楽曲である。
8.Diorama-Drama
作詞:藤林聖子 作曲:中村 歩・TETTA 編曲:APAZZI
嘘つきなDiorama破って
隠されたリアルを見つけたいWow-Oh
現実はSugar-Freeでも 探してみる価値はある
石原夏織史上最長の英詩から始まる。
お葉書を「おはしょ」と読んでしまう程度の教養しか君にないとしても、れっきとした27歳である。かっこいいぞかおり。
嘘、現実、虚構、ディスプレイ、匿名など、現代ネット社会を風刺するような単語が並んでいくが、どちらかと言えば90年代的な街の匂いが香るダンスナンバーである(憶測では、この曲の主人公は、仕事も恋も頑張るアタシが大好きで、「アタシを振ったあいつを見返してやる!!」と思いながら生きているが、「誰かに振り回される自分なんてフェイクだ」と気づいている多分)。
楽曲は、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロなどの音がスパイス程度に機能する構造を持っており、既存のダンスナンバーに新しい風を巻き起こすことに成功している。
これを可能にしているのは『Face to Face』収録の『Taste of Marmalade』がもたらしたジャズテイスト、トランペットなどの楽器の導入が大きいと思われる。その点では、前作に収録されていたダンスナンバーとは異なる可能性を持つ。
このように、石原夏織スタッフは先を見据え、一段ずつ階段を上るように、その表現を進化させていく傾向がある。急に背伸びさせるような無理を強いることもないし、ファン側も見ていて気持ちいい。好き。
9.TEMPEST
作詞:こだまさおり 作曲:よる。 編曲:岩橋星実(Elements Garden)
巻き起こした風を、嵐に変えていくような、全身の血が湧き上がるイントロに胸を焦がす。
最近の大衆歌は、サブスクの影響でイントロが短縮化される傾向にあるが、これは最たる例の一つであろう。再生した瞬間に、残り3秒で爆発するダイナマイトを見たような気分になる。
アニソンをこよなく愛する者なら、一瞬でその歓喜の糸をハイテンションに張り上げることができる楽曲。故に、当初はその流れに、安易に石原夏織を組み込ませるような楽曲が出てきたことに、戸惑いを隠せなかった。
石原夏織には、石原夏織らしく歩いてもらいたい。何かのパターンに組み込まれるような生き方をしてもらいたくない。『Sunny Spot』で見せてくれた太陽の輝きを、僕はこの時、一度だけ疑ってしまった。
個人的な転機となったのはANIMAX2019神戸。赤い閃光:石原夏織が表現する、どこか幾何学的でありながら、斬新な動きに翻弄された。
さらに細かく聞いていけば、この楽曲が一筋縄ではいかない構造であることに気付かされる。王道的かと思わせて、実は変則的なリズムパターン、その上を滑らかに舞うストリングスが、まるで氷上を舞うバレリーナのように美しい螺旋を描く。特に、3:04部分の甲高い弦の音にそのピークを感じる。
同じく変態ダンス楽曲の代表である『Ray Rule』から、次のバトンを渡すにふさわしい楽曲であることに気づいたのはこの時であった。
つまり、アニソン的な王道を格式高い様式美に昇華させるような印象を、僕はこの楽曲に抱く。若手作曲家のアイデアを、正攻法を知ったElements Gardenが、ワンランク上の仕上がりに導いているのではないかと推測する。
以降、貫かれていく石原夏織ズムに、僕はより一層の力強さと優しさを感じ取ることができた。
簡単に言えば、見方が変わった。これまで当たり前に続いてきた、そのハイレベルなものづくり、プロモーションの凄みを改めて知ることになる。
それが可能にするのは、ファンとアーティストの信頼関係を最高レベルに強固かつ束縛されない状態に保つこと。この時、音楽は音楽として正しい響きを持つことができる。
僕は、ここまで聞いてきて、改めて「このアルバムはやべえ」と確信した。
本当の優しさって勇敢なんだって キミが不意に言った
ーどんな絶望もすぐとなりで塗りかえてく
キミのリアルにいつだって救われてたい
ー見つけた希望に胸が今震える 響いてるよ move my heart
隠した本音の裏に潜んでる 誰より強い眼差しで
ほんの数分前に、本当とか嘘とか歌ってた君の姿が過去になり、一瞬の迷いもなくこの胸に飛び込んでくる。
今なら、理屈を超えたあのカーブの向こうへ、本音の裏側まで行ける気がするのは気のせいじゃない。僕と君だけにわかる。
石原夏織のリアルは僕のリアルが救う。僕のリアルは石原夏織のリアルが救う。そういう関係でいよう。嵐が降ろうが、雨が降ろうが関係ない。光も暗闇さえも恐れない。
始めよう。目なんかとっくに覚めてる。
10.SUMMER DROP
作詞:磯谷佳江 作曲:三村一輝 編曲:ArmySlick
MV、いいよね。めちゃくちゃいい。お絵描きCGの演出、めっちゃ大変そうだって素人目にもわかる。曲もいいのに映像もいい。天才である。
リスナーの中で張り詰めた最高レベルのハイテンションを、優しく緩ませるように、水滴の音が響く。
君と僕の夏がやって来る。
TEMPESTの上の階層に、焦って向かう必要はない。
夏を楽しもう。そんな空気を、駆け抜けた後の突然のヴァカンスを連れて来るのは、この夏1番恋したい君である。
「昨今のヒットソングには季語、季節が失われている」と、ある音楽評論家は語った。果たして本当にそうだろうか?
僕はこの曲を聴いて、夏の到来を感じた。これほどまでに、潔いサマーソングが2020年に鳴り響く歓びを、身体中で感じている。
暑い日差しを背にして、歩きながら、車を少し走らせながら聴くのがいい。
きっと 待ち焦がれてたの
これが運命って 思えるような瞬間をずっと…
僕らはたどり着いた。その美しい景色に。
無限の可能性の海を眺めながら、君と愛し合う夏の季節に。
このワクワクを続けよう。君の手を離さない。
11.Page Flip
作詞・作曲:渡辺 翔 編曲:白戸佑輔
喜びも戸惑いもほら全部
すべて受け取りたいって思えるよ
どうしたらいいか僕はもうわからない。
初めて聴いた時、最近新調したばかりの机にボロボロと涙が落ちた。
喜びも戸惑いも、怒った日も、悲しかった日も、今は全てが愛しい。
40分前に聞いたそのアルバムがたどり着いた場所、君と出会った日から続いてきた物語の終着点のひとつが見える。
僕には見える。白いベール、ドレスを纏い、花冠をかぶった君が。行く先々、歩くたび、道に花が咲く。スタンドマイク、バンドメンバーと共に、この歌が鳴り響く場所が見える。神様も、太陽も、月も祝福している。
束ねられない程の思い出 最初の頃はもう懐かしい
色とりどりの付箋で飾る 思い出は大切であふれて
キミに届けた
身体から溢れ出した涙のふるさとを僕は辿る。走馬灯のように色んな思い出を、君と歩んできた道を回想する。
最初の頃?どこからが最初だろうか?出会ったあの日から…?
君はきっと、あの頃を忘れない為に、色とりどりの付箋を貼る。大切な誰かを、いつも心のそばに置いている。だから、振り返らない。
石原夏織は先に行く。それがわかった。
「好きなものは好き」、それが答えでいい。
しかし、そこに辿り着くまでの過程を紐解くことに、僕は意味があると思うし、それを言葉にした時、「好き」と言う感情がさらに濃いものになると確信している。
ここまで書いてきた10000文字近い過程がきっとそれだったんだと、今は思う。これだけ書いても足りなくて、そんなものを全部書き連ねるのは、野暮かもしれないし、本当に優れた人は短い言葉で自分の想いをちゃんと伝えられる。だけど僕は、何ひとつ間違いのないように、その過程を伝えたかったのである。
なんて綺麗なメロディ、なんて綺麗な歌だろう。渡辺翔さんが描く軌跡は、どうしてこんなにも美しく、涙腺の上を流れていくのだろうか?すごい。
不揃いな過去 ぎこちなくていい
少し降り曲がっても 気にしない
それも自分で 等身大で ありのまま伝えよう
心へ書き写していこう
きっと君にも、僕にも、整理整頓しても不揃いなものがある。それでいい。ここから、これからも歩こう。心へ刻むために、言葉を重ねよう。
そう、例えばこんな風な長文のブログだっていい。
バンドの音が気持ちいい。おそらく、ほぼ全ての音を生バンドで録音するのは初めてだろう。
ギターソロ、転調、愛は加速する。止まらない。
こんな素敵なストーリー、グローリー、ひとりでは抱えれない。
この幸せを、僕は、もっともっとたくさんの人と共有したい。
もっともっとファンを増やしたい。石原夏織を聞いて、幸せになれる人を増やしたい。
「君が元気ならそれでいい」と考えていた日々は終わった。
もっと、もっと先を行こう。躓いたっていい。
迷う日にいつもこのアルバムを思い出す。
始まりはいつも大切な言葉。
会いたくて 会いたくて この想い止められない
これからもキミがいい 答えなら ひとつだから
■総評
石原夏織。
それは、生活の中に根付いた存在、音楽。まるで一本の軸、生命を宿す幹のように、僕の命を呼吸させる。
日々、我々を取り巻く状況は、油断できないどころか、悪化している。
少なくとも、遠方に住む友人に気軽に会いにいける世界が来なければ、平穏は戻ってきていないことに等しい。
その状況下にあっても、君の存在、素晴らしい音楽は、僕の心を奮わせた。
3月、4月、楽しいことを探さないと死にそうだった。過去にも未来にも今にも、その時々の文化にも可能な限り向き合ったつもりだ。
その中でも、画面の向こうの君の姿、声を見たり、聞いたりするのは飽きなかった。
どんなことがあっても、君の笑顔さえ見れば、悩みなんか吹き飛んでしまった。君は太陽かもしれないし、霧に覆われた景色さえ変えしまう風かもしれない。
そして、変わり続ける世界の中で、彼女は、彼女を支えるスタッフは、僕らに変わらない愛とものづくりを提供してきた。そのタフネス、心遣いにいつも満たされる。
石原夏織がソロデビューすると聞いた時、きっと誰より僕は嬉しかった。だけど、そのあともずっとずっとワクワクとキラキラを継続できたのは、彼女がポニーキャニオンという場所を選択し、そこに彼女を支えるスタッフたちがちゃんといたからである。今ならそれがちゃんとわかる。
天然ボケを通り越した中に光る彼女の才能を見抜き、伸ばすのは、正直、至難の技であった。普通のレコード会社であれば、それを見逃し、見誤ってた可能性は十分にあった。もしくは、売り上げ以前に、活動もパッとしないまま、負け犬のレッテルを貼られ、彼女を嘲笑の対象とするような売り方さえ想像するのは容易かった。
最悪、そのままフェードアウトすることすら考えた。それだけは、絶対に許せなかった。だから僕は、デビューシングルが出て、リリースイベントで彼女に会えることがわかった時、シングルを5枚買った。複数枚の同じシングルを買うなんて絶対にその当時の僕を僕が許さないはずなのに。
「最初で最後の会えるチャンスになるかもしれない」と言う恐怖があったから。
そんな日から、実に2年と約半年の時が経過した。変な心配をするんじゃなかった…と今は思う。
石原夏織と、そのスタッフは、いつもいつも、事細かく、しつこいくらい何度もメディア出演情報を知らせてくれる。この春からはラジオのアーカイブをYouTubeに投稿してくれるようになった。ほんまに助かっている。同時観賞会もめちゃくちゃ楽しかった。
時には、過去イベント(抽選で招待される)でのみ放送された特別映像をYouTubeに投稿してくれたこともあった。誕生日を一緒に祝えるようにインスタライブもやってくれた。
そんなことしなくてもいいのに。だが、石原夏織スタッフはそこまでやってしまう。この状況下で、楽しいことを目の前にしても、時には、どこか救われない気持ちを抱える僕らに向けて、その手を差し伸べる。
我々は、その愛を受け止めることに精一杯になりつつ、手を握る。握った。そう、今、僕はこのアルバムを聴きながら、しっかりと彼女の手を握った。
つまりは、そんな彼女と彼女の人間性、優しさ、強さを凝縮した愛が詰め込まれた作品。チーム石原夏織の総合力、それこそが『Water Drop』なのである。僕にはわかる。
これは音楽ではない。音の形をした愛そのものである。人間との対話に近い。この音楽を目の前にする時、僕らは石原夏織とそれを支えるスタッフと対話することになる。
あの日流した悔し涙、嬉しい涙、虹の後でも振り続けた雨、汗、そんな一雫が、いつのまにか大きな水たまりになった。
それをハートの型に流し込む。一瞬で僕らはそれを形にできる。
これこそが、僕らと石原夏織の愛の結晶なのである。
よかったねかおり。
27歳の誕生日おめでとう。
早く会いたい。
会いたくて会いたくてこの思い止められない。
~fin~
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