今日たまたまある人に思い出させてもらった個人的に非常に惹かれる昔話です。
もっとも、タイトルだけでももう絶対受け付けないという人もいるかもしれません。
いろいろバリエーションがある話ですが、今回は次のサイトがパッと見つかったのでこちらから紹介します。
「自我の弱い、甘えた印象の」主人公が登場しました。おそらくこのお話の最後まで周囲に振り回されっぱなしの予感があります。
日本人好みの、夕鶴に代表される「恩返し型押しかけ女房」です。
我の弱い男は、自分では稼ぎを取ってこられず、女性に言い寄る強さもないので、子孫を残していくにはこの形がある種の理想型なのです。
「こんなのはお話じゃないか」と思われるなら、こういう「お話」もあります。
ご本人が話を作っているのでなければ、これは実話のはずです。我ながらなんと無意味な文章表現!
ヘビの女房をもらった「心やさしい男」も竹熊健太郎さんも、このお話からして「前途多難」は容易に想像がつきます。
現代のような個人主義社会でサバイブするには、とても心がやさしく受動的です。押しかけられたら言いなりです。でも日本人はこういう心根を愛するものなのです。
ここも夕鶴と変わらず、男は「自分の意志」というものがもてません。「やくそくしろ」と言われれば唯々諾々とそうするのに、その「やくそく」を守ることができないのです。だから「あっ」と驚くものを見なくてはならなくなります。
赤ん坊は母親がなくても「玉」をしゃぶってすくすくと育ちます。男は相変わらず受動的で、「不思議なこともあるものだ」などと呑気に構えているばかりです。
そのうちに「玉」が噂になって、けっきょく「とのさま」に召し上げられてしまうのです。赤ん坊は泣き、男もとほうにくれ、むかしの「よめさん」に泣きつきます。
全編これ「甘え」と言っていいほど頼り切りです。甘えが充満しています。
しかし意識下のエネルギーにも限度はあります。「とのさま」はいわゆる「個人的自我」の象徴でしょうが、こういった「無意識のエネルギーを取ってばかり」の暴君は、けっきょく仕事に行き詰まったとき、とめどもなく退行する結末に突っ込みがちです。