トーテムポールの話。最初のキーワードは全然違ったんだけど。

なんかさ、どこの小学校にもありませんでした?トーテムポール。
ちょっと大きな公園にこぞって置いてあったり、子供の頃から当たり前に触れてきた感覚があります。トーテムポール。

ネイティブアメリカンの文化だかなんだか、そのくらいの知識しか無かったのですけど、ふと調べてみたらなかなかに面白いものでした。
雑学でしょうかね。

と言いつつも、起源やら文化的意義やらに触れていくと、それは専門家の方にお任せしましょうよ、となりますからもう少しライトな目線から。
雑学ですね。


なんせね、不思議じゃあないですか。
そりゃあ日本は文化的柔軟性が高いというか、同一民族性が高い集団にしてはやたらとアチコチから色々と持ち込んでくる傾向はありますわね。
でも、だからってなんでトーテムポールばかり、やたらと。

こんな人が一人いれば、当然同じことを考える人がいるものですね。Yahoo!知恵袋に気になる記述がありました。

なんでも、以下のようなことではないか、との。

・70年代あたりに卒業制作で作られたものが多い
・電柱が木製からコンクリート製に換わる時代
・当時のエキゾチックブームもあるのでは

なるほど確かに頷けるところがあります。ソースもなんもあったもんじゃないのでアレですが、筋は通っているように感じます。


『電柱』のWikipediaによれば、木製電柱などに関わる"木材防腐特別措置法"なるものが1953年に制定されたそうですので、50年代ではまだまだ新設も含めて木製電柱が活躍していたと推測できます。

※参考:木材防腐特別措置法の立法情報
https://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/01619530801112.htm

余談ながら、日本最古のコンクリート電柱は1923年に設置され、函館で今でも頑張っているそうです。いやこの文章全体が余談なのだが。

時代的にはちょうど移り変わりのタイミングだったのでしょうね。落ち着きました。


しかし、エキゾチックブームってのは何でしょう。前述の知恵袋istの方によれば『ハクション大魔王(1969年)』『ジャングル黒べえ(1973年)』『レインボーマン(1972年)』と、テレビコンテンツにも表れている、と。

レインボーマンて。東宝特撮ヒーローて。渋すぎるやろ。

言われてみれば『仮面ライダーアマゾン』も1974年ですし、『ジャングル大帝』のアニメ化も1965年ですわ。

なるほど、どことなく納得感があります。


とかなんとか言っているウチに、ちょいとした論文を見つけました。

当時の文化形成に大きな影響を持っていた"雑誌"というメディアについてのお話。社会的変遷も含めた総説のような内容で、なかなかに勉強になりました。近代文化史みたいな領域なんでしょうか、こういう論文はもはや読み物。


この論文で主に語られる70年代は、当然、少し前の60年代から大きな影響というか流れを汲んでいます。
そう、60年代って、今だからこそ振り返りたい時代じゃないですか。

終戦から時間も経ち先進国が大きく経済成長する反面、ベトナム戦争などへの反戦意識が高まり、公民権運動やウーマン・リブ運動にゲイ解放運動。
そして東京オリンピック。続いて大阪万博。

結局、60年経った今も人類は同じような課題に向き合っていて。
いやむしろ、よっぽど悪くなっているのではないかとすら思う側面もあります。


だから何ってワケじゃないです。何か言いたいことがあるワケではない。
けど、色々と感じることがあるじゃないですか。こういう話題で盛り上がりたいのですよね。そういうヤツがいたっていいと思うのです。

こんな感じの結論無き文章だって、もっと世に出していかないと、安っぽいアフィリエイト構文だらけのインターネットになっちまうからさ。


さておき、トーテムポールに至ったのは、全く謎の流れでして、元々は寄生虫が原因の疾病について調べてたんですよね。すると、カニバリズムについての記述に出会って、そこからトーテミズムに流れて、トーテムポール。

Wikipediaってこういうワンダリングが面白いですよね。
日々、何か気になるとこんな感じであちこち歩き回ってるので、たまにシェアしてみようかな、と思う次第です。

Wikipediaに留まらず、ニコニコ大百科やらピクシブ百科事典やら、集合知的なプラットフォームが大好きです。ものによってはソースを辿らないとアレですけど、まぁそこは適宜やります、たぶん。

なんか名前あったほうがいいのでしょうか。
Wiki散歩とか?あ、Wiki折々ってのはどう?

まぁいいか。
次回も、どうぞ よしなに。

末尾ハンコ



読んでいただいてありがとうございます。貴重な時間をいただいていることは自覚しつつ、窮屈にならない程度にやっていきます。