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時間を「投資」しない(『ToDoリストは捨てていい。』より)



職場から出たら徹底して


本当の私はいま、なにをしたいのか?

だけを自問しましょう。そのことだけに集中してみましょう。

 「私は本当はなにがしたいのか?

マンガが読みたいのが本当なら読みましょう。
カツ丼が食べたいなら食べましょう。

それでは時間がもったいないとか健康に悪いとかいった「雑念」に惑わされないようにしてください。

「雑念」の多くは「世間からのアドバイスだ」と、あなたが信じているコトバのことです。

しかし世間は広く、意外にも正反対のアドバイスが飛び交います。「少しくらい気に沿わない人とでも、なるべく交流するといい」という人もいれば「あなたを傷つけるような人とは即座に縁を切るべき」という人もいます。

どちらも「世間からのアドバイス」ということになるはずです。

私は他者からのアドバイスを積極的に排して生きてきました。理由はいま述べたとおり「正反対のアドバイス」のどちらを採用するにしても結果はすべて自分がこうむるしかないからです。

たとえば私は運動はしませんし、英語や中国語といった語学の勉強もしません。デザインやプログラミングのスキルを身につけていません。投資もしていなければ老後に備えた貯蓄もまったくありません。人生の目標はなにももっていないし、明日の計画すら立てていません。ライフログすら残さなくなりました。記録もメモもほとんど手元にはありません。

以上のどれもなんの自慢にもなりません。参考にしてもらう必要もありません

ただ私は五〇歳になりました。五〇年という、長いとはいいがたいもののもはや短いとはいえない経験から考えてみて、

未来への投資という名目で現在の時間を少しでも犠牲にするのは虚しいものだ

とつくづく思い知ったのです。

三〇代の後半からじつにいろいろなことが起こりました。

まず東北の大震災がありました。私は渋谷にいましたが生きた心地のしない揺れを生まれて初めて経験しました。

それからというもの日本のあちこちで震度7クラスの地震が発生しています。二〇一〇年以前には考えられなかったことです。

その後も新型コロナが世界中で広がりました。私自身もかかりました。

さらに戦争が起こりました。

「未来への投資」が十分に意味をなすには、わずかにせよ先が読めなければなりません。日本人の多くが今なお「英語の勉強」に精を出すのは、将来の役に立つと思うからでしょう。五年後には世界で誰も英語を話さなくなるのが確実になったら、英語の学習産業はただちに崩壊するはずです。

世界には未来をいくらかにせよ「読める人」もいるのかもしれません。しかし私にはまったく読めないのです。一分後もわかりません。「老後」にいたっては存在すらあやしいものです。

私は四〇になったころに「未来への投資」をあきらめました。するとたちまち少なくともそれまで経験しなかったほど心が軽やかになりました。「消耗」していたのです。それがなくなりました。

「消耗」しないためにも、いますぐただちに「未来への投資」を全部やめてしまいましょう、とは私は勧めません。そもそもいま、それはできないという事情を抱えている人もいるでしょう。受験勉強に精を出している真っ最中かもしれません。

ここで伝えたいのは「未来への投資」は「消耗」をともなうというひとつの事実です。だから「受験」はたった一年でも「地獄」といわれもするのです。

「投資」の時間は犠牲の時間でもあるのです。犠牲はなるべく減らしたいものです。百歩譲って、むやみに増やさないようにしましょう。