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寒くて暗い冬の朝にベッドからでたくないですか?【ユタカジン】

森の小鳥のさえずりだろうと、ペール・ギュントの「朝の気分」だろうと、あなたが朝を苦手だと思うなら、セットした「目覚まし」を嫌悪するでしょう。

暗く冷たいベッドの外に飛び出したいとは思わないでしょう。暖かい毛布のぬくもりにいつまでも全身を浸していたいと願うでしょう。

「スヌーズ」の誘惑にはとても抗いがたいでしょう。せいぜい一〇分後にまったく同じ空々しい「朝の気分」をふたたび聞くことになるとわかっていてもです。

もちろんこの気持ちはよくわかります。そして私は思うのです。

「生きづらさ」とはなによりも「気持ちの問題」なのです。これを「スキル」で解決したいと思うかもしれません。しかしそれではうまくいかないケースがたくさんあります。

時間を上手にやりくりし、就寝のずっと前に食事を済ませ、グリーグの甘美なメロディを目覚ましにセットしたからといって

起きたくないものは起きたくない!

ものなのです。

ほかの例を挙げましょう。

たとえば「先送り」は「気持ちの問題」です。「タスクリスト」にやるべきことをきちんと書き並べ、上から順に一つ一つ片づけていけばいいのが確実であっても、「やりたくない作業」にぶつかったとき、それを翌日に先延ばしにしてしまう苦い思いを誰もが知っているでしょう。

人によっては「それは、時間がないから……」と考えるかもしれません。しかし「さすがに5分や10分なら作れるし、それだけでも作業を終えられるかもしれない……」と内心では知っているものです。

あるいはもっと単純に「自分の意志の弱さ」を腹立たしく思うかもしれません。「少しくらいキツそうな仕事だからといって、いつもすぐ逃げたくなるなんて根性がなっていない」と自分や他人に指摘する人もいます。

しかし私は50年ほど生きてきて、この類いの「意志の弱さ」を嘆かない人を見たことがありません。つまり人間とは、キツい仕事を前にすればほぼ自動的に先送りにしたくなる生き物なのです。

このように「朝に起きられない」とか「タスクを先送りする」とか「社内プレゼンが苦手」とかいった「仕事の悩み」はどれも「気持ちの問題」だと私は思うのです。「時間のやりくりがヘタ」とか「意志の弱さ」とかに原因を求めるべきではありません。

「気持ちの問題」の例として「先送り」をあげました。しばらくこのテーマを続けましょう。

先送りが悩みになるとき、私たちはいつでも二つの対立する強い感情にひき裂かれています。そのことを忘れないでください。

朝には起きなければなりません。しかしいつまでもまどろんでいたいのです。メールを出さなければなりません。けれどもできればアーカイブして忘れてしまいたいのです。まちがって叱ったら子どもに謝るべきです。でもむしろ親として威厳を示してやればいいような気がするのでしょう。

意識の上ではやりたいことがたくさんあります。あるいは、やらなければいけないことはわかっています。それでも意識のほかの部分と、とくに「無意識」が頑固に「絶対にやらせるものか」と抵抗するのです。

私にしてもあなたにしても「やらねばならぬ」との想いは十分に強いのです。しかし「やらせまい」とする気持ちがそれを上回ることがしょっちゅうあるものです。

「今日こそは取引先にメールしよう」との思いは決して弱くはありません。「今日こそは!」と朝に自分を鼓舞するあたり、決意の強さが現れています。ただその意志を挫こうとする感情も負けていません。綱引きは少なくとも互角です。

「先送り」は、無意識が引き起こしているとすらいえるのです。少なくともその力が大きく関わっています。そしてそれはあらゆる「気持ちの問題」についてもいえることです。

「気持ちの問題」のカギは無意識が握っているのです。