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葉月に就

ちょうど、19年前のたった今。2日前に自分自身も誕生日だった母が、腹を痛めて産んだのが、私である。

遂に、あと365日で20代と呼ばれる年までやってきてしまった。そろそろ前撮りとか着付けを考えるフェーズに突入しそうだ。忙しくも楽しい、最後のティーンエイジャーを楽しもうと思う。


子供の頃は2週間前からワクワクして、近辺になると祖父母からお祝いでお金がもらえて、プレゼントを買ってもらって、まさかのケーキが嫌いだったのでフルーツポンチを自ら作る、というものだった。

けれど、年を重ねるにつれて、そんなに楽しみなものではなくなってきた。

子どもの頃のプレゼントは欲しいものを買ってもらっていたが、あくまでも「誕生日だからほしいもの」を「新しく考えて」買ってもらっていた。けれど、ここ3,4年は「これ欲しいんだけど出費が悩みどころだな」と思っていたところに「そういえば誕生日じゃん」となって「これ誕生日プレゼントってことにして買ってもらお」と、もはやお金をもらっているのに変わらないプレゼントになってしまっている。
ケーキもここ数年、推しの誕生日で食べるケーキとか、デパ地下の見た目に一目ぼれして買ったスイーツとかで、やっと食べられるようになったのに、誕生日にあまり食べようとしない始末。去年、記憶があるうちでは初めて自分の誕生日にホールケーキを食べた。
祖父母からのお祝いのお金だけは唯一変わらずに貰っている。変わらずどころか、ちょっとやりすぎなくらいに年齢に従って増額されている。ありがたいことなのは絶対に間違いないんだけど、時々生活費を絞っていないか心配になる。スーパーでの買い出しでポンポンかごに詰める祖母を見ると杞憂だな、って思うけれど。

こんなに誕生日に対し興味がなさそうだが、人の誕生日は結構気合を入れている。結構考えてその人の好きそうなものとか使いそうなものをあげるし、恋人がいるときは倍考える。ただこれも仲良し度によって変わってくるけれど。高校の同期は結構大騒ぎするけど、中学の同期、中学の部活の同期とかは一周回ってメッセージだけだったりする。在学中は忙しかったから。それでも最後の年は頑張ってみんなにご希望のコスメをプレゼントした。ただ、誕生日がいちばん近い子だけ、一番仲いいはずなのに一番おざなりになっていて笑ってしまう。遊びに行こうって1月くらいから言っている。ごめん。
今はそんなに頻繁に会えないから、全員平等くらいの気持ちでいる。友人たち、突然プレゼントを郵便で送っても許して欲しい。


ここ1,2年思うこと。「昔より体力落ちたな」と「早く結婚したい」。あと「恋人でなく異性の友達が欲しい」。最後の1個は本当に先月くらいに思ったこと。私、カップルが羨ましいのは、そこにある愛情ではなく、気兼ねなく話せるその空気だ、と気づいた。大学でそんな人作るのは割とハードルが高いし、かといって高校や中学の同期も今更感がある。結局無理だって終結した。新しいコミュニティを作るのには、体力と気力が必要である。
早く結婚したい、に関しては、私の周りにいてくれた人は、私からの聞き覚えがあるのではなかろうか。とにかく早く身を固めて安定した将来を見据えたい。30代後半になって焦る、とかをしたくないのだ。研究者になりたい人が何言ってんだ、とは自分でも思うが。ただ現実、例えば本当に20代になってすぐ結婚したら、2年前に母が苦労して終えた戸籍諸々の手続きを、今度は自分でやらなくてはならない(成人なので)。月に何回も仕事の休みを削って市役所へ行き、書類を書いたり手続きしてくれた母を思い出すと、結婚もそう簡単ではないと思う。そういえば、推しが「結婚ってあまりにすごい。この人と一生を共にするって決めるわけで、生半可な覚悟ではできない。」と言っていた。確かに。そう考えるとちょっと私は「結婚」を舐めているのかもしれない。


高二の冬くらいから、ずっと迷っていることがある。迷っているというか、困っているというか、「断定していいのか悩んでいる」が、正しいかもしれない。

これを読むあなたは、昨今論じられている「LGBTQ」だけではくくれない、様々な性のあり方のことを知っているだろうか。恋愛感情の抱き方だったり、そもそも恋愛感情を感じるかだったり、他にももっとある。(もし良かったら調べて見てほしい。私は「jobRainbow」というサイトと「TOKYO RAINBOW PRIDE」というサイトを見た。)
私は、生物学上女の人と付き合っていた事があるので、その時に調べて初めて知った。

そのお付き合いをしたから意識して思い込んでるだけなのか、はたまた付き合いの経験がなくても調べて知ったからそう思ったのかは定かでないが、なんとなく自分は「Aセクシャル」な気がしている。本当に、「そうかもしんないなぁ」くらい。

誕生日記念にあまりそういうことを書くのはよくないと思うので濁して書くが、いざ「する」ってなったら案外出来ちゃうかもしれない、今は知らないことからの恐怖や不安でそう思ってるだけかもしれない。けど、先に記したお付き合いの時、相手のことがちゃんと好きだったのに、いちばん簡単な接触でさえ避けてしまったのがずっと頭に残っていて、未だにこのように心に蟠りが出来ている。


ところで話が3ラジアン程変わるのだが、この時期には、風化させないように必ず立ち会わなければ、と思っている式が幾つかある。果たして同年代の人は、明日の昼頃テレビをつけるのだろうか。私だって、誕生日の翌日が終戦記念日でなければ、もしかしたらこんな風に思うことはなかったかもしれない。けれど、全体的に悲惨な歴史と平和の尊さを伝えることの多い8月、更には近い日に生まれ、意識するようになったからには、ずっと覚えていなければ、と思う。

私の知り合いでこれを見ている人、たまたま見つけてここまで読んでくださった人。
明日は、平和への祈りを捧げてみませんか。


8月もちょうど真ん中くらいである。後半にたくさん予定を詰めてしまった。今週末は推しに会いに行くし、友達と会う予定が大まかに2つ入っている。楽しみだけど、お金がどんどん減っていく。バイトしたいけど、教習所も入っていて割と忙しい。今月の目標、母に借金をしない。

誕生日記念の投稿の最後がこんなので大丈夫だろうか。

自分、誕生日おめでとう。

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